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ビデオゲームをめぐる問いと思索
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田尻智『パックランドでつかまえて』 ファミ通Books 2002(1990)と「ゲーム史」

 ポケモンの田尻智によるエッセイ集。

 ゲームそのものの話というよりも、ゲームプレイヤーである田尻智の1980-1990年の思い出話といった方が正しい。なので例えば、田尻さんの『新ゲームデザイン』のようなタイプの話を期待しているのならば、ちょっと肩透かしを食らうだろう。

 ほのぼのとしたエッセイの好きな人とかならば面白いと思って読めるのかもしれないけれど、うーん、どうだろう。こういうゲームプレイヤーのゲームに関する思い出というのはそんなに面白いと思われるものだろうか…。

 ごく個人的な興味で言えば、田尻さんが1980年代にどういうゲームにどのくらい入れ込んだか、という記録は一回り以上世代の違う私からすれば、田尻さん世代の「ゲーム史」のリアリティと、自分の世代の「ゲーム史」のリアリティの違いを感じられる、というところではとても面白い。

 自分の世代の感覚で言えば「インベーダーブーム」とか「ゼビウス」「ドルアーガの塔」などが熱かった時代というのはものごころ(ゲームごころ?)がついた頃には既に過去の時代の話になっていたので、80年代前半のゲームセンターというのは、確かに同時代を生きてはいるけれども、その現場に居合わせるような年齢ではなかったので、単なる知識としてしか知らない。

 それにあとがきに書かれている田尻さんの

 ビデオゲーム史に照らし合わせてみれば、名作に値するタイトルが多かったのは1980年代であろう。1コイン100円すら持ち合わせてなくても、当時のゲームセンターには入ってみるだけで特別な何かが味わえそうな高いテンションが場を支配していた。思春期の青少年にとって、ある意味色香すら漂わせた黄金時代といえるだろう。

 みたいな記述も、「ああ、そうなのか、田尻さん世代(1965年生まれ)にとっての『ゲーム史』はやはり1980年代を黄金世代とする認識で形成されてるのか」というような世代間の違いを感じさせるような記述としてしか読むことができない。

 1980年代の後半からファミコンに触れた私の「ゲーム史」の感覚は「ファミコン」で与えられたものというのが一番初期の状態なので「ファミコン=ゲームとはこういうようなもの」というような認識からはじまって、それゆえに「ファミコン」の時代は進化とも何とも感じられず、それ以降の90年代の発展こそが、「ゲーム史」の中核を占めているような印象が強い。私にとっての印象深い作品はせいぜい1987年、1988年からはじまって、90年代中盤ぐらいがピークで『DQV』『伝説のオウガバトル』『タクティクス・オウガ』『ライブ・ア・ライブ』あたりの自分の中高生ぐらいの時期にやったものというのが、一番「勢い」を感じていた。

 もちろん、私の認識は前の世代からも、後の世代からちょっとリアルには認識できないようなおかしなものにうつるんだろうと思う。(もちろん、同世代であっても異論はたくさんあるだろうけれど)

 私の知っている88年生まれの子供は、『FF7』(1997年1月発売)が一番インパクトが強いゲームだったと言っているし、私よりちょうど5歳上のある人は、きっちり5年ぐらいずれこんで「ファミコンの頃でゲームデザイン的な進化はだいたい終わった」が持論になっている。(私になると「90年代の発展っていうのはすごかった」という印象になる)

 小学生の子供のゲーマーで知ってる子もいるけれども、その子にとってインパクトのあるゲームというのはまだないのかもしれない。でも、とりあえずその子は今、『OnePiece』とか『Naruto』のゲームを必死こいてやっている。私の世代ならば、アニメとのタイアップ作品なんて、中途半端な感じのものが多くて必死にやれるようなものは少ないという印象が強いと思うのだけれども、『OnePiece』とか『遊戯王』をやっている世代の認識は違うんだろうと思う。そもそも、ゲームに対する認識が開始された瞬間に『ICO』とか『AC04』みたいなものが出回ってるんだから、「映像のリアリティ」というのはさほど賞賛すべきものでもなんでもなく、単なる映像のバリエーションに過ぎないんだろーなー、とか思うと、すごい話だと思う。そしておそらく、『ICO』のレベルからはじまった世代は1980年代を中核とするような「ゲーム史」の感覚も1990年代を中核とするような「ゲーム史」の感覚もおそらくほとんど理解してくれないだろうし、 そもそも理解できないだろうと思う。しかし、彼らは2000年代を中核とするような「ゲーム史」や、2010年代を中核とするような「ゲーム史」であれば、多分、ものすごく明瞭にそれを感じることができるんだろう。とか考えていたら、なんだかうらやましくなってきた。


© Akito Inoue [ 2003/10/13 ]