ゲームとうメディア 1 [ #06 解釈が多様なのではなくて ] |
瀬上 : なるほど。はい。ええと、それじゃあ早速質問なんですけれど、その、5つっていうのは、どこまでゲームの定義として普遍的にあてはまっていくんでしょうか? 米島 : さぁねぇ。それはわかんないよね。 瀬上 : 例えばテトリスはルールと自動進行性と評価制度とインタラクティビティはありますけど、二重創作性はどうでしょう? 米島 : 自動進行性も怪しいなぁ、ちょっと。自動進行といえば次のブロックの選択ができない点は自動進行ではあるけれど、シムシティみたいに、今まで積み上げたものの形が一定規則で勝手に変わる、というわけではないからね。常にプレイヤーの関与が必要なわけだから。 瀬上 : まぁ、でもそれっていうのは程度の問題なんじゃ? 米島 : うーん、まぁそうだと言えばそうだけど、二重創作は程度の問題だけど、自動進行性というのは、勝手に生成流転するということと、ランダムで何かを与えられる、ということのゲームの自律性ということとはまた別物だよねぇ。 瀬上 : はぁ。 米島 : で、さ、そのゲームにおいては解釈者というのが、解釈者兼創作者という立場を担わされてくるような状況があるわけでしょ。 瀬上 : うーん。確かにおっしゃってることはわかるんですけれどもね、何と言うか、その議論って異様にインテリくさいというというか、なんというか…… 米島 : えーと、つまり「それがどうしたんだ」みたいなこと、を言いたい? 瀬上 : まぁ、それも少しあるんですけれど、単に二重創作性みたいなことを言うというのだったら、もう既に結構いろんなところで言われていることだと思うんですよね。 米島 : はいはい。そうね。東浩紀さんも書いてたし、真剣にゲームレビューとかをやっていこうとしてるところとかはけっこう皆さん、似たようなことをおっしゃっているというのはありますね。 瀬上 : ですよね。だって、それに似たような議論ならばですよ、ゲームの著作権の裁判でだって、判決文の中に似たようなのがありましたよね。「ゲーム映像とは、映画の映像との類似性を持ちながらも、プレイヤーが参加することによってはじめて生成されるという、独自の性質をもった映像であり…云々」みたいな、ことを確か言っていたと思うんです。 米島 : ほいほい。 瀬上 : で、ですよ。もしね、二重創作性とかって用語をゲーム独自の用語として使っていくとするならば、「読む」行為と確かに似てるかもしれないけれど、なんらかの形で区別していかなきゃいけないんじゃないかな、とか思うんですよね。 米島 : あー……なるほねぇ。そうだねぇ。 瀬上 : まぁ、本当に見出せるかどうかはわかりませんけれども…… 米島 : いや、見出せるんじゃないかな? 瀬上 : というと? 米島 : たとえばさ、シムシティではさ、どこに何を作るか、ということは極めて意図的な行為でしょ?RPGでレベル上げをするのも意図的だし、タクティクスオウガでどちらの選択肢を選ぶか、ということも意図的なことだよね? 瀬上 : ああ、はい。そうですねぇ、それに対して例えば「読書」みたいな行為の中で生まれる解釈の多様性みたいなものっていうのは意図せざるものだ、というようなことですか? 米島 : そうそう。そんな言い方ができるんじゃないかなぁ、と思った。 瀬上 : なるほど。それはあるかもしれませんね。恣意的な解釈を意識して行ってゆくということはやりませんからね。 米島 : まぁ、うーん、ちょっと違うような気もするけど、多分だいたいそんなことかなぁ。能動的な行為をしようと思うことの前提として、ゲームから何らかのミッションを与えられてたりする点ははじめに何かが与えられていると言えるなくもないかもしれないけれど、「読み」という行為には能動的な意識が希薄だからね。とても。 瀬上 : うーん、まぁ、突然聞かれても、それは一度吟味してみないとわからないことですけれど、パッと聞いた限りでは確かにそう言えそうな気配ではありますよね。 |
2001.7.4 |
Page1 おっさんに見せたいゲーム
Page2 シムシティ、ゲームの強み
Page3 二重創作性、自律性
Page4 ジャンル分けをするということ
Page5 評価制度、ルール、インタラクティビティ
Page6 解釈が多様なのではなくて