ゲームとうメディア 1
 [ #05 評価制度、ルール、インタラクティビティ ]


瀬上 : いえいえ。
 で、だいぶ、大きく話がそれたのを元に、話を戻しますけれども、二重創作性と自動進行性でしたっけ。

米島 : ああ、なんだっけ。そうだ、シムシティの話か。
 そうそう。後もう一つ、言おうとしてたのがねぇ………評価制度だ。

瀬上 : それは結構、聞いたままですね。

米島 : まあ、そうなんだけれども、たださあ、あたりまえだけど、ものごとの評価って一元的なものではないでしょ。
 例えば、映画の面白さというのはただ単にアドレナリンの分泌量だけで評価できないし、もっとこう、哲学的深遠さとかも評価対象になってきたりするわけだよね。

瀬上 : ええ。そうですけれども、ゲームは一元的に評価してゆくしかないですよね。このプレイヤーはどれだけ腕力があるのか、とか、シムシティだったらどれだけ人口がいるのか、というような形での数値化できる簡単な形での一元的評価ですよね。

米島 : うーん。そうでもないと思う。
 例えばシムシティで言えば「平和都市」とか「巨大金融都市」とか「巨大人工都市」とか「巨大工業都市」とか、色々と評価軸を作ってやることは可能なんじゃない?

瀬上 : ああ、確かに。そうですね。限りはありますけれど。

米島 : うん、限りはある。だから、その評価軸をはずれたところでの目標達成はプレイヤーが自分で満足する以外にはないよね。あるいは友達と競争するとか。
 ネットワークゲームとか対戦格闘ゲームのような形での他人がゲームの空間内に参加してくることのできるようなものだと、ゲームの目標とかっていうものが、あらかじめ製作者の用意した目標だけでなくすることもけっこうできたりね。

瀬上 : そうですね。あとはガンパレードマーチみたいな自由度の高い作品だと、プレイヤーも好き勝手いろんな目標を自己満足的に設定していきやすいですよね。

米島 : うん、そうね。
 で、あと一つは説明する必要もないだろうけど、ルールというのがあるよね。ルールの中でしかプレイヤーは行動できないぞ、と。プログラムがあらかじめなされていないようなことを強引にやってもバグがおこってさようなら、みたいなね。

瀬上 : はいはい。それはまぁ、すんなりそのままですね。
 でも、ルールっていうのはその、「これしかできない」というネガティブな捉え方もできますけど、「とりあえずこれだけでいい」っていう、単純であるがゆえに理解しやすい。ゲームに参加しやすいという側面もありますよね。

米島 : それはそうだわな。
 えーとルールも説明したからぁ……残りはあと、はじめっから話にのぼってたけれど、インタラクティビティというのも加えておこうか、最後に。

瀬上 : それは、えっと、自動進行性と話がこんがらがってしまいそうなんですけれど、ゲームはゲームの側で自律的に考えて、というのではなくプレイヤーが何かを行った時に単に反応を返す、という意味ですよね?

米島 : そうそう。ゲームの側の本当に自律的な出力とは別にね。
 ただ、まぁ、ものすごく厳密に言えば、プレイヤーが電源を入れてスタートボタンを押してゲームを開始しなければゲームは自律的に動き始めることなんてないから、「電源を入れてスタートボタンを押す」というレベルまでさかのぼって考えれば、ゲームの側の本当に自律的な出力なんて存在しないっちゃあ存在しないけれどね、動力として永久機関を内部にとりこんでたら別だけど(笑)

瀬上 : はぁ…………今、思ったんですけれど、あの、少し話はずれてしまいますけど、ゲームの世界って言うのは電源を入れることによって成立する世界ですよね、

米島 : ん?ああ、まあそうだよ。

瀬上 : 今現在、我々の生きている世界というものもまた電源を入れるようなことによって成立っているような、なんらかのエネルギーを必要とすることでなりたっているような世界だとフト考えてみるとしたら、我々の世界を成立たせているエネルギーっていうのはなんなんだろう、とちょっと思って。

米島 : ああ、なるほどねえ、ゲームとかとずっとつきあってるとそういう疑問のわく瞬間ってあるよね。「我々の生きているこの世界と言うのは何なのだろうか、我々の生きているこの世界とゲームの中に電源を入れることで存在することの可能な世界とは何が違うのだろうか」みたいなことをオレもたまにだけど思うことあるよ。危ないとか思われるかもしれないけど。

瀬上 : いや、まあ、ええ、そうなんですけれど、さっきフト思ったことと言うのはだいたいそういうことなんですけれど、もしも我々の世界を成立たせてている電源のようなエネルギーがあるのならば、それって永久機関かなぁ、とか、ちょっと思って。途切れないし。いや、もしかしたら途切れてるのかもしれないけれども、次に稼動した瞬間に我々が途切れた瞬間があったことを認識してないだけなのかもしれませんけど。

米島 : なるほど、面白いねぇ。込み入った議論をするには科学的な知識がほとんどないからSF小説的に面白いとしか言えないけど。

瀬上 : いや、それは僕もそんなに知識がないのでフト思ったという以上のことは言えないんですけれど。それだけなんで、もとの話を続けて下さい。

米島 : ほい。
 ええと、あとねぇ、インタラクティビティも言ったし、二重創作性も言ったし……、もうこのぐらいかな。
 ゲームじゃなくてバーチャルリアリティの研究とかだと、インタラクティビティと自律性ともう一つ「インクルーシブ」っていう要素。だから臨場感とかみたいな、映像の鮮明さとか音声の生々しさとかそういうのも加わるみたいだけど、バーチャルリアリティじゃなくてゲームの性質という点からいくとそれは単に演出上の副次的なものだと思うのでこれは含めないことにするね。
 うん、はい。それで、まぁ以上がシムシティの話ね。二重創作性と自動進行性と評価制度とルールと、インタラクティビティ、とこの5つぐらいの特質というのをシムシティという作品から導きだすことができるのではないのかなぁ、という話だ。
 
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2001.7.4
2002.1.23

(C)Akito Inoue