Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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 カイヨワの言葉を使えば「アレア」。カイヨワは、サイコロや、宝くじといった遊びを「運」に類する遊びとして分類している。  また、この概念は「偶然性」だけでなく、多様性、計算不可能性といった概念とも関わる。

 動機付けの議論から言えば、完全に運が左右していることが明らかな状況下では、プレイヤーが結果に関わることが可能だという期待*1が働かず、(学習的)無力感が引き起こされることになる。  完全に「運」が左右する状況では、プレイヤーはやる気をなくしてしまう。だがその一方で、「運」によってもたらされる状況の不安定さは、ゲーム展開の多様性や、計算不可能性を確保することに寄与する。  たとえば、まったく「運」がない競争では、「能力」「努力」といったプレイヤーの属性が重要となり、「努力して強くなったプレイヤー」が常に勝ち続けることになる。だが、一定の度合いで状況に不安定さがもたらされる環境下においては必ずしも「努力して強くなったプレイヤー」ではないプレイヤーにも勝利する機会が与えられることになる。

 「運」とはこのように、それ単体では楽しみとなるかどうか危ういものだが、「安定した状況」を崩したり、状況を動かすという性質が認められるときには、全てのプレイヤーにとって等しく勝利を与える可能性をもたらすきっかけとなる。状況をリセットする可能性は、万人に開かれた平等性――すなわち、ゲームへの参加意欲を担保するもの―― となる。



*1 バンデューラは、結果期待と効力期待を分けているが、ここでは、双方共に失われている
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最終更新: 2008-08-19 (火) 19:19:45