瀬上 : 「二重創作性?」
米島 : うん。
どういうことか、というとつまり、創作が二重だと。
瀬上 : それは聞けばわかりますけれど、その二つの層というのは何なのですか?
米島 : はいはいはい。よく聞いてくれました。
一つはゲームの開発者の側による創作で、もう一つはゲームのプレイヤーによる創作ね。
つまりゲーム製作者の方で一回、創作行為がなされて、ゲームのプレイヤーがその創作物を使ってさらにプレイヤー固有の作品を創作するわけ。
シムシティで言えば、製作者のウィルライトがシムシティというゲームをまず創作して、それでもってプレイヤーがまたシムシティというゲームの中で自分の作りたい町を創作するわけだよね。ま、「作りたい」というか、それははじめにウィルライトが設定したアウトラインみたいなものの範囲内の創作に限られるかもしれないけど。
瀬上 : ああ、なるほど。
でも、それだと、世の中に存在するあらゆるツール(道具)はゲームだということになりませんか?
AdobeのPhotoShopだって開発者がいて、それを使ってものを作り出す人がいるわけですよね。二重創作ですよね。
米島 : そうそう。だけれども、それはゲームじゃないのよね。
瀬上 : ええ。
どうやってゲームとツールの区別をつけるんですか?
米島 : あのね、オレが考えたのはね、一つには、自動進行性ね。自律性っつった方がいいかな?
何かって言うと、例えばシムシティはどこか一つに工場を建てたりしたら、単に工場のグラフィックが追加された、ということだけじゃなくて、自動的にそのまわりに犯罪が発生するようになったり、工場が自動的に発展していったりするでしょう。
瀬上 : なるほど、確かにPhotoShopで青を塗ったって、青が塗られれるだけで、それ以外には何も起こりませんものね。
米島 : そうそう。
瀬上 : だけれども、それだけでもゲームとは言えませんよね。触ったら反応する、というメディア・アートの作品とかでもゲームと言ってしまえるでしょうし、触ったら自動的に何らかの反応を返してくる人工物はゲームなのか、ということですよね。
というか、自動進行性ってインタラクティビティとは違うのですか?
米島 : うん、違う。インタラクティビティって言ったらさあ、意味がやっぱり広すぎるのよ。
プレイヤーの何かの行為に対してレスポンスがあったら、全部インタラクティビティの中に入ってしまうでしょ?
プレイヤーがAボタンを押して、主人公が剣を振る、というレスポンスを画面から返してきたらそれだけでインタラクティブじゃない。それだけだったら、「PhotoShopにこういう命令を出したら、PhotoShopの処理がこんな風になる」っていうのと違わないでしょ?
瀬上 : 確かに。
米島 : でしょ?だから自動進行性というか、自律性というのはインタラクティビティではなくて、どんどんゲームの側から与えられるくる情報とかだよね。「火事が起きたからなんとかしろ」とか「怪獣が攻めてきたからなんとかしろ」とかね。
プレイヤーの意志とは関係なく命令を与えられる、ミッションを与えられるということとかっていうのは、一方ではうざいんだけど、一方ではそういう仕事っていうか与えられた難題をクリアーしていくっていうことが「オレってばすごいじゃん」みたいなやりがいとか達成感みたいなものにつながるよね。あ、この達成感とかミッションの話は次に話す評価制度のほうの関連で言った方がいいのかな。
あとはプレイヤーの制御不可能なものがある、というのが、なにかゲームの中に他人が潜んでいるみたいである種のリアリティを感じさせる装置の役割を果たしてたりとかね。飯野賢治の『エネミーゼロ』の敵とかはまさにそういうものだよね。
ま、この自動進行性というのにも、もう少し細かく区分していくと、FFとかのRPGのイベントみたいにあらかじめ完全にプログラムとして動かない状態で打ち込まれてるものが出力されてるだけという場合と、シムシティみたいにランダムでイベントが発生したり、条件に応じて発展の仕方が決まっていったりするようなシステムとかとは別にしたほうがいいのかもしんない。
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