※下記の記事は5年以上前もので、現在はかなり変わっています。井上による2008年7月現在のゲームの定義論については、モバイル社会研究所発行の機関紙『未来心理 vol.13』http://www.moba-ken.jp/theme/msr/msr_cover/msr_013 にて掲載されたものをご参照ください。
→「遊びとゲームをめぐる試論 ―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか―」http://www.moba-ken.jp/wp-content/pdf/vol.13_inoueakito.pdf
ゲームの定義はさまざまなものが提出されているが、当サイトではとりあえず以下の三条件を「狭義のゲーム」の成立要件とかつて、していた(ただし、ビデオゲームが必ずしも以下のような意味での「ゲーム」である必要性があると論じるつもりはない。ビデオゲームと狭義のゲームはイコールの関係にはない)
- 1.ルールのよって行動のパターンが限定されていること
- 2.行為、行動、意思決定の指針が目標や評価システムによって方向付けられていること。
- 3. ゲームの参加者のとった行動(選択)の差によってゲームの結果および過程が異なるものであること。
もっとも、こういった「ゲーム」の定義を行う基準は、数多くのものが考えられ、細かい話をすれば、あの場合はどうなのか、この場合はどうなのかというようなところで、重箱の隅をつつくような議論が何ヶ月も繰り広げることができるような議論である。だが、そういった議論というのも結局は、「ゲーム」の範囲設定をどの程度のところまで置いて考えるか、という点に大きく依存している。どんなに細心の注意を払った定義をしたところで未来においてその定義の境界例となるような作品が出現する可能性は永久に否定できない。
重要なことは、「完璧に妥当なゲームの定義」などというものではなく、たくさんの定義がある中で多くの人が納得するようなものをどれか一つ採用しまったり、議論に応じて必要な定義を選び取れるような多種の定義が参照できることだろう。
他の定義もいくつか紹介しておこう
- ○コスティキャン(2002)「内部的な意味でゴールの方へ努力することをプレーヤーに要求するようなインタラクティブな構造(an interactive structure of endogenous meaning that requires players to struggle toward a goal)」
- ○ざるの会(1997)「「ゲーム」に近似した関数を核とし、人間の入力に対して、快感を供給するべく映像・音響に類する刺激に変換された出力を行なう、関数群体系」
また、これらの定義群を大別してみると、
(A)「楽しみ」という形でゲームプレイヤーの中に沸き起こる主観的な感覚を軸に定義を考えるもの
(B)ゲームプレイヤーの主観的感覚は無視して、観察可能な構造に着目するもの
というような2つの形に分けて考えることができるだろう。
対象について †
特に問題となることの一つが、どこからどこまでがゲームか。という話である。
境界例としてしばしば議論となるものをいくつか挙げてみる。
(詳しくはゲームの範囲設定を参照)
- 1.「遊び」と「ゲーム」の区分はどこで引けるか
- →たとえば、G・H・ミードなどの議論を参照
- 2.「play」と「ゲーム」の区分はどこで引けるか
- →Zimmerman&Satie『Rules of Play』の議論を参照
- 3.「パズル」はゲームか
- →結果の多様性がない、という意味ではあまりゲームではない部分もある。だが、パズルを完成させられるかどうか、ということは結果が不確定なのでゲーム。
- 4.「宝くじ」はゲームか
- 5.最適解が明らかになっているもの(○×ゲーム)はゲームか
- →最適解が明らかになってからはゲームとして遊べないが、最適解が明らかになる瞬間まではゲームかも。
- 6.推理小説はゲームか
- →読者の行為のありようによっては、ゲームをやっているのに近い状態でありうる
- 7.恋愛やビジネスはゲームか
- →通例、ゲームとしての要素をいくつか含むので「広義のゲーム」とするか、「パイディア」とする。
関連 †
ゲーム性ゲームデザイン論遊び研究狭義のゲーム性?ゲームの範囲設定
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最終更新: 2008-10-02 (木) 22:57:31 (4500d)