[ クソゲーの定義 ] |
米島 : じゃあ、今日は気楽にクソゲーの話でもしようか。ほら、オレ、クソゲーマーだし。
瀬上 : え?クソみたいなゲーマーってことですか?(笑) 米島 : いや、違う違う。クソゲーのゲーマー(笑)。
瀬上 : それも何だか、似たようなもんですね(笑) 米島 : 違うよ、全々(笑)
瀬上 : で、クソゲーの話ですよね。 米島 : そうそう。
瀬上 : クソゲーといえば、僕思うんですけれどもね、クソゲーの定義って何なんですか? 米島 : これはもう笑うしかないって感じの、どうしようもないゲームのことかな(笑)。
瀬上 : はあはあ。となると、単に面白くないゲームは、クソゲーではない? 米島 : 一般的な意味で言うと、面白くないゲーム=クソゲー、ということになっちゃってるから、一般的にはそうなんだけれどもね。単に面白くないゲームはクソゲーマーはやらないから。
瀬上 : そうなんですか。 米島 : ああ、そういう人は結構いるねえ。FF8とかクソゲーってね。確かに面白くない部分があることはそうなんだけれども「クソ」という文字を与えるほどのもんじゃないよね。あれはちょっとかわいそうかな、と思うところはあるね。単に「面白くない」ぐらいの言葉で止めておけばいいのに。
瀬上 : そうですよね。実験的な作品とか、例えば飯野賢治さんの作品とかも確かに「ちょっとな」という部分があるにしてもあれはクソゲーではなくて、実験の末の失敗と成功との結晶物というようなものですよね。 米島 : それなりに面白いしね。気合の入ったクソゲーとなると起動した直後に「どうやって遊ぶんだ!これは!」となるから(笑)
瀬上 : まあ、その感覚はちょっとよくわからないんですけれど……。「クソゲーを面白がる」という文化を装って、明らかに作品を識別する行為が行われているというような状況って、なんとかならないでしょうかね。あれは、判断をしていないようでいて判断をしている、というのが嫌らしくて好きになれないんですよね。 米島 : まあ、でもさ、そうは言ってもどの作品ならば紛うことなきクソゲーで、どの作品ならば、クソであるかどうかの判断が微妙なのか、という議論ってちょっと難しいところもあるけどね。前に実際、オレがこの作品は問題なくクソゲーだと思っていたものだって誉めてる人はいたからなあ。
瀬上 : そうですか。なるほど。ライン引きは難しそうですね。 米島 : うん、だからさ、どっからどこまでが紛うことなきクソゲーでどっからどこまでが判断の微妙なところか、というライン引きの議論をするのではなくてさ、そもそもクソゲーを楽しむ文化というのは、作品の良し悪しに対する言及を内在的に含んでいるものだ、と考えてクソゲー文化と接していけばいいのではないか、と思うんだけどどうだろう。
瀬上 : それは、つまり「ここではこの作品はクソゲーと言われているけれども、それはこの記事を書いている人間の主観的な判断であって、絶対的にこの作品がクソゲーであるわけではない」という認識をクソゲー関連の記事を読む人間に対して求めたらどうか、ということでしょうか? 米島 : いや、それは、読む人だけじゃなくて、書く人もね。 |
2001-7-7 |