私はここで彼女が死んでしまうこと、殺されてしまうことを回避できない。一日前に戻ってあの発言を撤回することができない。彼女と私のあの日の行動は確実に記録され残っている。私はあの日の行動の記録を消すことができなくなった。もうすでに、彼女が死んでしまう前に戻ることが可能な日へと戻ることができなくなってしまったのだ。彼女が死んでしまうことは私のメモリーカードに確実に記録されてしまった。そして彼女を殺してしまったのは私である。彼女はただ私の行為によって死ぬことを余儀なくされた。
 ……もちろん、彼女はただプログラムであるといえばただプログラムにすぎないかもしれない。だが、彼女はただプログラムとして存在しているだけではない――少なくとも私にとっては、彼女は20時間をかけて私がゲームの中に関わったことで存在しえたものの総体なのである。「彼女」と私が表記するそのデータには私の20時間のゲームとの関係性の総体がそこに存在しているのだ。その時、彼女はただ単なるプログラムや、あるいはただのデータという無機質な存在であることを抜け出して、間違いようも無く私にとって意味を持った一つの存在として成立してきたのだ。「彼女」は私を反映した一つの存在であり、同時に私という存在を反映しながらも私にとって未だ自由にならない存在でもある。「彼女」とはデータであり、プログラムである。だがそれは私にとってはただの0と1の羅列ではない。
 それゆえに私は「彼女」という存在が、「死」を得ること。つまりプログラムとして停止し、データとして消去されてしまうこと。そのことに悲しみを覚えざるを得ない。これはただ、私だけの悲しみである。
 
©Akito Inoue 2002.1.26