Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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光の速度では遅すぎる

 ネットワークを介した「リアルタイム」ゲームでは、処理速度の限界がしばしば問題となる。  光の速度は、一秒間に地球を7週半するわけだが、それはつまり、地球の裏側同士で、対戦ゲームをやろうとしたばあい、7.5fpsの動画が限界ということにだ。だが、ゲームセンターでの格闘ゲームで標準的に求められるfps(Frame Per Second)は、60fpsが通常である。コンマ0.01秒を競うレースゲームでは、60fpsでも十分ではないと言われている。こうしたことから、ネットワークゲームが真にゲームに必要な速度を出すためには光の速度では遅すぎるということがよく言われる。  この速度の限界があるため、現実にアメリカのFPS(First Person Shooter)のゲームなどでは、西海岸と東海岸で戦うときにはサーバーがどこにあるかによってハンデを付けながら戦ったり、西海岸は西海岸で、東海岸は東海岸でコミュニティが形成されるというような状態を作っている。  

遅延レイテンシ

リアル・タイム・マシーン展行ってきました。 を参照。

死と静謐〜ICOとマリオの「リアルタイム」〜

 『スーパーマリオブラザーズ』における時間とは、画面右上のタイマーによって象徴される。時間とはゲームオーバーまでの距離である。マリオにおける時間感覚は、常に時限爆弾のすぐ手前で爆弾解体を行う、爆弾処理班と同類のものである。ここでは、規定の時間までにいかに効率的に作業をなしとげるのかということがもっとも重要に意識されることとなる。規定の時間までに爆弾を解体しなければ――その面をクリアしなければ――、爆弾は爆発し、ゲームオーバーが待っている。時間が少なくなればなるほど、緊張感はまし、作業をおこなうものはせっつかれることとなる。マリオで100秒を切ったときの音楽を思い出して欲しい。クリアすることと無縁な行為は、「無駄な行為」であり、時間に余裕のあるときならば可能だが、時間に余裕のないときは一切の無駄な行為は省かれていくことなる。

 『ICO』における時間はマリオと同じく「リアルタイム」である。ターン性や、行動順によって行為をするわけではない。だが、ICOにおけるそれは一般のアクションゲームのそれとは大きく違う。常に何かをしなければならないわけではなく、常に高速な反応を迫られるわけではなく「何もしないこと」が選択可能だ。何かを急かさないからこそ、その静謐さは、もっとも生々しい姿でわれわれのまえにたち現れる。また、もう一つ重要なのは、微妙な時間的な「ズレ」が配置されているということだ。 少年が少女を呼ぶ「オファ、オファ」という声をあげてから、少女が反応し、かけつけてくるまでの時間の落差がある。少年が少女の手をひくとき、少女の体がひっぱられるときの微妙なズレ。ICOでは、体の動きのリアルさ、というレスポンスの良さを確保しつつも、一方では匠にこのようなズレを象嵌していく。このようなレスポンスの悪さ、すなわち不自由を配置することによってICOの時間はマリオ的な時間とは全く別のものとして立ち現れることとなる。  ここでたちあらわれる「リアルタイム」の「リアル」は技術的には同様のものでありながら、まったく別の方向を向いている。ここでは、前者を賑やかな時間、後者を静謐な時間と、名付けてみたい。  静謐な時間は、ゲームの時間が普段あまりにも賑やかだからこそ、突如として訪れるその時間のあり方に驚く。静謐な時間は、退屈な時間ではない。退屈な時間は、やることがなくて暇をもてますわけだが、そのような状態ではない。環境がプレイヤーに何も急かしてこないだけであって、やることがない、ということとは異なる。  また、賑やかな時間は、喧噪ではない。あれもやれ、これもやれ、ということにあたふたして、処理能力をオーバーするような時間では(必ずしも)ない。ある特定の時間のセットを与えられて、その時間内になにかしらを処理することがはっきりと見えている状態だろう。


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最終更新: 2007-03-09 (金) 19:38:41