ドラゴンクエスト
 [ #10 最後に ]


米島 : えーと、それじゃあ、長々と分類の整理をやってる間に思ったことがちょっとあるんだけれども、

瀬上 : はい

米島 : この、分類だとさ、一般的なゲームはほとんど2番に入ってしまうじゃない。

瀬上 : そうですねぇー。まぁ、確かに。

米島 : で、さ。そこで思ったのね。2番目の項目をもっと細分化させることが必要なのではないかな、ということを思ったのね。
 例えばさ、ドラクエもFFも2番でしょ?

瀬上 : ええ。そうです。

米島 : と、なるとさ、やっぱりそれはあまりにおおざっぱだという感じがしない?

瀬上 : うーん。おおざっぱというか、分類の一つのやり方としては間違ってはいない、とは僕は思うんですけれども、それじゃあ、この分類に従ってFFとドラクエにおける「見つめられ方」の差なんて無いよ、みたいなことまで言えてくるのか、というと、確かにそれはちょっと言い過ぎになってくるだろう、みたいなことは思いますね。

米島 : ありがとう。そうだよね。やっぱり。
 FFみたいな形式だとさ、物語はほとんど常に予定調和的にポンポンと進行していって、クリエイター自身が「映画」と意識しているような形で、プレイヤーは延々とゲーム内世界をほとんど見つめることばかりが中心で、見つめ返されることというのが少ないし、何よりもプレイヤーが主人公の中に憑依していないから、例え見つめ返されたとしてもプレイヤーが見つめ返されたのではなくて、単に主人公が見つめられているという感じしかしない。けれども、ドラクエとか堀井さんの作品の場合は見つめ返される、ということへの配慮はやっぱすごいあるよね。

瀬上 : それは感覚的には同意しますけれども、それっていうのはきっちりとした線引きができることかどうか、というよりも比重の問題だとという気がするんですけれど、

米島 : ま、確かにそれはそうかもしれない。どれだけ多くの数の小道具を用意したか、あるいは排除したか、という問題であるといえば、確かにそういう話だけれど、オレがさっきから語っていたことって言うのはつまりその小道具の一つ一つについてなんだよね。

瀬上

米島

瀬上 : そうですね。そういう小道具について論じることはなかなかに面白そうですね。論議をすすめていく上では。

米島 : でしょ?

瀬上 : えーと、ではこれで、今日のドラクエ話は終了でしょうか?

米島 : うん。とりあえず、これで今日は終わらせようか。
 じゃあ、最後に全体像を総括するとね、要するに「ゲームの中の世界をじっくりと見つめる」という行為はラブデリックの作っている『MOON』とか『UFO』とか『L.O.L』とか、あとセガの『ROOMANIA#203』とかが好きな人はよくわかると思うけれども、ゲームの中の世界にいかに入り込んで、ゲームの中の世界を生き生きとプレイヤーが捉えることができるのか、その世界の中に愛着を持つことができるのか、ということにとって非常に重要なことで、それに対して「ゲームの中の世界から見つめ返される」という部分は、ゲームと現実の世界が地続きであることを感じさせることだとか、プレイヤーを飽きさせない、とかいったことだとか、いろいろなことにとって非常に重要な要素なわけだよね。
 その両方に対してドラクエというソフトは非常によくできているわけですよ。

瀬上 : はい、まあ、最後はおおざっぱというか強引なな感じでしたが、なんか、ドラクエの話というよりもドラクエから派生してゲームの問題を幅広く論じると言う感じでしたね。

米島 : いや、そうだね。面白かった。

瀬上 : 僕もです。
 ありがとうございました。
 
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2001-7-7
2002-1-8
2002-1-21

(C)Akito Inoue