顔 のバックアップ(No.3)
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- 顔 へ行く。
- 1 (2005-12-14 (水) 18:11:18)
- 2 (2005-12-14 (水) 18:12:19)
- 3 (2006-04-25 (火) 16:14:59)
鷲田清和は、中井久夫が阪神大震災において「みつめられる」という経験をしたことを引き合いにだしつつ、他者の顔によってみつめられる、ということを契機として「顔」が単なる光の反射の成す映像以上のものとの現象してくる自体があることを指摘している。
鷲田清和が「顔」をこのようなものとして語るのは、「顔」によって自己をまなざされることで、「顔」は他者を現前させるインターフェイスとしての役割を果たしているものだ、という視点にたっている。(と捉えることができる。)
こうした他者を現前させる装置としての顔というものを捉えたとき、ゲームにおける顔はどのような扱いをうけているだろうか。
ゲームの中での顔の扱いは様々であるが、顔の描写が特殊な一例として、美少女ゲーム―――とくに『サクラ大戦』などに見出すことができるだろう。 『サクラ大戦』においては、顔は通常、三段階で描かれる。
- (1)まず、マップ上のゲームトークンとしての顔(二頭身キャラ。フィールドマップ)。
- (2)表情をあらわす記号としての顔(画面左下。顔のパターンが何種類もある)
- (3)鑑賞対象?としてのディティールまで描かれた上半身。
こうした顔の過剰とでもいうべき事態は何を引き起こすのか。議論を整理してみると面白いかもしれない。
参考:鷲田清和『顔の現象学』