Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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0.シミュレーションとゲーム

 simulate は「まねる」、「擬態する」、「〜のふりをする」という意味の動詞。   simulation はその名詞形である。ふつうシミュレーションといえば,現実に存在する自称をシステムとして見なした上で、そのシステムのモデルを作り,これを使った実験を行うことを指す。  ゲームは、シミュレーションとは縁が深い。そもそもチェス、将棋をはじめとする、各種のボードゲームは、戦争のシミュレーションとしてはじまったものが、後に娯楽用に洗練されていったものである。  また、フォンノイマンとモルゲンシュタインによる「ゲーム理論」は現実の意志決定をシンプルにモデル化したものだし、近年では「シミュレーション&ゲーミング学会」という学会も存在する。(2007年現在、日本シミュレーション&ゲーミング学会会長は市川新)

1.シミュレーション・ゲーム

 「シミュレーションゲーム」というジャンルの定義は1980年代中盤に日本で成立した。 『信長の野望』のようなウォーシミュレーションゲーム(ストラテジゲーム)、『ときめきメモリアリル』のような恋愛シミュレーションゲーム、『シムシティ』のような都市運営シミュレーションゲームまで含めて、すべて「シミュレーションゲーム」と呼ばれる。

2.シミュレーションとエンタテイメント・ゲームの違い

クロフォードによれば、シミュレーションとゲームの違いは次のように記述されている。

「シミュレーションの研究者は、あまりに複雑で計算が追いつかないとか、現象がややこしすぎて理解できないという場合に、仕方なしに現象の単純化を行う。それに対して、ゲームデザイナーはデザイナー自身が一番大事だと思っているパラメータにプレイヤーの意識を集中させるために、喜んで現象を単純化するのである。両者の目的には明確な差があるのだ。シミュレーションは、何かを計算したり評価したりするために行われるのに対して、ゲームは娯楽のため、そして何かを教育するために行われるのである(もちろん、その中間的なものも――)」(クロフォードのゲームデザイン論)

 つまり、「娯楽」を重視すれば「ゲーム」であり、「再現性」を重視すればシミュレーションである、という立場がここでは表明されている。  こうした議論の妥当性はともかく、エンターテイメント産業に従事する形でゲームを作っている現場の実制作者たちからは、こうした言明がたびたび繰り返されている。  だが、一方で、こうした「ゲーム」と「シミュレーション」の違いを相対化して捉え、「娯楽重視」の立場も一つの選択肢でしかない、という議論も存在する(→http://d.hatena.ne.jp/hiyokoya/20041006http://d.hatena.ne.jp/hiyokoya/20041007

 シミュレーション・ゲームを評価する際にはほとんど常に、「シミュレーションとして成立しているか」「ゲームとして楽しいか」という二つの評価軸のバランスが問題となる。典型的なのは「シミュレーションとしては良くできているが、ゲームとしては楽しくないリアルなフライトシュミレーション」として『エアロダンシング4』が評価されたり、「ゲームとしては面白いが、まったく現実の恋愛をシミュレートしていない」として『ときめきメモリアル』が評価されるといった事態だろう。  理想的なのは、シミュレーションでもあり、娯楽でもある、という状況であるが、この点に対して、割り切った姿勢をとっているのが『グランツーリスモ』シリーズである。『グランツーリスモ』を開発する山内一典は、「車を運転することは一般の人にも可能であり、楽しいのだから、それを忠実に再現すれば、現実と同様に楽しいはずだ」といった旨の発言をしている。  つまり、再現の対象である、現実が楽しければ、「シミュレーション(現実)/娯楽か(非現実)」という二項対立は成立しなくなる、ということだ。  ただ、この発言は実は「車の運転を楽しいと感じる人々がいる」という現実を前提としてはじめて発言が可能になっている、という点には注意しておきたい。「車の運転を楽しい」と感じない人間は、結局『グランツーリスモ』シリーズを楽しむことはできない。

3.ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』

 現実(リアル)の参照項が消え失せ、それっぽい現実(ハイパーリアル)の内容だけが、現出するような事態をフランスの思想家ボードリヤールは「シミュレーション」と呼んだ。  日本でのボードリヤールの議論を参照しているものの一つは椹木野衣『シミュレーショニズム』(1991)である。  椹木によれば、「あらゆる事象が情報化されつつあるいま、すべては等価なものとして扱うことが可能である、そうであるなら、歴史とか地域的固有性といったものはすべて括弧に括ってしまって、いかようにも編集可能である。」*1という前提に立ち、現代アートの「カットアップ/サンプリング/リミックス」のキーワードによって説明してみせ、現代アートの展開に新しいビジョンを与えた。  さらにボードリヤールの現代日本における議論は、東浩紀『動物化するポストモダン』(2001)を抜きにして語ることはできないだろう。→動物化,消費

4.Richard D. Duke『ゲーミング・シミュレーション 未来との対話』

 Dukeによれば、事象の構造そのものを理解をさせる、ゲーミング・シミュレーションとは、文字によるコミュニケーションや、音声によるコミュニケーションによってもたらされる理解よりも、より高次の理解をもたらす、伝達システムであるとされる。  こうした、高次の伝達手段としてみなされるゲーミング・シミュレーションは、さまざまな教育利用が研究されており、社内研修や、体験型学習といった形での応用が試みられている。  近年では、教育関係の文脈からはじまったゲーミング・シミュレーション研究とは別途にエンターテイメントゲーム文脈からの「シリアス・ゲーム」研究と、方向性が重なるところもあり、今後の協働が求められている。



*1 椹木野衣インタビュー http://www.tinami.com/x/interview/01/page2.html
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最終更新: 2007-02-17 (土) 20:45:59