古谷実『ヒミズ』2巻について
 
 「この腐敗した世界に産み落とされた―――」
 
 という歌詞がある。よく提示される世界観の一つである。
 この世界観が間違っているのか間違っていないのか、ということを問うことは出来ない。世界とはどのようなものであるのか、ということを事実として記述することはある程度は可能かもしれないが、世界というものが素晴らしいものなのか、あるいは腐敗し苦痛に満ちたものであるのか、という性質・価値についての「世界をどう感じるか」という問題は基本的には感じる人の側の経験意識に委ねられており、それについて他人がどうこういうことは難しい。
 今のところ、私を囲む世界はそれほど苦痛に満ちているわけでもなく、世界が腐敗しているという感覚はそのままには受け入れ難いが、もしも私がユーゴスラヴィアに生まれ育ち戦火の中を生きる日々を過ごしてきた人間であるのならばその感覚というのはわざわざ記述して人に伝えるのも馬鹿らしいものであるかもしれない。
 
 腐敗している世界を描いた物語は沢山ある。そしてそれが単純な英雄譚などであれば、主人公はその腐敗した世界を改革する力を持った強い人間であり、腐敗した世界の中でその状況に呑み込まれながら世界を悲観する弱者の群れとは「違う人間」である。主人公が「違う人間」であることは、まわりの人間達からも主人公が優秀で強い人間だという視線を浴びることと、そして主人公自身が自らが優秀で「違う人間」であることをほとんど自明のものと意識していることによって世界の腐敗を克服しようという意志を持つに至り、腐敗の根源たる悪を倒し、腐敗とその腐敗に従って生きるしかない弱者――という世界の負の循環構造を克服しようとする。もっとも、そのような非常に単純な英雄譚でなくとも、腐敗した世界が描かれる時、主人公はおおむね弱者とはことなった「違う人間」であるか、あるいはもう少し悲観的な話になると自らも腐敗した世界の構造に従うしかない弱者となり、世界を悲観することでその世界に生きることを受け入れていく存在となるという物語である場合もある。
 
 ヒミズの主人公は、そのような克服の仕方をしない。いや、まったくもって優れた能力を持った人間でもなければかといって世界を悲観すれば済むと思えるほどに単純な人間でもないがゆえに、そのような克服の仕方をすることができない。ヒミズの主人公は自らが決して駄目人間と完全に隔たった「違う人間」であるなどとは思っていない。思い込もうとしても、自らが駄目人間と「違う人間」であることを純粋に信じることができない。それゆえに「オレはあんな駄目人間ではない」ということを自らに言い聞かせるためにその言葉を繰り返し言いつづけなければ、自らの中に暗くじっと待ち構えるようにして存在している不安に耐えることが出来ない。「オレは駄目人間では無い。ちゃんとした普通の大人になるのだ」ということを常に強固な目的として掲げていなければ、「普通の大人」になるために緊張感を維持していなければならない。少しでも緊張感を崩してしまうと自分でも気づかぬ間に駄目人間の渦の中に巻き込まれ、自分自身が自分の最も嫌う弱い人間の一人になってしまう。そんな人間にはなりたくない。だけれどもそんな人間が彼の近くには何人もいる。そしてまた、彼もその駄目人間の渦の中に呑み込まれて弱い人間の一人になってしまえば実は楽なのではないか、という迷いすらある。しかし、それでも彼はそうなることを拒否することを選ぶ、自分をこのような悲劇的状況の中においこんでいる「自堕落な人間のクズ」である父親と同等の人間になってしまうことを選び取りたくなどはないからだ。そんなことなど決して選び取りたくない。
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 だが、しかし彼がほんの些細な、実にほんの些細な油断をした瞬間に、彼の身体は彼の「保たなければならない」と感じていた彼の強固な意志からの脱走に瞬間的成功を果たして、ほとんど自動的に彼の身体は彼の父親を殺してしまう。その緊張感を崩した瞬間に彼は自らもまた――それが決して彼自身が望んだことではなかったことだが――ついにあの駄目人間の渦の中に巻き込まれてしまったのだ、ということを逃れようのない真実だとして意識せざるを得なくなる。何としてでも信じたくないことではあるが、彼は黙って自らの罪の証である父親の死体を埋めなければならず、その罪の証として父親を埋めた後の、家の前にある少し盛り上がっている土を見つめることから逃れることができない。オレはもう人を殺してしまった、オレはもうオレの軽蔑していた駄目人間であるのか?そのことが彼にとってどうしようもなく逃れがたい問いとして存在してくるのを、まったくもって誤魔化すことができない。
 ここで、その渦の中に呑み込まれて終わってしまうのならば、ただ人間の弱さを描いたに過ぎない全くどこにでもある物語の一つでしかないが、ここでこの主人公は、その弱者の渦の中に飲み込まれてしまうことをなんとしてでも拒否し、なんとしてでもそうなってしまうことから逃れようとあがくことを決断し行動する。自らの在り方を安定させるために「悪い奴」を探す。あまりにもそれが無様なあがきであることは彼自身が言うまでも無く認識していることだろうが、それでも彼は無様であってもあがかざるを得ない。
 
 ここからどのような形であがきうるのか、当面そのあり方を描くことがこの『ヒミズ』という作品の今後の展開だろう。古谷実が何を描きうるのか。強く期待したい。
 
 ©Akito Inoue 2002.1.25