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Critique of games | ゲーム開発者小事典

http://www.critiqueofgames.net

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あ [ a ]

青木和彦 Kazuhiko Aoki

>>>スクウェア・エニックス
『半熟英雄』『FFIII』『FFIV』『FFIIV』『FFIX』などにかかわる。『クロノトリガー』ではプロデューサー。『FFTA』ではディレクター。

青沼英二 Eiji Aonuma

>>>任天堂
『マーヴェラス』ディレクター、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』ゲームシステム・ディレクター、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』チーフディレクター、『ゼルダの伝説 風のタクト』ディレクターなど。

赤田勲 Isao Akada

>>>コナミ
『実況パワフルプロ野球』シリーズのプロデューサーとして、94年から一貫して関わっている。現在は『パワプロ』の開発からは離れているらしい。

麻枝准

>>>Key
現在の特殊なエロゲー市場の状況を作り出した人物の一人。Tacticsにて『MOON.』『MOON.RENEWAL』『ONE 〜輝く季節へ〜』の企画・脚本を久弥直樹氏と共に手がけた後、他のスタッフ数人と独立し、KEYにて『Kanon』『Air』を制作。固定ファンが多い。『雫』『痕』などのleafと麻枝、久弥の所属するkeyとの二社で、まとめて「葉鍵」と呼ばれることが多い。

麻野一哉 Kazuya Asano

>>>チュンソフト?
『かまいたちの夜』『街』などの開発者。

雨宮 慶太 Keita Amamiya

>>>クラウド代表
『ワンダープロジェクト』シリーズを作っていたギブロがゲームデザイン・シナリオ・キャラクターをやってくれ、ということで、映画『ゼイラム』や『人造人間ハカイダー』の監督としても知られていた雨宮氏を起用しできたのが『七ツ風の島物語』。最近では『鬼武者2』のモンスターデザインなどもやっている。

綾部 和

>>>ミレニアムキッチン
1965年生まれ。86年よりゲーム開発にかかわり、グラフィック&プログラマーとして、木村初(キム皇)氏の作品などの開発に参加。97年ミレニアムキッチンを設立。『ぼくのなつやすみ』の開発者。生まれは北海道。

荒井佳彦 Yoshihiko Arai

>>>ナムコ
『ワギャンパラダイス』『リベログランデ』『風のクロノア』などの開発に参加。

アメリカン・マギー American McGee

ジョン・カーマックとの縁で、id software社に入社。その後Electronic Arts社に移籍し『American McGee's Alice』(邦題「アリス イン ナイトメア」)を開発し、一躍有名になる。2004年現在は、ハリウッドにて『American McGee's Oz』という映画の制作を行うほか、Enlight Software社からの発売される『Scrapland』の総合プロデューサーをつとめている。

アラン・ミラー Alan R. Miller

1951年生まれ。カリフォルニア州立大学バークレー校卒業後、1977年にアタリに入社。アタリ800のためのOSの開発や、VCS用ゲームソフトの開発を行っていたらしい。79年にアタリ社の同僚とアクティビジョン社設立。84年には同社を辞めてアコレイド社を設立。代表作にアタリの『バスケットボール』、アクティビジョンの『ロボット・タンク』、アコレイド社で『ロウ・オブ・ザ・クエスト』など。

アレクセイ・パジトノフ

>>>マイクロソフト
『テトリス』の作者として世界的に知られる。ソ連邦科学アカデミーの研究職員の時に人間の処理能力に関する研究から、『テトリス』を生み出したいわれる。他に『パンドラの箱』など。

アンディ・ガビン

>>>ノーティドッグ
クラッシュバンディグーシリーズのプログラマー。元MITの人工知能研究所所員でNASAの火星探索機の視野システムを開発。クラッシュを創るにあたっては、GOOL(Game Oriented Object LISP)ってという、独自の開発言語をつくったらしい。最近では、『ジャック×ダグスター』シリーズなどを製作している。

アンドリュー・グリーンバーグ Andrew Greenberg


1957年生まれ。ウィザードリィの製作者として有名。

飯島健男 Takeo Ijima

>>>パンドラボックス?
『ラストハルマゲドン』『BURAI』などを手がける。著作に『RPG幻想事典』『コンピュ−タRPGの作り方  世界設定・システム編』『ゲ−ム業界白書 』など。

飯田和敏 Kazutoshi Ida

>>>free?
『巨人のドシン』『アクアノートの休日』『太陽のしっぽ』など。アーティスティックで実験的なイメージの濃厚なゲームデザイナーとして知られる存在である。ある文脈では強烈に高く評価されると同時に、別の文脈では「クソゲー」との評価されることも多い。「ゲーム作家」という肩書きをはじめて使い始めた人物でもあるらしい。
[http://www.kyojin.com/]

飯野賢治 Kenji Ino

>>>WARP代表
1970年東京生まれ。高校中退後、ゲーム制作会社勤務を経て、89年に独立。94年にWARP設立。『エネミーゼロ』『風のリグレット』『Dの食卓』シリーズなど独特の作風のゲームで知られる。メディアへの出演も数多く、タレント文化人としての活動も活発。
 一度見たら忘れられない顔をしており、いい意味でも悪い意味でも目立つ存在だった。『D2』以降は、何をやっているのかよくわからない。97年までの人生については、講談社から出版された自伝『ゲーム』に詳しい。ちなみに、奥さんがけっこうキレイな人。

石井精一 Seichi Isi

>>>ドリームファクトリー代表
鉄拳、鉄拳2、バーチャファイター、Tobal.No1、エアガイツ、バウンサーなど。格闘ゲームの名プログラマーとして有名。元セガのAM2研に所属。1995年ドリームファクトリー設立。

石井浩一  Koichi Ishi

>>>スクウェア・エニックス
1964年生まれ。86年にスクウェアにアルバイト入社。89年に社員として入社。『聖剣伝説』シリーズのディレクター。他に初期FF(1〜3)までの開発に深く関わっており、グラフィックデザイナーとしてチョコボを生み出した人物でもある。『FF9』のディレクターもつとめる

石原恒和  Tsunekazu Ishihara

>>>ポケモン
1957年生まれ。81年にSPNに入社。83年セディック入社。テレビ番組のプロデューサーとして「浅田彰電視進化論」「TV'sTV」「糸井重里の電子遊戯大展覧会」などを手がける。また88年のテレビゲームを概観する貴重な資料であり、現在は絶版され、入手困難な『電子遊戯大全〜テレビゲーム』(UPU刊)の企画から完成まで指揮をとった。91年エイプ副社長に。その後、『MOTHER2〜ギーグの逆襲』『マリオのピクロス』『ポケットモンスター』のプロデューサーとして脚光をあびる。95年クリーチャーズを設立。96年マリーガルマネジメントの契約プロデューサーとなり『ピカチュウげんきでちゅう』『カスタムロボ』をプロデュース。98年株式会社ポケモンセンター(現在は「ポケモン」に改称)を設立。2001年クリーチャーズ社長を退任。
畠山けんじ・久保雅一著『ポケモンストーリー』に詳しい。

板垣 伴信

>>>テクモ
1992年テクモ入社。『デッドオアアライブ』シリーズのプロデューサーとして有名。テクモを選んだ理由は家から電車で一本でいけるから、だったらしい。

糸井重里 Shigesato Itoi

>>>free
コピーライターとしては、神様級の人だが、一見ただの鼻の穴のでかい(しかも鼻毛が出ている)おっさん。MOTHERシリーズプロデューサーとして知られる。また、『糸井重里のバス釣りNo.1』などの釣りゲーも作っている。MOTHER3は糸井重里が怠惰なためにできなかった、という噂もあるが、それは違う(らしい。)。「徳川埋蔵金なんて掘っていないでMOTHER3を完成させてろよ」なんて言っちゃ駄目。しかし、MOTHERシリーズのファンで、まだMOTHER3の製作が中止されたことを知らないで待ってる人とかはちょっと不憫だが。大半の人は知らないのではないだろうか……詳しくは彼の主催するウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』の『樹の上の秘密基地』に長い対談が掲載されている。
[http://www.1101.com/]
[http://www.1101.com/nintendo/index.htm]

伊藤 裕之

>>>スクウェア・エニックス
FF4以来、FFシリーズの戦闘システムの定番となったATB(アクティブタイムバトル)システムや、FF5のアビリティシステム、FF6の魔石システム、FF8のジャンクションシステムなど、FFシリーズの戦闘・成長システムの創案者として知られる。
初期のFFからデバッカーなどとして関わり、『FF6』『FF9』ではディレクターをつとめる他、『FFT』『FF4』『FF5』『FF8』『クロノ・トリガー』『サガ1』『テトラマスター』などに関わっている。

稲葉敦志 Atsushi Inaba

>>>CAPCOM
『鉄騎』『逆転裁判』『ビューティフルジョー』などコア層から多大な注目を集めた作品のプロデューサー。

稲船啓二 Keizo Inahune?

>>>CAPCOM
1965年生まれ。1987年カプコン入社。『バイオハザード2』『ロックマン』『鬼武者』プロデューサー。特に『ロックマン』シリーズの人として有名。

五百蔵 容 Tadashi Ihoroi

>>>セガ(スマイルビット)
1969年生まれ。1993年にセガ入社。『ガンヴァルキリー』 ディレクター。『ハンドレッドソード』 ではシナリオ、世界観の構築などを担当。

岩井俊雄 Toshio Iwai

1962年生まれ。愛知県出身。メディアアーティストとして非常に有名。『OTOCKY』『シムチェーン』などのゲームも出している。『びっくりマウス』もこの人かな?
[ http://www.iamas.ac.jp/~iwai/iwai_main.html ]

岩田聡 Satoru Iwata

>>>任天堂社長
1959年生まれ。1982年HAL研究所入社。任天堂社長になる以前は任天堂のゲームを支えてきたベテランプログラマー。93年HAL研社長に就任。2002年に山内社長から後継として指名され、任天堂社長に。
開発者として関わった作品も非常に多数にのぼり『ピンボール』『ゴルフ』『F1レース』『バルーンファイト』『マッハライダー』『エッガーランド』『ゴルフJAPANコース』『ゴルフUSコース』『ミリピード 巨大昆虫の逆襲』『ジャウスト』『ジャンボ尾崎のホールインワン』『メタルスレイダーグローリー』『星のカービィ』『カービィボール』『MOTHER2ギーグの逆襲』『星のカービィ2』『星のカービィスーパーデラックス』など。他多数。

岩谷徹 Toru Iwatani

>>>ナムコ
1955年生まれ。1977年ナムコ入社。1980年に『パックマン』を発表。最近は「遊び」の研究をなさっているらしいです。

ウィリー・ヒギンボーサム William A.Higinbotham

>>>?
本職は物理学者。彼が1958年に『二人でテニスを』をつくったのが世界初のビデオゲームだ、と言われている。「ビギンボーサム」と書かれることが多いがスペルはWilliam A.Higinbothamである。アタリ社のノラン・ブッシュネルと混同しないように。ヒギンボーサムとか、「ビデオゲームの歴史」に興味のある方は、根性の入ったものを読みたければ『ゲームオーバー』を。簡単に読みたいのならば『NHK新・電子立国4』を。ウェブ上でならクラシック ビデオゲームステーション オデッセの情報量が素晴らしい。

ウィル=ライト Will Wright

>>>エレクトロニック・アーツ、マクシス
 1984年ブローダーバンド社から『バンゲリングベイ』を発売。1985年にマクシス社を設立し『シムシティ』の開発をすすめ89年に発売、空前のヒットとなる。その後『シムアント』『シムアース』などの一連の『シム』シリーズを発表。97年にマクシス社の経営が悪化し、エレクトロニック・アーツに統合される。2000年に『シムピープル』が発売され、その追加パッケージおよび続編は2003年現在までに、合わせて2400万本以上が売れているが、現在の『シムズオンライン』では苦境に立たされている。
 趣味はロボット製作。世界中で尊敬されている開発者の一人。
  [http://www.simcity.com]
[http://www.simpeople.com]

上田文人 Fumito Ueda

>>>SCE
 1970年兵庫県生まれ。1993年大阪芸術大学美術学科卒業。WARP入社。1997年にWARPを退社しSCEへ。2001年『ICO』ディレクターとして一躍脚光を浴びた。
[http://www.tky.3web.ne.jp/~ueq/]

エド・フリーズ Ed Fries

 元Microsoftで『MechWarriors 4』『Freelancer』『Age of Empires』『Dungeon Siege』『Halo:Combat Evolved』などをプロデュースしていた。

エド・ログ Ed Logg

 1948年生まれ。スタンフォード大学を卒業後、大型コンピュータのプログラマーをしていた。アタリ社に草創期から籍を置いており、アメリカで『スペース・インベーダー』に近いほどの大ブームだったという『アスデロイド』を開発した他、『スーパー・ブレイクアウト』『センチピート』『ミリピード』などを開発。

遠藤琢磨 Takuma Endo

>>>アクワイア代表
 『天誅』『侍』等で知られる。『侍』の制作風景は、新清士著『「侍」はこうしてつくられた』に詳細にかかれている。

遠藤雅伸 Masanobu Endo

>>>ゲームスタジオ代表
1959年生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒業。『ゼビウス』『ドルアーガの塔』などでよく知られ、日本のゲーム史を変えた一人として数えられることが多い。1985年8月ナムコ退社。代表取締役として、(株)ゲームスタジオ設立。最近ではエアーズアドベンチャー(1996.SS)、DT(2001.GB)など。2チャンネラーとしても有名。「ゲームデザイナー」という肩書きを早い時期から使用していた人物としても知られている。(※日本で最初にゲームデザイナーの肩書きを用いたのは鈴木銀一郎)

大場規勝 Yoshinori Oba

>>>オーバーワークス(社長)
旧ソフト7研が元となり誕生した会社の取締役。サクラ大戦シリーズやエターナルアルカディア、ぐるぐる温泉など。小玉理恵子さんもここに所属。

大平俊充 Toshimitu Ohira

>>>シュガーアンドロケッツ
ゲームデザイナー、プランナー
『Jumping Flash!』、『Jumping Flash!2』『攻殻機動隊』『ポケットムームー』などが主な作品。

大堀康祐 Koichi Obori

>>>マトリックス(社長)
ゲームデザイナー、ディレクター。『アランドラ』『アランドラ2』『たまごDEパズル』など。かつて田尻らと共に日本で最初のゲーム攻略本といわれている『ゼビウス一千万点への解法』を「うる星あんず」名義で執筆。

大印健生 Ohin Takeo

>>>ブラウニーブラウン
『新約聖剣伝説』ディレクター。元はスクウェアで聖剣伝説などのグラフィッカーをつとめる。

岡田耕治 Koji Okada

>>>ATLUS
金子一馬とのコンビで女神転生シリーズなど、アトラスの売れ筋ゲームのほとんどを作る。アトラスのカリスマクリエイターコンビである。最近では岡田版ウィザードリィ『BUSIN』などでも話題に。

岡本吉起 Yoshiki Okamoto

>>>CAPCOM常務取締役、兼フラグシップ代表
 『ソンソン』『1942』『ブラックドラゴン』『ロストワールド』など。AM企画制作部部長、開発本部長などを歴任。97年には常務取締役開発本部長に就任。その後『ファイナルファイト』シリーズ、格闘ゲームの代表作『ストII』シリーズ、『ヴァンパイア』シリーズを指揮。90年代半ばからは後進プロデューサーの育成に力を注いでいる。
 ゲームファンなら誰でも知っている、カプコンの顔。

小久保 啓三

>>>フォレストエンターテイメント
 『ロマンシング・サガ』『FF5』『クロノトリガー』などでプログラマーをつとめ、『アナザーマインド』ではメインプログラマー兼ディレクターをつとめる。スクウェア入社以前は別の業界のプログラマーだった。現在は、フォレストエンターテイメントという会社を立ち上げ、『トマトアドベンチャー』『シャドウハーツ』等の開発にかかわる。

小口久雄 Hisao Oguchi

>>>セガ(ヒットメーカー社長)
バーチャロンシリーズやクレイジータクシー、ダービーオーナーズクラブを作ったセガのソフト3研。が分社して独立。ソフト3研の部長であった小口氏がそのまま取締役に就任した。

小野能久 Yoshihisa Ono

>>>T&M
初の本格派ゲイ恋愛ゲーム『炎多留』シリーズの開発者として知られる。当人はゲイではないらしい。『ゲーム業界のフシギ』(がっぷ獅子丸著、太田出版、2002)に掲載されているロングインタビューに詳しい。インタビューを呼んだ限りでは非常にしっかりとしたビジネスマンといった印象。

尾畑 雁多 Karindo Obada

1980年代初期に、『ジョイフルロード』のアメリカ向けキャラクターデザインをしてSNKに入社。85年に『TANK』を開発、その後『怒』『ゲバラ』などを開発。ペンネームは「MR.OBA」。雑誌「コンティニュー」vol.0 にロングインタビューがある。  尾畑氏の経歴とは関係ないが、尾畑氏によればゲーム間のデモが生まれた理由は「(当時)風営法が始まって『3分100円くらいにしないと、ゲームメーカーは持たないんじゃないのか?』みたいな話がでたんですよ。それで『全体を16エリアにする』『敵は三分間でボスが出る』みたいな条件が付いてきて。大きくはその流れから来てるんですよ。ゲームが細切れになったら、その間々に何かを入れなきゃいけないって発想から。」らしい。

恩田講 Kou Onda

>>>ナムコ
『ソウルキャリバー』プロデューサー

か [ ka ]

加賀昭三 Shozo Kaga

>>>ティルナノーグ代表
ファイアーエムブレムシリーズのゲームデザイナーとして名高い。『ティアリングサーガ』(エンターブレイン)でも総指揮をとる。シミュレーションRPGというジャンルは彼がいなければ現在のような形になっていなかったであろう。

柏木准一 Jyunichi Kashiwagi

>>>ピラミッド
1970年生まれ。SFC、SSで発売されたシミュレーションゲーム『カオスシード』(ネバーランド)のゲームデザインを手がけた。2002年9月に『エメラルドドラゴン』や『ロードス島戦記 邪神降臨』などで知られる飯淳氏などと共に、株式会社ピラミッドを立ち上げる。

加藤正人 Masato Kato

>>>スクウェア・エニックス
クロノトリガー(堀井さんのプロットを再編集)、ラジカル・ドリーマー(監督、脚本、演出)、PS ゼノギアス(企画、演出)クロノ・クロス(監督、演出)など。他多数。

金子彰史 Akifumi Kaneko

>>>メディア・ビジョン
 『ワイルドアームズ』シリーズ トータルゲームデザイナー。 以前は日本テレネットで『天使の詩』『ぽっぷ'nまじっく』等に参加した後、『天使の詩II堕天使の選択』で脚本、ディレクターを担当。93年に日本テレネットより分離独立したメディア・ビジョンにて『ワイルドアームズ』シリーズを手がけるようになる。

金子一馬 Kazuma Kaneko

>>>ATLUS
 岡田耕治とのコンビで女神転生シリーズなど、アトラスの売れ筋ゲームのほとんどを作る。アトラスのカリスマクリエイターである。金子さんはグラフィックの担当。

神 直利 Kami Naotoshi

>>>フロムソフトウェア代表
1986年フロムソフトウェア設立。ゲーム開発への参入は94年から。それまではビジネスアプリケーションソフトを作っていた。『エコーナイト』『キングスフィールド』『アーマードコア』シリーズで有名

神谷英樹 Kamiya Hideki

>>>カプコン
1970年生まれ。94年カプコン入社。『ビューティフルジョー』『Devil May Cry』『バイオハザード2』ディレクター。

亀岡慎一 Shinichi Kameoka

>>>ブラウニーブラウン社長
『新約聖剣伝説』『マジカルバケーション』などのプロデューサー。以前ははスクウェアで『聖剣伝説』シリーズや『サガフロンティア』のグラフィッカー、アートディレクターをやっていた。

河津秋敏 Kawatsu Akitoshi

>>>スクウェア・エニックス
 サガシリーズのディレクター。FFI〜IIIなど初期のFFのシステムの開発などにもかかわった。WSCで『ワイルドカード』、GCで『FFCC』(ファイナルファンタジークリスタルクロニクル)も製作している。スクウェアの中でも特に大胆な作品を作り、時には歓迎されないこともあるが、RPGの開発者としては坂口、堀井の二者に並ぶ存在と認識されてもいいくらいにRPGにとって重要な仕事をしている。

菅野ひろゆき Hiroyuki Kanno

>>>アーベル代表取締役
『この世の果てで恋を歌う少女 YU-NO』の開発者として有名。他に『XENON』『エクソダスギルティー』など。

北瀬佳範 Yohinori Kitase

>>>スクウェア・エニックス
1966年生まれ。1990年スクウェア入社。スクウェアのシナリオライター兼、ディレクターとして聖剣伝説やFFのシナリオを担当する。野村、野島氏などと共にFF7以降のFF製作者としてのイメージが強い。

北本幸寛 Yukihiro Kitamoto

>>>D3パブリッシャー
 SIMPLE1500シリーズを立ち上げたとても礼儀正しそうな人。ゲームクリエイターというよりも、もともと開発会社の方であった1500円ゲームの発想を聞いて、それが商品として成り立つのかどうかを調査し、ほどほどによさげな感じだったのでこの事業に手を出したという。予想より売れてしまい何よりも立ち上げた北本さん自身が大いに驚いているらしい。対談を読んだ限りではすごく感じのいい人。

木村央志 Nakaji Kimura

>>>キムラナカジオフィス
『クーロンズ・ゲート』『プラネットライカ』の企画・脚本・監督をつとめる。元はコピーライターで、92年ぐらいまでは、ソニー・ミュージックなどに在籍していた。著作に『ゲームクリエイター作法』(NTT出版、2000)など。
[http://www.zeque.co.jp/index.html]

木村初(キム皇)


『ジャングルウォーズ』『ザ・ラストバトル』の開発者。ファミコン神拳の「キム皇」というニックネームで有名。

キム・ガン

>>>シードナイン
77年ソウル生まれ。大学中退後、プログラマーとなり、韓国コアソフトに3年間勤務。2000年シードナインを設立。 韓国発バカゲー『Tomak』の開発者として知られる。

木元昌洋 Masahiro Kimoto

>>>ナムコ
1967年生まれ。1985年よりナムコに。『妖怪道中記』『F/A』『NEBULASRAY』などの開発にかかわり、1994年に『鉄拳』のゲーム企画およびキャラクターの動作制御部分の作成・調整を担当し、以来『鉄拳』プロジェクトリーダー/ディレクターをつとめる。

木屋善夫 Yoshio Kiya

>>>日本アプリケーション
 1960年生まれ。元日本ファルコム在籍。自動車専門学校卒業後、自動車整備士として働いていたが、その後コンピュータの趣味が昂じて、日本ファルコムに入社。ドラゴンスレイヤーやザナドゥシリーズ、ソーサリアンシリーズ、英雄伝説シリーズなどの名作RPGをつくったゲームデザイナーとして多くの熱狂的ファンを持つ。現在は日本アプリケーションに移籍して大逆鱗などを製作している。ホームページはやたら普通で驚きます。一瞬、ただの家族のホームページかと思う。1960年生まれ。
[http://www.kiya.org/]

工藤太郎 Taro Kudo

>>>バンプール
 もとはラブデリックだったが、『UFO』製作以後は『UFO』チームとしてラブデリックと分かれて、倉島一幸氏、安達昌宣氏と共にバンプールを結成し、『エンドネシア』などを製作。

雲野 雅広 Mashahiro Kumono

>>>セガ(オーバーワークス)
 1969年生まれ。92年セガ入社。『Shinobi』チーフディレクター。『アウトラン』『テンポ』などではデザイナー。『サカつく』 『ナイツ』 『AZEL −パンツァードラグーンRPG−』『ソニックアドベンチャー』 ではムービー担当『サクラ大戦3』 『サクラ大戦4』では映像ディレクターを務める。

クリス=クロフォード Chris Crawford

>>>?
 ミズーリ大学修士課程卒業。物理学の講師を務めるかたわらボードゲームをつくりはじめ、コンピューター・ウォー・ゲームとして初の商品化がなされた『タンクティクス』のシナリオを手がける。1979年アタリ社へ入社。代表作は『バランスオブパワー』が有名な他、日本では「クロフォードのゲームデザイン論」の著者として知られている。 [ クロフォードのゲームデザイン論(Scoops RPG) ]

芸夢狂人

>>>中町クリニック院長
1953年生まれ。本名は鈴木孝成。現在は放射線科の専門医だが、東京医科大学時代の1980年、1981年ごろに雑誌『I/O』に作品を多数投稿しており、当時のマイコンファンの間では中村光一と同じぐらい有名だった。
[ http://www.mri.il24.net/ ]

ケン・ウィリアムズ&ロバータ・ウィリアムズ夫妻 Ken Williams & Roberta Williams

>>>シエラ オンライン?
ケン・ウィリアムズは1954年生まれのエバンズビル出身でプログラマー、ロバータ・ウィリアムズは1952年生まれのパサデナ出身。それぞれ18歳、19歳の時に結婚。初めて絵が用いられたアドベンチャー・ゲームである『ミステリー・ハウス』を1980年に発表。他の作品には、主人公をゲーム画面上にはじめて登場させた(らしい)『キングズ・クエスト』シリーズや、『ウィザード・アンド・ザ・プリンセス』『ブラック・コルドロン』などがある。

見城こうじ Koji Kenjo

>>>ノイズ
 マイコンベーシックマガジンでライターを務めた後、1990年にナムコ入社。『コズモギャング・ザ・ビデオ』『コズモギャング・ザ・パズル』『エメラルディア』『ティンクルピット』『ゼビウスアレンジメント』などでディレクターをつとめる。96年にノイズを設立。『カスタムロボ』シリーズでディレクターをつとめる。

小島秀夫 Hideo Kojima

>>>KONAMI
スナッチャー、ポリスノーツ、メタルギアソリッドシリーズ、Z.O.Eなど。ドラマチックで雰囲気のある作風で知られ、メタルギアソリッド2ではムービーだけしか公開していないのにもかかわず、E3で大賞を受賞してしまった。大の映画好きあって、映画的な演出をやらせると本当に上手い。コナミが(日本が?)世界に誇るゲームデザイナーの一人である。1964年生まれ。

古代 祐三 Yuzo Koshiro

>>>エインシャント
1967年生まれ。1986年に日本ファルコム入社。『イース』『ソーサリアン』などの音楽を手がけたことで、注目を浴びた。  その後フリーとなり、1990年にエインシャント設立、『ベア・ナックル2』『ストーリー オブ トア』などにかかわり。『カイジュウの島』ではプロデューサーを務める。

コスティキャン

>>>?
STARWARS RPGなどを制作。"I Have No Words & I Must Design"(邦題:コスティキャンのゲーム論―言葉ではなく,デザインのみが,ゲームを語ってくれる―)の著者としてよく知られている。

五代響(池田公平) Hibiki Godai(Kohei Ikeda)

1963年生まれ。PC-6001用の『AX-7』や、MSX用の『テセウス』の他、『テグザー』『シルフィード』などのプログラマーとして知られる。

小玉理恵子 Rieko Kodama

>>>オーバーワークス
ファンタシースター1、千年紀、魔法騎士レイアース(SS)など。エターナルアルカディアの開発にも携わる。

五反田義治 Yoshiharu Gotanda

>>>トライエース
もとは日本テレネットという会社の子会社であるウルフチームで『緋王伝』製作などにかかわる。その後ナムコの援助等を得てウルフチームで『テイルズオブファンタジア』制作にたずさわるが、95年にナムコ側とケンカして則本真樹氏などとトライエースを設立し、『スターオーシャン』『ヴァルキリープロファイル』などのディレクション、プログラムを担当。

小西輝彰 Teruaki Konishi

>>>ナムコ
『ソウルキャリバー』プロデューサー

小林高志 Takashi Kobayashi

>>>データイースト
『ファイターズヒストリー』『マジカルドロップ』など。

小林毅 Tsuyoshi Kobayashi

>>>ナムコ
『風のクロノア』の企画・ディレクション。

近藤敏信 Toshinobu Kondo

>>>スタジオ最前線
『海腹川背』のキャラデザ。『どきどきポヤッチオ』の監督、キャラデザ。

紺野秀樹 Hideki Konno

>>>Nintendo
1965年生まれ。『マリオカート64』のディレクター。『スーパーマリオ3』 『スーパーマリオワールド』 『ヨッシーアイランド』『スーパーマリオカート』などの開発にも関わる。

さ [ sa ]

斎藤由多加 Yutaka Saito

>>>ビバリウム代表
『THE TOWER』『シーマン』など国内外で非常に高い評価を得ているゲームデザイナー。マックコレクターで、ライターでもある。

坂口博信 Hironobu Sakaguchi

>>>スクウェア・エニックス
1962年生まれ。FFシリーズの生みの親として世界的に有名。ダンディーなヒゲがチャームポイント。彼に対する評価は人によっては大きくわかれるところ。FFシリーズのほかには『キングスナイト』『クロノトリガー』など。170億円を費やしたという伝説の『FF the movie』は本編よりもスタッフのコメンタリーモードで見るのが面白い。と、思う。

坂本賀勇 Yoshio Sakamoto

>>>任天堂
『ファミコン探偵倶楽部』『メトロイド』『スーパーメトロイド』『X』『中山美穂のトキメキハイスクール』『バルーンファイト』『レッキングクルー』『バルーンファイト』『カエルの為に鐘は鳴る』などを手がけている。名作も多いが、一部やたらにはっちゃけた作品も。あとカードヒーローもてがけている。

さくまあきら Akira Sakuma

>>> ハドソン?
週刊少年ジャンプ『ジャンプ放送局』の元編集長。桃太郎電鉄、桃太郎伝説など桃太郎シリーズで有名なゲームデザイナー。ドラゴンクエストに影響を受けてゲームデザイナーになったらしい。
[http://sakumania.com/]

桜井政博 Masahiro Sakurai

>>> 桜井政博事務所
1970年生まれ。1989年HAL研究所入社。『星のカービィ』ディレクター。『スマッシュブラザーズ』ディレクター。2003年8月にHAL研究所を退社。現在個人で桜井政博事務所をたちあげゲームのコンサルティング業務を開業中とのこと。
 

佐々木朋子 Tomoko Sasaki

>>>セガ(ウェーブマスター)
1992年セガ入社。『Nights』『リスター・ザ・シューティングスター』などの音楽を担当。その後『Roomania#203』の原案、開発。現在はウェーブマスター。

[ http://www.wave-master.com/diary/sasaki/ ]
[ http://www.wave-master.com/staff/choku/sasaki.html ]

指田稔 Minoru Sasida

>>>ナムコ
『テクノドライブ』『AC03』あと『ミスタードリラー』にも関わっているんだそうな。おもちゃ好き。エレメカ好き。 [http://www.edit.ne.jp/~sashida/]

沢野和則 Kazunori Sawano


1951年生まれ。工業高校を卒業後、1971年にナムコ入社。『ギャラクシアン』『ポールポジション』の開発者として知られる。最近では、ゲームスクールとして高い評価を得ているナムコのデジタル・ハリウッドで講師などをつとめているようす。エレメカで『シュータウェイ』などの作品も作っている。

シド・マイヤー Sid Meier

>>>Firaxis
1954年カナダ生まれ。『PIRATES!』『F15 STRIKE EAGLE』『SILENT SERVICE』『GUNSHIP』『RAILROAD TYCOON』『SID MEIER'S GETTYSBURG!』『SID MEIER'S ALFA CENTAURI』。特に『CIVILIZATION』シリーズが有名。シミュレーションゲーム好きの人ならはずせないクリエイター。近々ウィル=ライトとの合作で『シムゴルフ』を発売する。ややマニアックなタイプのある種のゲーマーから「神」とあがめられる率が相当に高い割には一般的な認知度の低い人である。

柴尾英令 Hidenori Sibao

>>>
『レナス』『レナス2』『レガイア伝説』などといった非常に魅力的な世界観のある作品を提出しているクリエイター。
[http://www.lennus.com/]

シブサワコウ(襟川陽一) Sibusawako

>>>コーエー取締役
1950年生まれ。『信長の野望』『三国志』『蒼き狼と白き牝鹿』など光栄作品のプロデューサーとして有名。最近では『決戦』シリーズなど。ゲーム開発以前の光栄は染物問屋だった。

ジョン・カーマック John Carmack


1970年生まれ。ソフトディスク社にて、ジョン・ロメロと出会い、後にid software社にて、ジョン・ロメロと共に『Wolfenstein 3D』『Doom』『Quake』などの中心的な開発者として世界的に知られている。2003年現在、ゲームではなく有人低軌道宇宙船の開発プロジェクトに取り組んでいるらしい。

ジョン・リッキティエロ

>>>Electronic Arts
米国最大のゲーム会社であるエレクトロニック・アーツ(EA)のプレジデント 兼 C00。米国市場で大きな人気を誇る『マッデンNFLフットボール』シリーズの責任者でもある。

ジョン・ロメロ John Romero

>>>Monkeystone Games CEO
オリジン・システムズ、ソフト・ディスク社などを転々とした後、id softwareにて『Wolfenstein 3D』『Doom』『Quake』などの中心的な開発者として世界的に有名。『Quake』開発後、id softwareを退職し、Ion Storm Dallas社を設立する。2001年Ion Storm Dallasを退職。

[ http://www.johnromero.com/ ]

ジェイソン・ルビン Jason Rubin

>>>Naughty Dog
『クラッシュ・バンディクー』開発者として知られる。

杉内 賢次 Kenji Sugiura

>>>エンターブレイン
1989年アスキーに入社。『RPGツクール』『PANZER FRONT』シリーズの製作に関わる。デジタルファミ通編集長や、エンターブレインゲームコンテストでの審査員もつとめる。

すぎやまこういち Koichi Sugiyama


1931年生まれ。東大を卒業後、開局一年前のフジテレビに入社。CM音楽や番組のテーマを作曲し、その後独立。大のゲームマニアであることは有名で、丁寧にも『森田の将棋』のアンケート葉書をエニックスに送ったことがきっかけで『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽をてがけることになった。日本バックギャモン協会会長。

鈴木銀一郎 Ginichiro Suzuki

>>>有限会社銀河企画 顧問、デジタルエンタテインメントアカデミー(DEA)講師
 1934年生まれ。早稲田大学を中退後、様々な職を転々とした後、編集者を20年近く勤めた後、趣味を昂じさせて、日本のシミュレーション・ボードゲームの草分けであるレックカンパニーを1981年に設立。80年代初期のシミュレーション・ボードゲームブームを支えた。
 その後、コンピューター・ゲーム業界に参入し、現在では『モンスターメーカー』の開発者などとして知られている。
 また、日本で最初に「ゲームデザイナー」を名乗った人物だと思われる。
 七転び八起きの人生をたどっているゲーム業界の古参であり、自伝『ゲーム的人生ろん』に詳しい。

[ http://www.gpi.co.jp/suzukigin.htm ]

鈴木英夫 Hideo Suzuki

>>>大宮ソフト社長
1965年生。元はメサイヤ。94年に大宮ソフトを設立。傑怪老氏、神宮 孝行氏などと『ガンハザード』『重装機兵ヴァルケン』『カルドセプト』『カルドセプト2』などの作品の製作に携わる。

鈴木裕 Yu Suzuki

>>>セガ、デジタルレックス
1958年生まれ。1983年セガ入社。80年代には、アーケードで『スペースハリアー』『ハングオン』『アフターバーナー』『アウトラン』『R-360』などを開発していたことでよく知られ、「体感ゲーム」の第一人者だった。93年の『バーチャファイター』シリーズは、世界的にも非常に高く評価され、スミソニアン総合博物館の国立アメリカ歴史博物館に作品が保存されていることでも有名。セガの分社後はAM2研の代表取り締まり役をつとめ、フェラーリ社がライセンスを与えたというレースゲーム『F355』などを開発。また、総制作費70億円(以上)をかけたという『シェンムー』シリーズを作ったことでは、評価が大きく分かれており(特に、海外よりも日本での評価が悪い)、一部のセガファンから、セガの経営を危機にさらした「戦犯」として罵られることもある。著作に『鈴木裕 ゲームワークスvol1』(インタビュー:永江朗)などがあるほか、「鈴木裕絵画展」なども開催している。2003年10月、株式会社デジタルレックス代表取締役社長に就任。
鈴木氏のどこかトんでる感覚はセガ社内でもネタらしく、セガの開発部門をネタにした作品『セガガガ』などでも、鈴木氏をモデルにしたと思われるキャラが「究極の自由はリアルの中にあるFREEEEEEEEEE!!!!!」と叫んだり、「よし、もっと究極の作品を作るために今から三年間合宿だ!」とわけのわからないノリを発揮する。

[http://www.sega-am2.co.jp/ys/artworks/index.html]
[http://www.digitalrex.jp/]
[http://www.sega-am2.co.jp/ys/]

鈴木義樹 Yoshiki Suzuki


1992年HAL研究所入社。『星のカービィ』『大乱闘スマッシュブラザーズ』のプログラムを手がける

スター・ロン Starr Long


リチャード・ギャリオット氏と共に「UltimaOnline」の開発者として有名。Origin System社で『Ultima Online 2』の開発を行っていたが,プロジェクトは中止となり、ギャリオット氏と合流。現在は韓国のNC Soft社で,MMORPG『Tabula Rasa』を開発中。

須田剛一 Goichi Suda

>>>グラスホッパー・マニュファクチュア
1968年生まれ。93年ヒューマン入社。98年グラスホッパーマニファクチュア設立。『トワイライトシンドローム』『ムーンライトシンドローム』『花と太陽と雨と』『スーパーファイヤープロレスリングIII』『シルバー事件』『killer7』などのディレクターをつとめ、作家性の強い作品を作る人物として知られる。

スティーブ・カートライト Steve Cartwright

1956年生まれ。デビッド・クレインに誘われてアクティビジョン社に入り、『メガマニア』『シー・クエスト』『ハッカー』『ハッカーII』『エイリアン2』などを手がけている。

須藤克洋 Katsuhiro Sudo

>>>カプコン
『MARVEL vs. CAPCOM2』、『CAPCOM vs SNK』シリーズ、『機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン』などの開発にかかわり『auto modellista』ではプロデューサーをつとめる。

ZUN

>>>上海アリス幻樂団(同人サークル)
同人でシューティングゲームとして熱い支持を受けている『東方』シリーズの製作者。
[ http://www16.big.or.jp/%7Ezun/top.html ]

妹尾真一 Shinichi Seno

>>>Free?
『パラッパラッパー』(SCE)CGプログラム、『せがれいじり』(エニックス)メインプログラム、『ロボット×ロボット』(ネメシス)でディレクター。よくは知りませんがユニークな作品のプログラマーとして活躍されているようです。

仙波隆綱 Senba

>>>Free?
『逆襲のシャア』の作画監督などをしていたアニメーターだったが、腕を壊してしまったことでアニメ業界を辞めてゲーム業界へ。90年代初期にタイトーの『メタルブラック』を手がけた。

外山 圭一郎

>>>SCE
元はコナミで、デザイナーとして『スナッチャー』(ジェネシス版)『ハイパーオリンピックインアトランタ』等に関わり、『サイレントヒル』では企画原案、シナリオ、ディレクションから一部デザイン作業に関わる。その後SCEで、『夜明けのマリコ』などにかかわり、『SIREN』でもディレクターをつとめる。

薗部博之 Hiroyuki Sonobe

>>>パリティビット 代表取締役
1961年生まれ。『ダービースタリオン』シリーズのゲームデザイナーとして非常に有名。馬主でもある。

た [ ta ]

たいにゃん


『SeeNa』の開発者としてPC88時代などからのPCゲーマーの間では有名。『戦国Turb』にもかかわっているらしい、との噂。
[ http://www2s.biglobe.ne.jp/~tinyan/ ]

高塚新吾 Shingo Takatsuka

>>>コナミ
『ウイニングイレブン3』『ウイニングイレブン4』などが代表作。

高橋慶太 Keita Takahashi

>>>ナムコ
『塊魂』ディレクター。

高橋利幸 Toshiyuki Tahkahashi

>>>ハドソン
通称「高橋名人」。1959年生まれ、札幌市出身。「一秒間16連射」「ゲームは一日一時間!」など数々の逸話で知られる80年代日本のスタープレイヤー。一応はアイデア出しなどもしていたらしい。
 ハドソンの営業部につとめる以前は、ハドソン近所のスーパーの八百屋で働いていた。最近はスキンヘッド。

[ http://www.vaio.sony.co.jp/Service/Game/Special/0402_meijin/ ]

高橋宏之 Hiroyuki Takahashi

>>>キャメロット代表
シャイニングフォースシリーズを弟、高橋秀五とともに作った。高橋兄弟の兄。
[ http://www.camelot.co.jp/member/takahashi/index.html ]

高橋秀五 Shogo Takahashi

>>>キャメロット副社長
シャイニングフォースシリーズを兄、宏之とともに製作。また『みんなのGOLF』を企画制作し、大ヒットをとばした。高橋兄弟の弟。
[ http://www.camelot.co.jp/member/shugo/index.html ]

高橋龍也 Tatsuya Takahashi

>>>PLAYM?
タイトーに就職した後、アクアプラスへ。『雫』『痕』『トゥハート』等の企画・脚本で有名。2000年にキャラクターデザイン・原画の水無月徹と共にアクアプラスを退社。最近ではPLAYMで『リアライズ』などを手がけている様子。
[ http://www.bungle.info/ ]

高橋哲哉 Tetsuya Takahashi

>>>モノリスソフト
『ゼノギアス』ディレクター。元は日本ファルコム、スクウェアなどでグラフィッカーだった。SFC時代のFFなどにも関わっている。『ゼノギアス』の後、スクウェア社内で色々とゴタゴタあったらしく、それでナムコへ移籍。子会社のモノリスソフトにて『ゼノサーガ』を製作。

巧 舟 Syu Takumi

>>>カプコン
1994年カプコンに入社。第1作は1995年の『学校の怖いウワサ/花子さんが来た!』その後『ディノクライシス』の1、2のスタッフを経て、近年稀に見る傑作として高い評価を受けている『逆転裁判』シリーズの企画・シナリオ、ディレクターを担当した。

ダグラス・アダムズ Douglas Noel Adams

1952年生まれ。ケンブリッジ大学卒業後、テレビのシナリオライターなどをしていた。その後執筆した『ヒッチハイカーズ・ガイド・トゥ・ザ・ギャラクシー』がヒットし、インフォコム社によってゲーム化。その際、彼自身も製作に参加し、その後ゲームのシナリオ作家としても活躍し、『ビューロクラシー』『ラビリンス』などに参加している。

ダグラス・カールストン Douglas G. Carlston

1947年生まれ。ハーバード大学卒業後、弁護士をやっていたが、1978年にコンピュータに出会いプログラミングに熱中。第一作『ギャラクティック・エンパイア』のヒットをきっかけに、弁護士をやめて1980年にブロダーバンド社を設立。プロデューサーとして『チョップリフター』『ロード・ランナー』『プリントショップ』などを送り出した。

辰野英志 Eiji Tatsuno

>>>キャビア
『Jリーグ・プロサッカークラブをつくろう!』の開発者。

田尻智 Satoshi Taziri

>>>ゲームフリーク代表
 ポケットモンスターの生みの親として世界的に有名。他に『ヨッシーのクッキー』など。80年代は、ゲーマーとして名を馳せ、ゲーム誌などでライターなどをやっており、自伝コラム『パックランドでつかまえて』にその様子は詳しい。また著作『新ゲームデザイン』は、すでに絶版だが、非常に人気が高くヤフーオークションなどで高額で売られているのを見かける。また、大堀康祐氏らと世界最初のゲーム攻略本(ミニコミ誌)といわれる『ゼビウス1000万点の解法』を発行した。

田中 俊太郎 Syuntaro Tanaka

>>>セガ(オーバーワークス)
 『エターナルアルカディア』ディレクター

多部田俊雄 Toshio Tabeta

>>>NECインターチャネル
センチメンタルグラフティー、センチメンタルプレリュード、春雨曜日など。多くのギャルゲーのプロデューサーをつとめる。

ダン・ゴーリン Dan Gorlin

1954年生まれ。appleII用ゲーム『チョップリフター』などが有名。

ダン・バンテン Dan Bunten

オザーク・ソフトケープを主宰し、『ミュール』『セブン・シティーズ・オブ・ゴールド』『ハート・オブ・アフリカ』『ロボット・ラクカルズ』などで知られる。

土田俊郎 Toshiro Tsuchida

>>>スクウェア・エニックス
1964年生まれ。メサイヤで『重装機兵レイノス』『重装騎兵ヴァルケン』などに関わった後、94年ジークラフト設立を設立し、『アークザラット』シリーズなどを手がける。ジークラフトはスクウェアに吸収され、『フロントミッション』シリーズにかかわる他、最近のFFのバトルシステムにも関わっている。

土屋 淳一 Junichi Tsuchiya

>>>セガ(ヒットメーカー)
1964年生まれ。1987年入社。『ジャンボ尾崎スーパーマスターズ』『ダイダロス』『ウインターヒート』『シェンムー』に関わる。巨大アーケードゲーム『ワールドクラブ チャンピオンフットボール セリエA 2001-2002』のプロデューサー。

ティモシー・リアリー Timothy Lealy

元ハーバード大学教授。アメリカで60年代ドラッグ・カルチャーのカリスマとして逸話が多い人物。1986年、コンピューターゲーム『マインド・ミラー』を発表。参考資料によれば『マインド・ミラー』をプレイすると「自分と社会の隠された関係を発見し、自己の開放と新しい可能性を手に入れることができる」らしい。

手塚卓志 Takuji Teduka

>>>Nintendo
1960年生まれ。『スーパーマリオ64』ディレクター。『スーパーマリオ』 『スーパーマリオ2』 『スーパーマリオ3』『スーパーマリオワールド』『スーパーマリオ64』『ヨッシーアイランド』『セルダの伝説(FC・SFC・GB)』などにも関わっている任天堂の古株。

デミス・ハサビス Demis Hassabis

16才で、『Theme Park』の開発者としてデビュー。その後ピーター・モリニューの『Black&White』などに参加していた。近年では2003年に『Republic:The Revolution』などを発表。現在は、『Evil Genius』を開発中とのこと。

寺田貴信 Takanobu Terada

>>>バンプレスト
スーパーロボット大戦シリーズのプロデューサーとして有名。

デビッド・クレイン David Crane

 70年代後半、アタリ社にてアタリVCS用のゲーム・カートリッジを多数製作した後、アラン・ミラー、ラリー・カプラン、ロバード・ホワイトヘッドと共に1979年10月にアクティビジョン社を設立。全米で300万本を売り上げた『ピットフォール』や、『ピットフォールII』『ゴースト・バスターズ』『リトル・コンピュータ・ピープル』などを製作した。
 アクティビジョン社の設立の経緯についてだが、70年代後半当時アタリ社内で非常に高い業績を挙げていたデビッド・クレインら四人が「自分たちの作ったゲームには、必ず作者名を表示してほしい」とアタリの経営最高責任者レイモンド・ケイサーに要求したところ「タオルのデザイナーは、自分のデザインしたタオルに名前を入れたりするだろうか」と要求がはねのけられ、この言葉に四人が憤りを感じたことで彼らは独立して大成功を収めた。ここで、アタリ社は大きな損失をこうむり、この事件をきっかけにしてスター・プログラマー、クリエイターがフィーチャーされるという文化が生まれてきたらしい。(※日本においては、80年代頃のエンディングスタッフロールはほとんどニックニームになっており、誰が誰だかわからなかったが、90年代になるとスタッフロールがほぼ実名になってきた。)

デビッド・ブレヴィック David Brevik

>>>Blizzard North
1968年アメリカ生まれ。『ディアブロ』の開発者として知られる。

時田貴司 Takashi Tokita

>>>スクウェア・エニックス
 『パラサイト・イヴ』の監督/脚本/企画。『FF7』のイベントデザイン、『クロノトリガー』、『FF4』、『チョコボレーシング』、『LIVE A LIVE』、『半熟英雄 VS 3D』などでディレクターをつとめる。

トム・スナイダー Snyder Tom

1950年生まれ。ゲームをプレイしているうちに知らず知らずのうちに知識が身につく、という教育用ゲーム、シリアスゲームといわれるタイプのものを手がけている開発者。流通や経済学を学べる『ラン・フォー・ザ・マネー』、太陽系について学べる『ハレー・プロジェクト』。他に『パピー・ラブ』『ジ・アザー・サイド』など。

友池隆純

>>>コーエー
1962年生まれ。コーエー以前はセガのアーケード・旧一研企画で『カルテット』『SDI』『ギャラクシーフォース』等を手がけ、88年コーエー入社。コーエー内のチーム「オメガフォース」にて、プレイステーション版対戦格闘ゲーム『三國無双』を開発。その後、『デストレーガー』『WINBACK(ウィンバック)』などをてがけ、その後に『真・三國無双』シリーズを開発。

ドン・ブルース Don Bluth

アニメーション作家。1956年、ディズニー・プロにアシスタント・アニメーターとして入社。79年同社を退社、独立。1983年、世界初のレーザーディスク・ゲーム『ドラゴンズ・レア』のためのアニメーションを製作し、他のゲームではありえない質の高いアニメーショングラフィックが話題を呼んだ。

な [ na ]

内藤時浩 Tokihiro Naito


『ハイドライド』シリーズの生みの親。今はすでにないが元EO.Imagination社の代表取締役。E.O.Imaginationの作品としては『アサンシア 〜魔杖の呪縛〜』(PS.1997)など。2ch情報では、コンピューター総合学園―HAL―で講師をしていたとかいう噂も。

内藤寛 Hiroshi Naito

>>>クライマックス社長
元ドラゴンクエストスタッフでプログラマー。ドラクエIII、IVのメインプログラマーの他に、手がけた作品として『シャイニング&ザダクネス』『ランドストーカー』『シャイニングフォース』『ダークセイバー』『フェーダリメイク』『クライマックスランダーズ』『ランナバウト』シリーズなど。

中久木成一 Seichi Nakakuki

>>>タイトー
『パズルボブル』『ランドメーカー』など。

中村光一 Koichi Nakamura

>>>Chun Soft
街、不思議のダンジョンシリーズ、かまいたちの夜、弟切草、夜光虫など。もともとはドラゴンクエストのプログラマーとして花開き、初期のドラクエではChunsoftを率いるメインプログラマーとして活躍。ドラクエ6からは参加せず、チュンソフトとして独自の活動を続けている。『天才』と呼ばれる開発者の一人。
 モノポリーやローグなどプリミティヴなゲームが好きらしく、ゲームクリエイターとしての思想は、単純にそのゲームが面白いか面白くないか、という部分に比重が重めにかかっている様子で、そこかしこでのインタビューを聞いていると『面白ければ生き残るでしょうし、面白くなければ淘汰されるだけ』というようなことを繰り返し言っている。実際、チュンソフトのゲームがつまらなかったということはない。
 面長ででかくてごつい、結構インパクトのある顔をしている。斜め横からの写真だと一見ナヨナヨ系に見えるがだまされてはいけない。

中祐司 Yuji Naka

>>>セガ(Sonic Team社長)
1965年生まれ。『ソニック』の生みの親として名高い。ソフト8研(旧CS3研)が分社化してSonicTeamとなり、社長に就任した。『ソニック』シリーズの他には、『Nights』『ファンタシースター1』『ファンタシースターオンライン』などで知られている。SEGAの顔ともいえる人物だが、突出した傑作と同時に破天荒な作品作りも多いSEGAの社風の中では珍しく、確実にきっちりとヒットする作品を仕上げる人でもある。鈴木裕と並び、セガが世界に誇るゲームデザイナーでありファンも非常に多い。

中潟憲雄 Norio Nakagata

>>>
80年代半ばにナムコに入社。その後Kazeに。『源平討魔伝』『暴れん坊天狗』『ビルバグ』などを手がけている。

中川力也 Rikiya Nakagawa

>>>セガ(ワウエンターテイメント代表)
元セガのソフト1研を率いており、分社化で上記の社名に。タントアールシリーズ、ダイナマイト刑事シリーズ、ザハウスオブザデッドシリーズなどセガの多くのアーケードゲームを手がける。

中村 俊 Syun Nakamura

>>>セガ(ソニックチーム)
1972年生まれ。97年セガ入社。『サンバ de アミーゴ』『ジャイアントエッグ』などでディレクターをつとめる。

中本博通 Hiromichi Nakamoto

>>>データイースト
『メタルマックス』『マジカルドロップ』など。

中本 伸一 Shinichi Nakamoto

>>>ハドソン副社長
1958年生まれ。ハドソンの創業期をささえたプログラマー。現在は同社の副社長。『サラダの国のトマト姫』『デゼニランド』など。

[ http://www02.so-net.ne.jp/~nakamoto/ ]
[ http://www.vector.co.jp/vpack/browse/person/an003630.html ]

永山義明 Yoshiaki Nagayama


初代PCエンジン版の『ときめきメモリアル』ディレクター。他に『めぐり愛して』など。ときメモがブレイクした、95年10月のPS版の発売当時は、コナミを辞めてプータローをやっていたらしい。詳しくはQuick Japan vol.21 に阿部広樹によるロングインタビューが掲載されている。

長畑成一郎 Nagahata Seiichiro

>>>チュンソフト
1965年生まれ。1991年チュンソフト入社。トルネコ、シレンなどの不思議のダンジョンシリーズにディレクターなどとして10年以上関わっている。

永浜達郎 Tatsuro Nagahama

>>>アートディンク
友人と数人と集まって『A列車で行こう』を趣味で製作。完成・発売後、1986年にアートディングを設立した。

名越稔洋 Toshihiro Nakoshi

>>>セガ(アミューズメントヴィジョン社長)
1965年生まれ。平成元年にセガ入社。AM2研→AM11研に独立→セガ第四研ソフト研究開発部(部長)→分社化でアミューズメントヴィジョン設立。『スパイクアウト』シリーズ『バーチャストライカー』シリーズ『デイトナUSA』などに関わる。。

ナーシャ・ジベリ Nasir Gebelli

>>>?
1957年生まれでイラン出身。FF1、2、3のプログラマーでアップルIIの三大天才ゲームプログラマーと呼ばれていた人の一人らしい。スクウェアにより日本へ連れてこられ初期FFのプログラマーとして活躍。『聖剣伝説2』を担当以降スクウェアから離れイランに帰って仕事をしているらしい。FF1のオープニングにはドデーンと名前が登場してます。

奈須きのこ Kinoko Nasu

>>>TYPE-MOON?
『月姫』『空の境界』『Fate/stay night』などのシナリオライターとして知られる。
[ http://www.remus.dti.ne.jp/~takeucto/ ]

二木幸夫 Yukio Niki

>>>セガ
『パンツァードラグーン』設定・ゲームデザイン・監督、『パンツァードラグーンツヴァイ』原案・設定。現在はおそらく分社化でスマイルビットにいるはず。『パンツァードラグーン』の企画を出した当初は、まわりから実現不可能と思われていたらしい。

西角友宏 Tomohiro Nishikado

1944年生まれ。スペースインベーダーをほとんど一人で開発したという。開発費用は1000万円程度。スペースインベーダーを開発して、会社からもらったものは金一封だけだったとか…。現在はタイトーから独立。

西 健一 Kenichi Nishi

>>>SKIP
『MOON』『UFO』『L.O.L』などラブデリックのカリスマゲームクリエイター(自称)。もとはスクウェアで『スーパーマリオRPG』や『クロノトリガー』といったソフトのスタッフをしていたらしい。その独特の世界観には多くのファンがおり、アーティスティックな作品を作るクリエイターというイメージが強い。L.O.L.の後にDAHという作品に取り掛かっていたらしいが世知辛い世の中に負けてしまったらしく仮契約が白紙撤回。ラブデリックは当分活動休止。スキップを設立。最近では『ギフトピア』など。
[www.skiptokyo.com/staff/nishi/skipit.html]
[www.lovedelic.co.jp/lack/staff/nishi/]

荷宮尚樹 Hisaki Nimiya

>>>セガ
『コラムス』『電脳戦機ネットマーク』など。「連鎖」システムの発明者。

野上恒 Hisashi Nogami

>>>任天堂
1971年生まれ。1994年任天堂入社。『どうぶつの森』シリーズのディレクターをつとめる。

野口 伸二 Shinji Noguchi

>>>ナムコ
1982年ナムコ入社。
ディレクター、制作管理、プロデューサーなどといった形で、「テイルズ オブ ファンタジア」(PS)「テイルズ オブ ファンタジア〜なりきりダンジョン〜」(GB)、「バテン・カイトス」(GB)、「ケイナ」(PS2)、「ヴィーナス&ブレイブス」(PS2)などにたずさわっている。

野島一成 Issei Nojima

>>>スクウェア・エニックス
データイーストにて『ヘラクレスの栄光』シリーズの3,4のシナリオ,ゲームデザインを手がけていたが、その後スクウェアに移籍。『バハムートラグーン』ディレクターなどをつとめ、『FF7』『FF8』『FF10』『FF10-2』のシナリオを担当。FF7以降のFFを代表する人の一人。

野村哲也 Tetsuya Nomura

>>>スクウェア・エニックス
1992年スクウェア入社。7からのFFのキャラクターデザイナーということだが、どうやらシナリオにも相当に顔をつっこんでいるようで、従来(6までの)のFFファンからは目の敵にされている開発者。逆に言えばFF7以降のファンにとってはちょっとしたカリスマ的存在でもある。
『キングダムハーツ』ではディレクターをつとめている。

ノーラン・ブッシュネル Nolan Bushnell

>>>?
ゲーム業界の生みの親。1943年生まれ。1971年に彼が『コンピューター・スペース』を発売したのが世界初の商用のビデオゲームであると言われている(「商用」ではない、世界初のビデオゲームはウィリー・ヒギンボーサムの『二人でテニスを』1958らしい)。『コンピューター・スペース』発売の後に、アタリ社を設立し、『ポン』『ブレイクアウト』などをヒットさせる。俗に「アタリ・ショック」と言われている米国ゲーム史上の業績悪化は1982年の冬におとずれることになる。(※なお、現在のゲーム史研究では「アタリ・ショック」の歴史観はある程度捏造されたものではないか、と言われている。)  

は [ ha ]

橋本昌哉 Masaya Hashimoto

>>>クインテット?
日本ファルコムにて『イース』『アステカ』『太陽の神殿』『ワンダラーズ フロム イース(イースIII)』などを手がけ、宮崎友好らと共に退社しクインテットを設立。『アクトレイザー』などを手がける。1961年生まれ。

服部 博文 Hirofumi Hattori

>>>びんぼうソフト
ゲーム開発が規模的にふくらみすぎて、プロジェクトとしての収集がつかなくなってきた会社が多いと言われている昨今、たった一人で家庭用ソフトを開発している。94年バンプレスト入社後、『GOGOアックマン』『バトルピンボール』『THE OPEN GOLF』などにかかわり、98年に社員一名の会社である有限会社びんぼうソフトを設立。『ジェットコースタードリーム』『ジェットコースタードリーム2』『ぼくのテニス人生』『THE・ジェットコースター』などを開発。そのソフトのクオリティは決して低いものではない。スタッフロールは必見。また、企業ホームページ(=本人サイト)も必見。
[ http://bimboo.hp.infoseek.co.jp/ ]

八谷和彦 Kazuhiko Hachiya

>>>ペットワークス
1966年生まれ。メディアアーティスト。『ポストペット』の人、として有名。
[ http://www.petworks.co.jp/~hachiya/ ]

ピーター・モリニュー Peter Molyneux

>>>Lionhead Studios社
『ポピュラス』『ダンジョンキーパー』『Black&White』など。英国のプログラマー。GDCでもここ数年、毎年のように講演している。

久弥直樹 Naoki Hisaya

>>>key
麻枝准らと共にtacticsにて『MOON.』『One』などにかかわった後、スタッフ数人と独立し、Keyにて『kanon』などを手がける。固定ファンが多い。

菱田達也 Tatsuya Hishida

>>>任天堂
『新鬼ヶ島』『遊遊記』の脚本、演出などを手がけた他に、『ポケモンボックス ルビー&サファイア』ディレクター、『ワイルドトラックス』ディレクターなど。

日高真一 Shinichi Hidaka

>>>コンプリーツ/オーサリングヘヴン
1967年生まれ。『The ガッツ!』シリーズ開発者として知られる。88年にマンガ家としてデビュー、90年にハドソン入社。その後、メイビーソフトなどを経て、2000年にコンプリーツ/オーサリングヘヴンを設立。

日高徹 Toru Hidaka

『マジックガーデン』『ガンダーラ』など。『Delphiゲームプログラミングのエッセンス 』など、ゲームプログラミングの本も多数出版。

日野重文 Shigefumi Hino

>>>任天堂
『ピクミン』ディレクター。ヨッシーのキャラクターデザイナー。

平林久和 Hisakazu Hirabayashi

>>>インターラクト
1952年生まれ。肩書きは日本で唯一人「ゲームアナリスト」と名乗っている。『ゲームの大學』『ゲーム業界就職読本』『ゲームの時事問題』などの著作が有名。マリーガルの契約プロデューサーとして、『DT』などに関わっていた。

ビル・ウィリアムズ Bill Williams


1960年生まれ。元ミュージシャン。代表作に『ネクロマンサー』『マインドウォーカー』『シンドバッド・アンド・ザ・ファルコン』など。

ビル・バッジ Bill Budge

1954年生まれ。カリフォルニア州立大学バークレー校にてコンピュータ・サイエンスを専攻し、卒業後はアップル社に入社。アップルII用のゲームをいくつか製作した後、バジコ社を設立する。その後またアップル社に戻り、代表作『ラスター・ブラスター』『ピンボール・コンストラクション・セット』などを製作。

ビル・ローパー Bill Roper

>>>Blizzard
『ディアブロ』プロデューサー、ディレクター、『Warcraft III』プロデューサーなどをつとめる

蛭田昌人 Masato Hiruta

>>>エルフ
『同級生』のシリーズの製作者。

広井王子 Oji Hiroi

>>>レッドカンパニー代表
1954年生まれ。本名は廣井照久。1989年の『天外魔境地来也』がプロデューサー初作品であり、それまではほとんど定職を持たないような状況だった。その後『サクラ大戦』『天外魔境』などの製作総指揮として知られる。知名度は高いが、どこまで作品に関わっているのかは謎な雰囲気がただよい、メディアへの露出へも多く、「胡散臭い業界人」感を漂わす人、として認知されている。サングラスが印象的。
[ http://www.red-entertainment.co.jp/cafe/listp3.php ]

船水紀孝 Noritaka Hunamizu

>>>CAPCOM
スト2シリーズプロデューサー

ホートン・トロイ Troy Horton

>>>アイドス・インタラクティブ
『トゥームレイダー』(コアデザイン)の製作者。日本ではそれほどでもないが、世界的には有名なゲームデザイナーである。

堀井雄二 Yuji Hori

>>>アーマープロジェクト社長
1954年生まれ。淡路島出身。早稲田大学文学部在学中は漫画家を目指していた。大学卒業後はフリーライターとして漫画の原作などの仕事をしており、当時のペンネームは「本田一景」。少年ジャンプ誌などでのペンネームは「ゆうぼん」。エニックスのコンテストで『ラブマッチテニス』が入選したのをきっかけに、ゲームの世界に入り、『ポートピア連続殺人事件』などで知名度を挙げ、その後『ドラゴンクエスト』を生んだ。他に『いただきストリート』『クロノトリガー』などの作品でも有名。
 80年代から活躍する多くのゲーム開発者同様、彼も『ウィザードリィ』などのプレイヤーだった。日本のゲームを彼抜きで語ることはできないだろう。
[http://www.pluto.dti.ne.jp/~yubon/]
[http://aririn7.cool.ne.jp/yubon/dic/

ま [ ma ]

マーク・サニー Mark Sunny

>>>Universal Interactive Studios、サーニー・ゲームズ社
スパイロ・ザ・ドラゴン、とその続編、スパイロ×スパークス〜トンでもツアーズの総合プロデューサー。クラッシュ・バンディグーシリーズのプロデューサーなど、アメリカ発のアクションゲームの名プロデューサーで、10を越える数のミリオンヒット作品を生んでいる。
13才の時に大学(カリフォルニア大学バークレー校)に入学、17歳でAtari社に入社。19歳で『マーブル・マッドネス』を開発。85年(20歳)でセガに移籍。ソニック2の開発部隊の初代部長などを努める。92年Crystal Dynamicsに移籍。『CRASH AND BURN』『TOTAL ECLIPSE』などを製作。94年Universal Interactive Studioを設立。
 また、日本語にもかなり堪能で、漢字の書き順まできっちりわかるらしい。まさに「天才」と呼ぶに相応しい人物の一人。

マーク・フリント Mark F. Flint

1943年生まれ。『ムーン・ボール』『ZONE』『ハイウェイスター』などの作品で名前が知られるが、謎が多く写真も出回っていない。本職は石油メジャー系列会社の社員らしい。

前川 正人 Masato Maekawa

>>>トレジャー社長。
元コナミ社員。魂斗羅や悪魔城ドラキュラなど、FC時代のコナミの黄金アクションゲームを作ったメンバーが独立して前川氏を代表にトレジャーを設立した。メガドラで『ガンスターヒーローズ』『ダイナマイトヘッディー』『幽々白書 魔境統一戦』サターンで『ガーディアンヒーローズ』。ESPで『シルエットミラージュ』。DCでは『爆裂無敵バンガイオー』。N64では『罪と罰』が大ヒットしている。
 FC時代にコナミのヒットさせたアクションゲームのキャラクターを集めた『コナミワイワイワールド(2まで)』という非常に面白いゲームがあったのだが、今考えるとあのゲームはかなりの部分が『トレジャーワイワイワールド』かもしれない。
 パズルゲームマニアで、独自のパズルゲーム理論を雑誌「ゲーム批評」に掲載していたりもする。

桝田省治 Shoji Masuda

>>>マーズ
 リンダキューブ、俺の屍を越えてゆけ、など。いい意味ででしゃばりな感じの人。もともとは広告代理店につとめていたらしいが、広井王子の所為でゲーム業界に転職させられることになったらしく、バンダイの出すゲームなどに数多くかかわっている。シナリオはともかく、いいシステムのゲームを作るゲームデザイナーとして高く評価できる。
 彼がホームページの掲示板の書き込みに対して毎回、非常に丁寧に返信しているのを見ると、この人は本当にエネルギッシュで誠意のある人だな、と感じさせられる。
[http://www.linda3.co.jp/menu.shtml]

桝山寛 Hiroshi Masuyama

>>>ダブ
 1958年生まれ。『マネースマート』『巨人のドシン』『エンエンエンジェル』の開発に関わるほか、ビデオゲームの研究者としても注目を集めており、著作に『テレビゲーム文化論』『電視遊戯時代/テレビゲームの現在』などがあり、『テレビゲーム展』『BIT GENERATION 2000+1』『GAME_OVER』といった展覧会開催も行っている。肩書きはメディア・プロデューサー。

[http://masuyama.com]

松浦雅也 Masaya Matsura

>>>free?
『パラッパ・ラッパー』『ウンジャマ・ラミー』『ライムライダーケロリカン』『ビブリボン』『モジブリボン』などを手がける。ミュージシャンでもある。1961年大阪生まれ。

[ http://www.nanaon-sha.com/ ]

松野泰己 Yasumi Matsuno

>>>スクウェア・エニックス
 ディレクター、プロデューサー。元クエスト社員だったが、どういう事情があってかスクウェアに移った。洋ゲー風味と異様な程によくつくりこまれたゲームを作る。前評判もなく、社名も全く有名でなかったところから大ヒットを飛ばした『伝説のオウガバトル』をつくり、その後、続編として、多くのゲームファンに絶大な支持を誇る『タクティクスオウガ』を製作。その後スクウェアに移籍し、『FFタクティクス』そして『ベイグラントストーリー』『FFタクティクスアドバンス』を製作。『FF12』ではプロデューサーをつとめる。

真鍋 賢行

>>>エコールソフトウェア
元々はCAD業界で有名な会社だったが、1995年に社員を騙していきなりゲーム業界に参入。伝説的ゲーム『デスクリムゾン』開発者として有名で、その独特の人柄にファンも多い。『デスクリムゾン』のオープニングムービーで主人公のコンバット越前が口走る「せっかくだから」はセガファンやクソゲー好きのゲーマーの間では有名な合言葉。他の作品としては『ぱっぱらぱおーん』『ドリームジェネレーション』『せがた三四郎 真剣遊戯』『ムサピィのチョコマーカー』など。

[ http://www.e56.info/ ]

三上真司 Shinji Mikami

>>>CAPCOM
1990年カプコン入社。『ハテナ?の大冒険』『アラジン』『DINO CRISIS 2』『Devil May Cry』の開発に携わる。『バイオハザード』ではディレクターと企画担当。その後は、総合プロデューサーとして『バイオハザード』シリーズの制作に関わる。1965年山口県生まれ。

三並達也 Tatsuya Minami

>>>CAPCOM
ガイアマスター(PS)、バイオハザードガンサバイバー(PS)「ブレス オブ ファイア V ドラゴンクォーター」(PS2)「クロックタワー 3」(PS2)など。現在、バイオハザード3(DC)を含め、数々の作品を統括している。

水木潔 Kiyoshi Mizuki

>>>KONAMI
ビートマニアの発案者として有名。

水口哲也 Tetsuya Minakuchi

>>>ユナイテッドゲームアーティスツ代表。
かつてのソフト9研を率いていた。現在は分社化で上記の社の代表に。スペースチャンネル5、Rezなどで有名。「快感」をいかに紡ぎだすかということにかけて、ものすごくラディカル。

三船敏 Satoshi Mifune

>>>セガ
鈴木裕氏とともに『ハングオン』『スペースハリアー』などの体感ゲームをてがけている。『バーチャストライカー』シリーズのプロデューサー。他に『GPライダー』『バーチャNBA』なども。

宮岡寛 Hiroshi Miyaoka

>>>クレアテック
『METAL MAX』シリーズのゲームデザイン・シナリオで知られる。最近では『天空のレストラン』『タワードリーム2』『いただきストリート3』など。「ミヤ王」というニックネームが有名。『ドラゴンクエスト2』でシナリオアシスタントなども担当していた。

宮路武 Takeshi Miyaji

>>>ゲームアーツ
宮路洋一の弟で技術部門を統括している。兄、洋一とともに宮路兄弟として有名。

宮路洋一 Yoichi Miyaji

>>>ゲームアーツ代表
1985年ゲームアーツ設立。『テグザー』『シルフィード』『ゼリアード』『ヴェイグス』『ファイヤーホーク』『アリシアドラグーン』『ゆみみみっくす』『ガングリフォン』『だいなあいらん』『グランディア』『ルナシリーズ』など。弟の宮路武と共同で開発。

宮本茂 Shigeru Miyamoto

>>>NINTENDO
1952年生まれ。1977年任天堂入社。スーパーマリオ、ゼルダなど。世界で最も有名な開発者だと言われている。かのウィル・ライト氏が“父”と呼ぶほどの人物であり、ポールマッカトニーが息子のためにサインを求めたといった逸話は有名。
 また、彼の場合「過去の偉大なクリエイター」などではなく、最近でも『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』や『ピクミン』など、のプロデュース(あるいはエグゼクティブプロデューサー)をつとめ、現在の状況にとっても欠かすことのできない人物である。そして、<現在の>ゲームのあり方について、発言をつづけ、刺激を与えている。

村澤裕一 Yuichi Murasawa

>>>スクウェア・エニックス
元はクエスト。『タクティクスオウガ外伝』ディレクター、『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』ディレクター

メタルユーキ(日本人) Metal Yuki

>>>コナミ
ときめきメモリアル1でサウンドディレクター。2ではプロデューサー。『DDR』(家庭用)のプロデューサーでもある。他に『みつめてナイト』『ポップンミュージック』シリーズ等。

森川幸人 Yukihito Morikawa

>>>MuuMuu
『ジャンピング・フラッシュ1〜3』『アストロノーカ』 『サムライメック1,2』 『頑張れ森川君2号』などを製作。1995年、ULTRAからMuuMuuに移籍。フジテレビ『ウゴウゴルーガ』の人、としても有名。

森田和明 Kazuo Morita


1955年生まれ。80年代当時ゲームでのプログラミングが難しいといわれていた『森田将棋』や『アルフォス』などを発表。他に『森田のバトルフィールド』『オセロゲーム』などがある。83年ランダムハウスを設立。1998年に、悠紀エンタープライズがランダムハウスの営業権、決済権を取得し、現在の『森田将棋』は悠紀エンタープライズから発売されている。

や [ ya ]

矢上総一郎 Soichiro Yagami

>>>アルファシステム
 少なからぬゲームファンから大きな支持を得ている『ガンパレードマーチ』のプランナー、シナリオ、主設計、ガヴァナー。次回作に強く期待したい開発者の一人である。

矢野周一 Shuichi Yano

>>>シフト
 XI[sai]の製作チームリーダー。XIの製作チームであるシフトはたったの5人という小人数で、SCEのプロジェクト《ゲームやろうぜ》で慶応義塾の大学院生の時にデビューした。大学2年生の時のSFC(慶応義塾湘南藤沢キャンパス)の情報処理の授業でC言語でゲームを作ってみて目覚めたという。

山内一典 Kazunori Yamauchi

>>>ポリフォニー・デジタル
 『グランツーリスモ』『オメガブースト』のプロデューサー。両作とも発売元がSCEIだが、製作元はポリフォニーデジタル1967年生まれ。。

山岡晃

>>>コナミ
 『サイレントヒル3』プロデューサー。元はフリーランスのグラフィッカー、その後Konamiに就職してサウンドディレクターをやっていた。『サイレントヒル』シリーズの音楽は通して担当している。

山名学Manabu Yamana

>>>ジニアス・ソノリティ株式会社社長
 現在のドラゴンクエストのメインプログラマー。6からのメイン。ドラゴンクエスト7のロードの速度は脅威(バグりやすいけど)。

山本 健康

>>>ナムコ
 『サイバーコマンド』『トーキョーウォーズ』などの開発に関わる。

山本浩 Hiroshi Yamamoto

>>>シュガーアンドロケッツ
 プログラマー。『Jumping Flash!』、『Jumping Flash!2』、『攻殻機動隊』『ポケットムームー』など。派手なヒットはとばしていないものの確実に評価されている作品を作っている。

ユージン・ジャービス Eugene Jarvis

1955年生まれ。大学卒業後、ヒューレット・パッカードに就職するが3日で退社し、その後アタリ社に入社。世界初のスクロール・シューティングゲーム『Defender』で知られる他に『Stargate』(Defender2)、『Firepower』などで知られる。日本での知名度は低いが、マーク・サーニー、横井軍平、中祐司、ウィル・ライトなどと並び、IGDA生涯功労者賞を受賞した一人。 [ はてなキーワード ユージン・ジャービス ]

横井軍平 Gunpei Yokoi

>>>任天堂[故人]
1941年生まれ。ファミコンが売れるよりももっと前からの任天堂を支えていた業界のビックネーム。 『ウルトラハンド』の考案、十字キーの考案、他にゲームウォッチ、ゲームボーイ、バーチャルボーイの生み親でもあり『ドクターマリオ』『GUNPEY』なども手がけた。業界の偉人。
96年任天堂を退社し株式会社コト設立。1997年交通事故で他界。享年56。最後に手がけた作品は『GUNPEY』ではなくて『くねくねっちょ』らしい。

吉池真一 Shinichi Yoshiike

>>>ガスト
マリーのアトリエ、エリーのアトリエなどアトリエシリーズのプランナー

吉沢秀雄 Hideo Yoshizawa

>>>ナムコ
『R4』『エースコンバット3』『ミスタードリラー』『風のクロノア』等の開発者。FC時代は『忍者龍剣伝』(テクモ)などを作っていた。ナムコの有名人。

吉村功成 Kotori(旧:Katsunori) Yoshimura

>>>Pegasys
『スタークルーザー』などの開発者。遠藤雅伸さんから、「あなたの作るソフトはカロッツェリアみたいなもんだから、本職を別に持って、じっくり作れば?」と、云われたのがきっかけで、現在は本職のほうはゲーム開発から少し離れており、ゲームは個人ベースでしこしこ開発中。個人ベースではなかなか辛いので、協力者募集中とのことです。(吉村さんご本人からメールをいただきました)

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 (2005年5月)
はたまた、吉村さんご本人からメールをいただきました。つい最近、吉村さんは性同一性障害であることを告白され、公的な名前としての「功成」の読みも「かつのり」から「ことり」へと変更されたとのことです。変更の理由については、いただいたメールによれば、 「フルタイム女性の格好で通常生活してますし、/ さすがに「かつのり」は無いだろう…という事で、/(もう、胸も有るし・・・) 女性名に見える読みを探した結果です。/会社にも、変更の了承を頂いて、/公的な変更を色々と開始したところです」 とのことです。
[http://www.urdcat.com/]

米光一成 Kazunari Yonemitu

>>>スティング
『ぷよぷよ』『アレスタ』『トレジャーハンターG』『バロック』 など他多数。1992年、コンパイルからスティングへ移籍
[http://www.asahi-net.or.jp/~IH9K-YNMT/](運営)

ら [ ra ]

ラルフ・ベア


世界初の「家庭用」のテレビゲームであるオデッセイの開発者。オデッセイはマグナボックス社から、開発されるも、10万台程度の売り上げにとどまり、マグナボックス社はそのまま撤退してしまった。

[テレビゲームオデッセイ ラルフベア氏インタビュー]

リチャード・ギャリオット Richard Garriott

>>>Origin
 1961年英国生まれ。育ちはアメリカで、父親は有名な宇宙飛行士、兼、大学教授。高校生の時に制作した『AKALABETH』を1979年に発売し、それからゲーム業界に飛び込みカリフォルニア・パシフィック社にて『AKALABETH』の改良版としてRPGの草分けである『Ultima』シリーズの開発をはじめ、83年大学卒業時にオリジン・システム社を設立。92年にオリジン・システム社はエレクトロニック・アーツ(EA)社に買収される形で、EAの社員になる。96年3月にMMORPGというジャンルを普及させるきっかけとなった『UltimaOnline』のプレアルファテストを開始、97年9月に製品版をリリース。2000年にEAを辞職し、デスティネーション・ゲームズ社を設立。2001年、同社を『リネージュ』で知られる韓国のNCソフトと合併。
 2003年現在「全人類に共通の普遍な言語」を作り上げ、シングルプレイヤーゲームとMMORPG双方長所を取り入れる、という野心的なゲームを開発中。
 実績も、発想も常人とはかけはなれた人の一人。

ロバート・ウッドヘッド Robert J. Woodhead

>>>?
1959年生まれ。アンドリュー・グリーンバーグと共に『ウィザードリィ』の作者として名高い。ダイエットに成功したらしい。

わ [ wa ]




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●参考とさせていただいた主な資料/サイト
●このデータを作成しはじめた年:2001年から。
●現在の掲載人数:216人(2005年6月3日最終更新)

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