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2005年11月06日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■近況
勝手ながら今週半ばまでは、死ねるスケジュール進行なので申し訳ありませんが仕事以外ではあまり応答できない予定です。返信等必要な方はまったりとお待ちいただければ幸いです…
2005年10月12日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■東大ゲーム研究プロジェクト講演
次の東京大学のゲーム研究プロジェクト(10月28日)で、講師をつとめさせていただくことになりました。内容は最近考えていることというよりかは、昔、少しだけかじった遊び論の内容を、僕なりにお話させていただくという感じになりそうなので、ゲームを論じる方に面白い内容と思っていただけるかどうか大変に不安ではありますが、興味のある方は東京大学ゲーム研究プロジェクトのページにて「定例研究会メンバー」としてご登録の上、お越しください。
2005年10月10日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■いま明かされた衝撃の事実(主に自分にとって)
- 真性引き篭もり2005/09/19真っ直ぐなボール(9)[人間宣言]
- http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/229512/
あとはid:hiyokoyaくらいしか思い浮かばなかった。id:hiyokoyaならば3万はてなポイントを使い尽くすことくらい容易いだろうと考えた。3万ポイントを捨ててしまいたくて仕方がなかった。それは忌まわしき金であり、汚れた金であった。すぐに行動に移した。
はてなのポイント送信画面に行き、id:hiyokoya宛に29000ポイントを送信した。
「送信後の残高が300ポイントを下回る場合は、送信できません。」と表示された。
おそらく、出来レースだった。
僕は冷静さを取り戻した。
金は己で稼ぐ者であり、己で使うものである。
自分のポイントを使って質問を行うからこそ質問は質問たるのだと説いた。
そしてid:hiyokoya宛のポイント送信を中止した。
なんですとー!!!
はてなの仕様をうらみます…
いえ、いきなり29000ポイントも届いたらマジでびびってたと思いますが。
でも、確かにはてなで質問するとき自分の身銭をきっているのとそうでないのとでは緊張感は違うのかもしれません…
2005年08月01日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■GoogleMapでナスカの地上絵や、ピラミッドが見える!
最近、日本版が導入されたことで俄然話題のGoogleMapですが、なんとGoogleMapでナスカの地上絵が見えるという話↓
http://www.drk7.jp/MT/archives/000858.html
この話に驚いたのは、GoogleMapのテクノロジーの水準という意味ももちろんあるのだが、それよりも、この話に驚いている自分に驚いた。
だって、これって実際には、超巨大なjpg画像を見ているのと変わりはないわけだから。だけれども、これが「ナスカの地上絵の写真」や「エジプトのピラミッドの写真」という単に「撮られたもの」と接するとき以上のワクワクした感覚というのがある――し、そのようなワクワク感は決して私だけのものではない。
単に「撮られたもの」として存在する<巨大衛星写真>と<GoogleMap>の差異は、なんだろうか、という疑問に対して、ものすごく素朴な回答を言ってしまえば、インタラクティブであるとか、そういうことなんだろうけれども、
それは単に「撮られたもの」ではなく、「触れるもの」として私の目の前に存在している、というそれだけでこれだけワクワクできるというのが実に不思議。
2005年07月08日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
2005年07月01日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ミュージック バトン
さっくり答えます。
1.Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
7GB。
2.Song playing right now (今聞いている曲)
スティーブ・ライヒ『The Cave』
3.The last CD I bought (最後に買ったCD)
AJICO『深緑』
4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
ゲーム関係でチョイスします。曲名がわからないもの多いですが。
すぎやまこういち『ロトのテーマ』(ドラゴンクエストのオープニング曲)
- この曲がモニターから流れてくるだけで、「あぁぁぁ!」となるのは、おそらく同時代のほとんどのゲームファンに共通する現象でしょう。ほとんど同じような理由で、FFのオープニング曲、ロマサガのオープニング曲もそれが流れてくるだけで、いろんなものがフラッシュバック。
光田康典『クロノ・トリガー』中の「現代」のフィールド曲
田中公平『レナス』中のピアノ曲
植松伸夫『ファイナルファンタジー2』中の城の曲
鈴木慶一?『MOTHER』のオープニング曲
5.Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
放置します。
2005年04月09日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■「真実の読み解き」評論
友人が『攻殻機動隊S.A.C 2』にはまり、エヴァ本ブームのときの「エヴァの真実」のようなタイプの「読み解き」を行うような評論を読んでいる。で、それを「お前も読め」と進められたのだけれども、そういう評論には微塵も食指が動かない。
別にそういう評論が嫌いだとか、ダメだというわけではないが、積極的に読みたいとは全く思わない。興味が無い。そもそもそういった評論というのは作品自体に対して、「読み解き」を行った末に立ち現れるであろう<深遠さ>のようなものを期待する態度が備わっていなければ読むことも書くことも無理だ。私が押井守の信者で、『攻殻機動隊S.A.C 2』を聖書だと思えるような人間ならばそこにコミットしていくことも可能だったのかもしれないが。
……
などということを先月考えていたのだけれども、件の友人は別に押井信者というほどの信者でもなく、何の作品に対してでも「読み解き」的な評論を読めてしまうらしい。たとえば、『2001年宇宙の旅』の評論とかもそういうものが多いが、あれでも読めるのだろう。私にはそういったものの読者になりうるということが不思議。
そういった鑑賞方法そのものが体に染み付いてしまっているとかってことなのか。私はそこに積極的な価値をほとんど見出せないのだけれども、積極的な価値を見出すためにはどういう思考回路を経由すればいいんだろうか。
2005年04月08日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■Political Compass
http://www.politicalcompass.org/
Economic Left/Right: -2.00(Left寄り)
Social Libertarian/Authoritarian: -3.85 (Libertarian寄り)
でした。
2005年04月05日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■つなげました
ネットにつなげるようになりました。
2005年03月26日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■お知らせ
来週から、当分ネットにつなげないかもしれません
2005年02月12日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
2005年01月20日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■2ch有料アンケート
もりたぽ
http://find.2ch.net/enq/result_index.php
はてなアンケートよか、こっちのほうが人が多いのかも。
はてなともりたぽで同じアンケートとって両者の差分を調べてみたら面白いかもしれない。
2005年01月17日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■昆虫認知度。
「虫好きの人にとっては驚くべきことなのだけれども、1.都会に生まれ育って、2.虫好きでもなんでもない人 は虫の見分けがほとんどつかない人が実に多いんだよね」みたいな話を、福島出身の知人としていたら、じゃあ、実際のところどの程度わからないもんなのか、ということになり、ノリノリでまたアンケートとってみました。(n=100)*1
田舎というよりもどちらかといえば都会で育った、という30歳未満の方にお尋ねします。以下の中から見分けのつかないものを全てチェックしてください。
蜂(ハチ)と虻(アブ) 32 蝶(チョウ)と蛾(ガ) 6 カナブンとハナムグリ 57 カゲロウとトンボ 23 コロオギとゴキブリ 6 ガガンボと蚊(カ) 39 ゲンゴロウとミズスマシ 45 カブトムシの幼虫と、アゲハの幼虫 32 ダンゴムシとベンジョムシ 37 ゲジゲジとムカデ 38 羽アリとハチ 12 ハンミョウとオサムシ 68
100円でこれだけわかるのはすばらしいっすね > はてな。
あとはサンプリングをもう少しきちんとできれば、最高ですね。ランダムサンプリングとかは仕様的にできないだろうから、男女均等とか、年齢層均等とかで答えてもらえるようにできれば。
*1:コオロギが「コロオギ」となってるのはタイプミスです。
2004年12月12日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■「ブーム」と「プレイ」をつけるとなんでもポップになる
みうらじゅん曰く、(http://media.excite.co.jp/book/interview/200210/p05.html)
マイナスとされているものを、ポップに見せたりすることが好きなんですよね。とりあえず、なんでも「ブーム」と「プレイ」をつけると、ポップになるんですよ。「童貞ブーム」とか「親孝行ブーム」、「失恋プレイ」「貧乏プレイ」とか、「プレイ」ってことにしちゃえば、ポップな感じになるんですよね。
「××プレイ」、ということが「ポップ」の方向性へと絡められるってのはちょっとすげーな、と。
これを、私なりに言い換えてみると、行為の選択決定というのを自分自身の責任の中で行っていませんよ、ってこと表明し、そしてそれ(わたしが選択していないこと)を他人にも認めさせようとする、ということだよね。
自分の行為が、あらかじめ社会的に組み込まれ用意された選択肢の一つでしかないことを半ば強引に周囲の他人に了解させて行動をするから、その行為がかつていかに「特殊なもの」として表象されていたようなものであったにせよ、「××プレイ」と名づけられた瞬間に社会的な「ブーム」あるいは広義の意味での「ゲーム」の中での、一般的な固有名を持たないプレイヤーの一人に落とし込めちゃんだぞ、と。そうか、選択しているのを選択していないように見せかけるのが、ポップということなのか、と。
みうらじゅんのたとえで言えば、「親孝行」などという概念をベタで持ち出してしまって、そんな行為をやろうと思うなどというのは、若者的感覚からいけばまずヘンだというのがある。だけれども、それが、「親孝行プレイ」という表現をうけることによって、「ベタ」から「ネタ」へ。「親孝行プレイをしてみせるゲーム」などという参照項があたかも存在するかのような表現を引っ張り出してくることによって、そういうことが起こるのだ、と。
に、しても、あらゆる行為の特殊性・異常性を漂白してしまうものとしての「ゲーム」をもってくる、というのは、とてもじゃないが、ビデオゲームの議論の中からは出てこない話だ(笑)。*1
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これをちょっと強引にビデオゲームの話にからめて考えてみる。
ビデオゲームの場合は、「どのゲームを選択するか」ということの中に個人の特殊性は透けて見えてくるのが普通だ。例えば、何か新作ゲームを買おう、という時に『ドラゴンクエストVIII』へと向かうのか、『サクラ大戦V』へと向かうのか、あるいは『half-life II』なのかで、話はまったく違う。
「どのゲームを選択するか」≒「どのルールの中で行動をしたいか」ということ*2を選ぶことと、どのような<プレイ>を表明してみせること、はあまりにも距離がある。*3
だが「(ゲーム)プレイをする」という行為であるという点においては両者は同様の地点に見出されるものである――はずである。
はずであるのだけれども、その両者が、「この場にゲームが組み込まれている(いた)ことを表明して見せること」(社会的な単位でのゲームプレイ?)と、「個人的にビデオゲームをプレイすること」(個人的な単位でのゲームプレイ?)*4というベースとなる部分の差異において、両者は実はここまで別様のものとしてたち表れることになってしまいうるのか、と。
うーん、なんかあんまりいい説明ができてないような気もするが、そんな感じでみうらじゅん発言を「すげーな」と感じたのでした。
2004年12月08日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■Weblogサービス増えすぎ。
多くの人が感じていることだとは思うが、この半年ぐらいの間にWeblogサービスが激増した印象が強い。とりあえず、登録しているウェブサービスのほとんどがWeblog(もしくは日記)サービスをつけているような気がする。
今、自分の登録しているものだけでも
- はてなダイアリー (現在の日記 http://d.hatena.ne.jp/hiyokoya/)
- muchan.net(旧日記 http://muchan.net/diary/a_inoue/)
- MSN blog (http://spaces.msn.com/members/hiyokoya/)
- Slash dot日記 (http://slashdot.jp/journal.pl?op=display&uid=23843)
- Geocities日記 (http://geocities.yahoo.co.jp/dr/view?member=cog_inoue)
- GeocitiesBlog(ジオログ) (http://geocities.yahoo.co.jp/gl/cog_inoue)
- livedoor blog(http://blog.livedoor.jp/cog_inoue/)
- mixi日記 (クローズド:あまり書いてませんが。)
- ぱどタウン日記 (使用してません)
などなど。*1
いまや、Weblogサービスは「ウリ」となるサービスではなく、他のサービスに差をつけられないための「最低限のサービス」になってしまってる感がある。やりたい/やりたくないに関わらず、やらざるを得ないのだろう。
ここでちょっと何種類同時に日記を付けられるのかということを考えてみよう。
mixi日記を「裏日記」としつつ、その他のところでの日記を「表日記」とする人は多く見かけるようになったが、裏/表という以外のモードといえば、あとは「オフィシャルな日記」(会社とかのサイトの「社長の日記」)と「プライベート日記」とのモードの違いぐらいだろうか。いや、でも、裏日記と表日記ができてしまったら、「プライベート日記」はたぶんそのまま裏日記にズレこんでいく可能性が高いだろうから、結局ほとんどの人は「裏日記」「表日記」という二種類のモードを使い分けるのがせいぜいか。ついでに一つ加わるとしたら、友達にも見れないように書く完全プライベート日記ぐらいかな。
あと、考えられるのは「●●観察日記」とかといった用途を特化したレポートのような使い方かなあ。それを考えれば、かなり特殊なケースとしては10種類とかの日記を同時使用している人っていうのも考えられなくはないわけだけれども、普通の人が使い分ける必要のある日記の用途はせいぜい「表日記」「裏日記」「自分用日記」3種類ぐらいしかありえないと思える。
で、親密圏オリエンテッドなプライベート日記は現在のところmixi日記が圧勝しており、それに続く可能性がありそうなのはMSNとはてな。完全プライベート日記 *2は測定不能。残る公共圏オリエンテッドなところでは争いが白熱しているが、何も決め手がない。そんな感じだろうか。
に、してもこんなにWeblogサービス増やされてもなあ……一体、何個ぐらい同時に日記を付けてほしんだろうか。
2004年12月04日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■今必要なのは政権交代ではないか
これはちょっと面白い。
菅直人の今日の一言2004-10-24 (Sun)の一言
それに加えて新潟で地震。あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか。
あい続く天災をストップさせるに、今、必要なのは私の来年の行き先が決まることではないか。
2004年11月28日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■FFX-2@amazonレビュー
発売されてからすでに一年以上たちますが、『FFX-2』のamazonレビューをのぞいたら、罵詈雑言が冴えていて面白いことになってました。(3割ぐらいは、賞賛の声もあるのですが、賞賛の仕方はあんまり面白くなかったので割愛)
絶望感が・・・
こんなんFFで出すべきじゃない!
裏切りものめ!
・・・・・ふざけるなよ・・・・
もう無理…。
出すなよ!2なんざ!
スクウェアさん・・・さようなら
といったレビュータイトルにはじまり、批判轟々。
一番多いコメントとしては、
ハッキリ言って、キモイ、クサイ、オタククサイ、FFです。
は?セーラームーン?
といった、「オタいってよし」的な反応にはじまり、辛口がさえる。
ラスボス前のユウナの「注目!」にはついに耐え切れず電源を切ってしまった
露出度が高けりゃいいってもんじゃない。
それに服装センスがない。
あそこまでいくとかえって下品なだけ。
辛口ピーコのファッションチェックで瞬殺だな。
ギャルゲーの、人気が無いキャラクターばかりを寄せ集めたような3人です。
二十歳も過ぎた大人の男性ならば、とても堪えられないでしょう。
私は前作をやっていませんが、キャラクターの性格でこれほどムカついたゲームもなかったと思います。
女ばかりのパーティーでも、もっとまともな構成があったはずです。
内輪で寒いネタを連発して、まるで、知らない人たちの飲み会を見ているような気分でした。
女性を馬鹿にしているような気が…。なんだか、リノアが普通に思えてきました。
「知らない人たちの飲み会」という表現は秀逸(笑)
それと笑ったのが、
カモメだとかユ・リ・パだとかワケわかんなくて痛々しいし。
ドレスアップとかいうシステムは、もうスタッフ何考えて作ったんだか。
歌姫の技とか、家族のいる前じゃ恥ずかしくてできねーよ!!
やっぱ、家族のいるリビングで小学生からのゲームプレイヤーがやってたりするゲームなんだな、FFは、と。あらためて実感させる一言。「歌姫の技とか」は別に、プレイヤー自身がその技を使うことにオタ的嗜好性を見出していなくとも、技を使うこと自体に対して周囲からの視線にそういった「オタ的嗜好性」を見出されてぃしまうのではないか、という恐怖がある、というは確かに。「家族のいる前じゃ恥ずかしくてできねーよ!!」ですな、ほんと(笑)
それと、やっぱり沢山出てくるのが「FF」を「伝統」化しつつ、批判する方向性で、
なんだこれは。
そもそもFFでもRPGでもない。
FFという名に、私がこだわり過ぎているのかもしれないが、
これはファイナルファンタジーという名の皮を被ったただのギャルゲー。
テンションが痛い。OPの「ユ・リ・パ レディ」で寒気を感じ、
ムービーの後、3人そろった時はすでにガン引き状態。
というような、「FFじゃない」言説が多かったのもいいですね。一体どこらへんに「FFらしさ」を見出しているのか、そこんところの共通性はいまひとつつかめないのだけれども、とりあえず、この手のものいいをする人々の間で全員一致しているのは「FFはギャルゲーではない!」というあたりでしょうか。
また、一線を越えてしまったことに対して、『超クソゲー』的な、B級ものを消費する際の消費態度を見せている人もいて
色んな意味で。ホント笑わせてもらいました。爆笑です。
片腹痛いです。腹ちぎれそうでした。
というのもよくわかる反応。私も、この方向性で受容していました。
あと、やはりきたか、と思ったのは「VIII」がダメだった人がやっぱり今回もダメだったようで
FFはⅠはやってないからわかりません。
Ⅱ、敵が強すぎて理不尽だったけど、ストーリーは悪くないと思う。
Ⅲ、ファミコンにしてはなかなかの出来だった。ジョブ多かったし。
Ⅳ、ストーリーはかなり良かった。敵も結構強かったし。
Ⅴ、単純でわかりやすいストーリーで最高に面白かった。アビリティも豊富。
Ⅵ、なんていうか、全てよかった。
Ⅶ、今までやったRPGベスト1の座は不動のものになるだろう。
Ⅷ、・・・・・
Ⅸ、なかなかでした。ちょっと戦闘が面倒だけど、奥が深かった。
Ⅹ、いいじゃないですか。
Ⅹ2 は?本当にスクウェアの作品??その辺のオタクが作ったんじゃ?
これはなにかの間違いでしょう、まさかスクウェアがこんなもの作る
はずが無い。
【流れ】 Ⅶ(感動した!Ⅷやってみたい!)⇒Ⅷ(え・・・?クソゲー?でも、次は大丈夫でしょ?)⇒Ⅸ(ほ~ら、まあまあ当たりじゃんⅩ楽しみ!)⇒Ⅹ(・・・・・)
俺的には8と肉薄って感じの駄作。FF好きな人、買いなさんな。コスプレマニアにどうぞって感じ。てかよう200万も売れたな~
などなど。
実際、VIIIをやってしまったことで、ある種の「免疫」みたいなものがFFに対してついてしまったので、「アッハッハ」とX-2を笑い飛ばせる感じというのはありましたね。私は。
でも「VIII」がダメ、といいつつもPS以前からのプレイヤーで、かつPS以降のFFを楽しくプレイしつづけている人って、だいたい「VII」の評価が高い人というのも、似たような傾向性として見出せるのも面白い点です。
「VII」ですでに評価の低い人の場合の受容の仕方というのは
7の頃からFF否定派が減らないのは何故なんだろう?
FFより面白いゲームは、探せばいくらだってあるのに…
いつまでも「RPG」というジャンルの「FF」という超大作
に固執する理由が解からない
自分はFFをIIからプレイしているが、期待して…
というより、ゲームバカの義務としてプレイしている。
FF、ドラクエといった大作RPGは期待して買うものじゃないと思う
この受容の仕方も、一定以上のへヴィーゲーマーだとよく見られる反応です。
何故Ⅹの続編なんて作ったんだ? あのままで良かったのに
何でもかんでもハッピーエンドにすればいいなんてもんじゃない
Ⅷの続編としてあの雰囲気を作り出していれば色んな意味で納得できたものの…
Ⅷ自体が駄作だったし…
何故リノアじゃなくてユウナなんだ?
この手のFFVIIIヒロインの「リノア」がバカ女としてすでに出来上がっているので、「リノア」ならばバカ女として登場させてもよかったのでは、という反応も禿同。
10-2に関する一切の記憶を自分の中から消してしまいたいですよ・・・。キャラは最悪の方向へと豹変、おまけにストーリーが希薄で意味不明。新キャラは存在感がなさ過ぎるし(名前おぼえてませんよ、もう)。FFは1,2、4、5、6、7、9、10、11とプレイして来ましたが、良かったのは11までですね。恐らく12は購入しないと思われます。それだけ失望が大きかった・・・。10の世界観とキャラクターに思い入れがある方は本当に買わないほうがいいですよ! 引く&絶望する事間違い無しです!!
ウェ、ウェイト!
当然、こういうプレイヤーが出てくるのは予期できたことではあったのだけど、「「12」を統括するのは松野泰己だから!間違ってもこういうことはないから!」というのを強調しておきたいところ。
まあ、でも、もちろん、やっぱりこれで離れていってしまうユーザーは一定数でるのでしょうね。12の売り上げが200万本を下回ったら、完全に10-2の影響としてしか見れないでしょうし。そうならないことを願いますが。
(でも、この人、「8」をスルーしている、というのが巧妙。)
2004年11月22日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
2004年11月15日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ぱどタウンその4 「初めまして、何歳?」
最近、ぱどタウンのほかにも、ハンゲームや、Saychatなんかにも顔を出している、ということを友人に話したら「井上くん、接してる文化が低年齢化の一途をたどってない?」と言われましたが、激しくその通りです。すみません。
ぱどタウンにせよ、ハンゲームにせよ、全員が全員低年齢というわけではないのだけれども、そこを頻繁に利用している人々に低年齢層が多いというのは事実で、だからこそ、まだギリギリ20代前半である私にとってすら世代間格差のようなものがビビットに感じられてウォッチしがいがあり、面白いわけです。
しかし、まあ、ぱどタウン等の主たる利用者である低年齢層の人々自身は、話し相手等を選定する際に「相手の年齢」に対してやたらと敏感で、ちょっと話した雰囲気で年上っぽい話方をする私を相手に、ほとんど失礼だといっていい振る舞いをしてきます。
特に驚いてしまうのが、チャットや、書き込みの最初の言葉が「初めまして、何歳?」といきなり聞く、というもので、前に「初めまして、何歳?」と聞く子供*1に、実年齢を告げたらいきなり去ってしまわれたということもありました。
2chとかだったら、「厨房」という言葉はあっても「リアル厨房」「リアル工房」といった語彙は二次的であり、「厨房」というのはあくまで相手の発言の「精神的レベル」に向かってなされる罵倒の言葉でしかないわけですが、ぱどタウンやらハンゲームやらで戯れている数多くの「リアル厨房」「リアル消防」などのみなさんがそういった「精神的レベル」判定へと進まないで、実年齢をいきなり聞いてしまう、という作法にいってるというあたりはなかなかに面白いことです。*2
また、「ぱど彼」「ぱどカノ」「ぱど友」というぱどタウン内のコミュニケーションを取り結ぶ相手を彼らは募集していることが多いのだけれども、そこでも、年齢制限は激しくて、「ぱど彼募集! 以下の条件にあってる人!」などといった書き込みがなされる際に、「はしご禁止」「ダサ子じゃない人」「よくインしてくれる人」などといった、条件とともに、しばしば見られるのが「中1~中3」とか「高1以下!」とかといった年齢制限で、制限に会わない場合は「無視する。」とか「面白い奴なら可」とかいった、条件が付け加えられています。
10代なら確かに年齢を気にするのはわかることで、思春期を通して会話の会う/会わないが、小学6年生と高校生1年生の間には、わずか四歳の違いといえどもかなり激しいものを感じざるを得ないし、まあ、会話したくもないかもしれないし、そもそも会話ができないかもしれない。そういう場合に、これだけ年齢を気にする文化が出てくる、というのはわかる話ではあります。
だけれども、さらに面白いのは、ぱどタウンに「登録」の仕方で、これが、ウェブ上に表示される年齢を書くと次に「それでは、あなたの本当の情報を登録してください」というかたちになっていて、ウェブ上で、「本当の年齢」を表記してくれる可能性というのをはじめからあまり高く見積もっていない、ということが登録の時点でガリっと出てしまってるわけですね。
つまり、年齢をこれだけ気にしつつも、同時に本当の年齢は公然と隠蔽することが許可されている、ということです。この事態に対して、「はじめまして、何歳?」という不躾な質問を浴びせる子供達自身はどう思っているんだろう。
2004年11月07日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■デスノート4巻 と 「罪を犯す自由」。
本格ミステリマンガとして目下大ヒット中の本作ですが、今まで「頭の良さ」をがんばって描いてきただけに、今回はそれが反転する形で「頭の悪さ」の感触というのをリアルに描くことにものすごい成功を収めていて楽しいです。ここまでミステリ中心にゴリゴリやってきたところに情をゴツンと盛り込んでしまうあたりも素敵。
それと、ソシュール的に言えばありえないはずの言霊実在論みたいな部分もお話としてかなりハッチャけてるんですが、他の部分でも思考実験的に読んでもイケるなあ、とか思いました。
具体的に何が思考実験的に読みうるかというと、警察がキラを非難するときの口上ですね。
このマンガで登場する犯罪者「キラ」というのは、まあ言ってみれば死刑推進論者が、いきなり神になってしまって実際に死刑をガシガシとやってしまっている人なわけです。もちろん、そんな人がいたら近代国家的には、マジかよ、と。ありえないYO!、と。そういう存在だからこそ、「キラ」は犯罪者として位置づけられている。
とはいったものの、基本的には「キラ」が殺している人というのは、(おそらく)国家ごと、時代ごとの法制度によっては死刑になったり、終身刑になったり、懲役50年ぐらいになったりするぐらいの、非常に微妙な対象に対して「死刑」を執行している。「悪」の選定がそこまで独善的なわけでもなく、単に「死刑」のための基準ラインを少し低いところに設定したというぐらいに過ぎない*1。これが州知事時代のブッシュJrなんかはもっと大胆に低く基準ラインを設定してガシガシ死刑をやっていたりする。だけれどもブッシュの場合は民主的、法的な手続きを経て州知事となりこれをやっているから少なくとも「犯罪者」として扱われはしない。この場合に「キラ」が「犯罪者」である、ということを言うための論理というのは、(若干の議論の無理を承知で言えば)「手続き的に正当でない」という程度のことしか実はない。
警察としてはそんなパッとしない論理を言うわけにもいかないので、もうちょっと派手にキラを「犯罪者」として扱うためにメディア上では、彼を「恐怖」として語り、四巻のP81には
「キラの恐怖から世界の人々を救う―――」
などといった言葉によって彼を非難する理由を用意するわけですが、一体、警察の言う「世界の人々」にとっての「キラ」の恐怖とは何なのか。
少なくともそれは、罪を犯すこともなく日常的な生活を送っている人にとっての「恐怖」などでは全くない。「善良な市民」を救おう、という話をしているのではない。では誰を救おうとしているのか、といえば、「キラ」に殺される可能性のある重犯罪者や、将来自分が重罪を犯すのではないかという不安を持っている人を「救おう」といっていることになる。
彼らを救わなければいけない、といっているというのは、言ってみれば、「ある程度の重罪を犯しても殺されない自由。生きていける自由」*2を確保しましょうね、と。そういう話です。
一般的に言えば、それって言うのは必ずしも肯定も否定もしえないかなり微妙なラインの話なわけですけれども、これを微妙だと知りつつ、あからさまに「そんな自由はない」として行動してしまう人を取り締まるためには、「いや、その自由は認めなければいけないのだ」と一旦いってしまわなければ、そういう人を取り締まるための明瞭な論理を発見できない。
そういう描写がされているあたりを、なるほどなー、とか思った次第です。
2004年11月06日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ぱどタウン その3 「ダサ子」とは
「ぱどタウンを快適に使う方法」の「はしご・ダサ子禁止について」のページ(http://yokohama.cool.ne.jp/padotown/hasigo.htm)によれば、「ダサ子」の基準のひとつとは、「タグや画像などで部屋や書込を飾らない人のことを指す」ことらしい。
それだけ言われても、ちょっとイメージがわきにくいかもしないが、ぱどタウンの女の子達の多く(=「ダサ子」では無い子たち)は通常の文字の記載を黒字で普通に書くのではなく、「ごめんね」とか「またね」とかっていう定型的な挨拶については画像を用意して、一々その画像をimgタグで貼ることで挨拶したり、おそろしいことに挨拶だけではなく、普通の会話のときでも文字色をわざと赤くしたり青くしたり、あるいは、IE特有のCSS指定である「filter」属性で文字を発光させたりしながら会話していて、それが、彼女らにとってのファッションなわけだ。*1
しかし、これは今まで普通にウェブデザインをやってきた人間にとってみれば、けっこうなかなか驚きの発言で、とてもじゃないけれども女子中・小学生の特殊な感覚だとしか思えない。
少なくとも、一般的なデザインの理屈*2で言えば、強調する必要もない部分のテキストをわざわざ太字にしてみたり、特殊文字にするなんていうのは、はっきり言ってデザインとして言えば無駄でしかない。色彩調和も考えずに、何でもかんでも色をベタベタと貼り付けるなんていうのは、それこそが「ダサい」ウェブページの典型だ、ということになる。
だけれども、この「ぱどタウン」の空間では、それがまるっきりひっくり返ってしまって、「タグ使わなぃなんてまぢショボイで??」(中学生/女)などという逆転した発言こそが、一般的とみなされるにまでいたっているのだ。
もちろん、テキストサイトの文化の中では、一時期「侍魂」に代表されるような通常テキストのフォントに対してFontタグを多用し、強調・拡大したりしながら文章を書くことで、文章の抑揚や語気のようなものを表現していくという「フォントいじり」と呼ばれるデザインが流行していたことがあったが、このぱどタウンにおける、文字装飾文化では、「フォントいじり」にあったような抑揚や語気の表現といったある種の論理性とはほとんど無縁だと言っていい。「文章表現」というメタな目的に従って文字が選択され、装飾されるのではなく、単に「文字表現」そのもののために文字が装飾されているだけ、というような、従来は禁止の対象だったものが称揚されているのだ。
近いものを考えるならば、おそらく、女子小・中学生がミルキーペンとかを使ってノートに文字を書いていたりすることだろうか。その延長戦上にあると考えてみると、それが、「ウェブ」という場所で、お互いの「文字」が交換され、眼差される対象としてうきあがってくるという過程を経ることで、かつてミルキーペンでノートに書いていた頃は文字装飾に対する個々人のこだわりでしかなかったものが、ウェブ上にきて「ダサ子禁止」という規範へと発展していったとか、そういったことなのだろうか。うーん、わからん。
2004年11月05日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■なんてことだ。アメリカ大統領選挙。
IQと選挙区
http://chrisevans3d.com/files/iq.htm
http://www.ginandtacos.com/education.jpg
こんなにわかりやすい相関関係があっていいものか。
2004年09月30日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ぱどタウン その2
とりあえず、色々と読んでいると、どうも、ぱどタウンには男の子よりも女の子の方がかなり多いみたい。なので、「ぱどカレ」*1を募集中とか言ってる書き込みのほうが沢山見受けられる。
それと、発見というか、勘違いしていただけかもしれないが、ぱどタウンでしばしば見かけられる以下のような表記↓
今ハイハ0→に汚暇し㌧
テスト終わってまぢテンションぁげ②とかぁ(´c_`)@ププ
がぁるぅぅ&ぼぉーぃぃどもゎどっちもカモンカモンщ(゜Д゜щ)
絡みまソォ(゜∀゜*)消防ゎゴメン汗汗 話合わn(´Д`;)
王子しゃまもボシュゥとかぁ(*>ω<*)だれでもいぃヵラ柿子してくりゃさぃ@素
愛触みてくれたらまぢ嬉しいってゅぅー@素
(訳:今、ものすごく暇してます。テストが終わって、テンションもあげていきたいんで。ボーイ&ガールどっちもカモンカモン!絡み(話し)ましょう。でも、小学生は話が合わないのでごめんなさい(汗)王子さま(ぱどタウンでの彼氏)も募集してたりして。みんな書き込みしてくださいね(ホントです)紹介文を見てくれたらマジで嬉しいです(ホントです))
「絡む」「王子しゃま」「愛触」(=IFRAME用紹介文)などは、ぱどタウンの独自用語だが、「カモンカモン」といった半角の多用にはじまり「ぁげ②」(→ぁげぁげ)「ゎ」(→格助詞の「は」)「ボシュゥ」「いぃヵラ」「ハイハ0→」(ハイパー)「話合わn」(話合わん)といった表記は、実は、ぱどタウン独自のものではなくて、かなりの部分が携帯文化を基盤に発達していった「ギャル文字」からの流入らしい。
なんで、わかったかというと、ぱどタウンを頻繁に利用しているっぽい中一の女の子の自己紹介に「ギャル文字禁止。何言ってんのかわかんないから」と書かれていたから。
まあ、さすがに誰もがわかるというものではないみたいです。2ch語よりはるかに解読難しいものね。
*1:ぱどタウン内オンリーの彼氏のことらしい。
2004年09月29日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ぱどタウンに登録してみました。
最近「理解できないニューウェーブ」として大変話題の「ぱどタウン」に女子中学生のフリして登録してみました。
確かに、これは、わけが全くわからない…彼らには可読性って概念とかはないのか?
2chとかのように個々人の利用目的に応じていいとこ取りするようなわけにもいかず。どうしよう。
でも、噂に聞いていたのだと、小学生・中学生の群れる無法地帯というイメージだったけれども、登録者は主婦とか、フリーターの子とかが結構いて、予想していたものよりは安心できる空間。
…でもやっぱり、リアル中学生・小学生のフリをしつつ、友達を作ってみるとかできそうにないけど…。
なんか、ぱどタウンとか、ハンゲームとかをウロウロしていると、Blogやはてな界隈がなんとインテリジェンスに溢れた場所だろうか、と思えてしまう。
とりあえず、「ぁげぁげ」って何?
[2004/11/12 追記] 「ぁげぁげ」とは、「テンションあげていこうよ」の意味らしい。
2004年09月25日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■シティ オブ ゴット
『シティ オブ ゴット』をWOWOWでやっているのをたまたま見たのだけれども、存外に素晴らしい映画だった。今年見た映画の中で暫定No1。
一言で言うとすれば、ブラジルのスラム街における負の再生産構造を、実話を元に撮った映画。あるいは、なんの比喩でもない『蝿の王』の実話版といったらいいだろうか。
amazonとかCinemaScapeとかのレビューを見ると、映画ファンによる映像表現への評価の他には、あからさまに社会派ノリのレビュー*1とかが目立つが、単に、負の再生産構造とかを描いているだけなら、多分この映画はそんなに素晴らしいものではなかった。世界の一部が残酷だったり、負の再生産構造というのはそれ自体はごくごくあたりまえの話であって、そういう事態が存在していることを確認するだけの映像ならば、いくらでも作ることはできる。問題は、それがどういう残酷さで、どういう再生産なのかということだ。
主人公自身は、負の再生産構造からの脱出を果たすわけだけれども、その主人公のスラム世界への視線とか距離感こそが、より一層どうしようもない。
実のところ、この映画は、後半になるまでそれほど悲惨な雰囲気ではない。悲惨であるどころか、むしろちょっと楽しくなってしまうぐらいにコミカルな映像が少なくない。犯罪があまりにも日常化したスラム街の中で、加害者と被害者の境界は極めて曖昧でしかなく、犯罪を娯楽イベントとして描き、犯罪者を「英雄」として描くような視点すら存在している。
で、あるからこそ、ここに描かれる悲劇は、単なる「悲劇」であったり「悲惨」な話であるという水準を越え出ている。
*1:っていうか、「残酷な世界を描いてるから」というだけの理由で、まるで遠藤浩輝『Eden』のような作品と同水準で評価するかのようなノリのレビュー。残酷な世界を描いてりゃいいんかい、という。
2004年09月16日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■Steve Reich Works 1965-95
amazonギフト券を貰ったので、せっかくだからたまには本とゲーム以外のものを買おうと思い、スティーブ・ライヒの1965年~95年までの仕事をまとめたボックスを購入。我ながらひさびさにちょっとした小金を放出した気分です。
中期以降のライヒの仕事は期待通り、どころか自分が思っていた以上に素晴らしくて感動してしまったのだけれど、初期のライヒの作品のあまりのイカレっぷりにもまた驚きました。初期の仕事の一つである『It gonna rain』なんかがまさに「単調なリズムの繰り返し」以外の何者でもなくて、たとえてみれば、「キズの付いたCDがデータの読み込みに失敗して同じ1秒ぐらいのフレーズを延々とリピートしながら、徐々に読み込んでいる場所が0.1秒単位で進んでいく」ような壮絶な仕上がりです。(おそらく、本当に傷つきCDだったとしても気が付かない)。
音楽理論とかでグチグチ言えちゃうタイプの人は、いいのだろうけれども、そこらへんの部分の教養データベースが貧弱な私にはちょっと無理でした。ええ。
高校の頃の合唱部の友人に『ライヒ・ベスト』を貸したら「おまえ、これはオレに対する嫌がらせか?」という予想だにしていなかった反応を返されて、ライヒを素で好きな私はしょげてしまったことがありますが、『ライヒ・ベスト』はさておき、これを貸して「嫌がらせ」と言われても、まあ、仕方ない。初期のライヒの仕事はさすがに私ですら、愛好する対象の音楽として聞くことは無理があるかもしれない…というか、ありました。これに小金をはたいてしまった自らに若干の後悔の念を覚えつつ、まあ、でもトータルで言ったらオトクだった…かなあ。やはり、ろくな金も無いのに、ブルジョワめいた消費はやめておこうか…などとヘタレた気分に陥った次第。
次に音楽CD買うときは、声明のCDでも買おうかな、と。amazonで「声明」を検索してみたけれど、さすがにこの「永平寺~声明・只管打坐の世界~」は買いえないという気分がしましたが。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
曹洞宗の修行道場である福井の永平寺で録音された声明(読経)と只管打坐(ひたすら座禅をする)の修行風景ある。太鼓が五つ打たれ,朝5時を知らせる「更点」から始まり,座禅をお開きにする「大開静」から就寝を知らせる「開枕鈴」までを音でたどる。
誰か買ってみませんか?
2004年09月12日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ただし、「処刑」は除外
a toneさん「宇宙と保険」
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/1793/
災害保険の支払い対象は、非常に幅広く、あらゆるケースを考えていらっしゃるようです。網羅するって大変です。
2004年09月10日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■amazonギフト券あたった。
アマゾンの本に最初のレビューを書くと抽選で3000円のギフト券があたる!というのがあるのだけれども、77個のレビューを書いて、はじめてあたったようです。
うーん、時給に換算すると、一時間300円ぐらい…
2004年09月05日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■Jasonの悩み。
Yahooのアドレスあてに、合計三通もJasonからペニスの悩みが送られてきた。メールの出だしはこんな感じ。
Hello,
I'm jason and this email is my story with my Penis .
I had a small penis and not really strong erection . My girlfriend was unhappy and …
もう一歩でヤマジュン「やらないか」の境地に至る名スパムでした。一通だけでなく、同時に三通も送りつけてきたこともポイント高かったです。
2004年09月04日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ 残骸をプチリニューアル。
http://www.geocities.jp/cog_inoue
現在の、「http://www.critiqueofgames.net」にコンテンツを置くより以前に、コンテンツを置いていた、Geocitiesの方のページのスペースが寂しく残っていたので、残骸をプチリニューアルしました。全くもってとりとめのないコンテンツを、ダラダラと公開してあるだけではありますが、google page rankについて調べた記事とかはけっこう気にいってます。
2004年08月29日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■20代男性右傾化?
北田さんのところから。
・「小泉首相の靖国参拝は…」
「よいことだ」【20代男:55%】【30代男:44%】【60代男:45%】
・「ブッシュの再選を望むか」
「望む」【20代男:30%】【30代男:18%】【60代男:34%】
・「イラクの自衛隊派遣に…」
「賛成」【20代男:62%】【30代男:48%】【60代男:51%】
・「沖縄の米軍基地を今後どうしたらいいと思うか」
「そのままでよい」【20代男:26%】【30代男:15%】【60代男:22%】
・「日本はいい国だと思うか」
「よい国だ」【20代男:54%】【30代男:47%】【60代男:51%】
「20代男」の一人の実感としては、多少の右傾化があるとは言っても、この数字はないだろう、という感覚なんですが。
「20代男が右傾化してる!」という危機感を抱くより先に、自分の場合この調査を行った朝日の調査方法の妥当性に疑問を抱いてしまいました。(#私自身の「実感」の方が根拠として強い、などという気はもちろんございません)
2004年08月24日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ 「w」が「笑」と同じものに見えてきた。
「w」という記号をはじめて見たのは、3年ぐらい前だろうか。
PSOをやっているときに、まわりの人々が「w」という記号を多様しているのを見てまったく意味不明で何をやっているのやら全くわからなかった。その直後に「w」というのは「笑」の意味だということを友人から教わったが、日本語の語彙体系の中に、何か意味不明な記号が一個まじっているような気分がしていた。
その後、とりあえず「w」の意味を教わってからも「w」の表記をみるのは、2chで見かけることが圧倒的に多かったので、「w」には(笑)の楽しそうな雰囲気とは別途に、もっと嘲笑するような意味合いを感じていたのだけれども、気がつくと、最近は「w」もものすごく一般化してきた感がある(少なくとも自分のまわりでは)。
「w」とかいうわけのわからない記号を使う人の気がしれないと思っていたが、いつのまにか「w」と書かれれば、それをきちんと(笑)と同様の意味で瞬時に理解できる回路が成立してきていた、ことに、今日、ふと気がついた。
同様に (^^) や m(__)m (^^;) (^▽^) などといった顔文字の類も、3年ぐらい前はとうてい自分が馴染めるものだとは思ってなかったが、これもいつのまにか馴染んでしまった。
顔文字なんて、絶対に最悪のセンスだと思っていたのに、本当に、ここ2,3年の間に、馴染んだ、というか馴染まされてしまったというか、今年ぐらいからその便利さに屈して、自分でも使うようになってしまった。
自分と同じように「馴染んでしまった」人々がどのくらいの数いるのかわからないけれども、顔文字に代表されるようなネット独自表記の文化的ポジションは1999年や2000年の頃と比べると、ゆっくりとではあるが、確実に変わってきているのではないかという気がする。
一つの文章の中に1つや2つぐらいの割合で、敵意のないことを簡単に伝える(^^)にはもはや全く違和感はなくなったし、最近では、「2行に一つぐらいの割合で顔文字を使う人」すら、特殊な印象はじょじょに薄れゆき、「ぱど厨」の圧倒的な異様さを見てしまったら、それすらもものすごく普通に見えてしまうという構図になってきているように思う。(#それに、携帯メールをほとんど使わないからすれば驚くべきことなのだけれども、携帯メールを多様する女性の多くが、ものすごい頻度で顔文字を使いまくっているようだし。この前、実の姉から顔文字だらけのメールをもらって、ビビってしまった。)
逆に考えると、もしかすると数年後には、逆に「全く顔文字を使おうとしない」「使うことを拒否し続ける」人のほうがそこでは相対的にマイノリティとなってしまい、「特殊な人々」としての地位を獲得してしまう可能性もあるわけだ。
で、現在「ぱど厨」としてネット進出してきた人々は、10年後、20年後ぐらいになっても、今のところ異様なものにしかみえない「ぱど厨」の表記を使い続けるのだとしたら、一体どうなるのだろうか。そのときはまた、今の「ぱど厨」すら普通に見えてしまう、新たなる異様さを兼ね備えた文字表記を用いる人々が登場するのだろうか。
2004年08月20日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ここのところ、80年代ゲーム雑誌、関連書籍等をあさってます。
数週間前に、ファミ通800号記念でくっついてきた付録のファミ通創刊号を読みこんでみたら、これが思っていたよりも、ずっと面白くて、ここのところ、80年代ゲーム雑誌、関連書籍を中心に資料を収集しております。
とはいっても、「ビデオゲーム史」そのものは、『電視遊戯大全』以来、ビデオゲームの歴史についてまとめていらっしゃる桝山さん他、80年代当時にゲームマニアだった現レトロゲーマーのみなさま(たとえばhttp://retropc.net/あたりの方々)や、クラシックビデオゲームオデッセイ(http://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/)の寺町電人さんなどのデータベースを目の前にしてしまえば、ちょっとそれに対抗しようという気力はおこらないものがあり、いつソフトが発売されたか、とか、いつハードが発売されたかなどといったことではなくて、「一体、いつ、ゲームにまつわる言葉が普及してきたのか」(あるいは輸入されたのか)、そして、それに対する合意形成や読み替えが行われてきたのか、ということに着目して資料を読んでいます。いやー、誰も言及していない(筈の)ネタがいろいろざっくざっくしてますね。まだまだ。
そして、そのおかげで、この数週間でだいぶ70年代末~80年代にかけてのゲームの歴史に詳しくなってしまい、上野の国立科学博物館で開催されているテレビゲームの展覧会に行って、昔のゲームハードの現物とかを見たときに思わず、「うぉぉぉ!はじめて現物見た!!」とかいう、極めてオタッキーな反応をしてしまいました。
現在ヤフオク等のネットオークションを中心に利用して資料収拾をしているのですが、もし、このサイトをご覧になっている方で、「80年代のゲーム雑誌」(あるいはパソコン雑誌)を譲ってくれたり、貸してくれたり(あるいは売ってくれたり)してもいいよ、という方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。
2004年08月15日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ 「my picture」と名づけられたファイル達。
p2pのファイル交換ソフトを用いて、「my picture」と名づけられたファイルをあさっているヴォーゲルさんという人がいるんだそうな↓
http://www.10eastern.com/foundphotos.html
これがまた、大変に面白い。ヴォーゲルさんいわく「誰か知らない人が共有している写真は,想像力を広げる。意図的でなく共有されたものは,もっと面白い」
2004年07月25日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■部屋を掃除しました。
今日は、新しい本棚を購入したので、部屋を掃除&整理していました。
ついでに、積んであったCD/DVD媒体のゲームも全て本棚に収納したところ、セガハードのソフト(サターンとドリキャス)と、ソニーハードのソフト(PSとPS2)がほぼ同数になっていることが発覚。
なんというか、アレですね。
意外とセガファンなのかも。自分。
2004年07月24日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■mixi登録しました。
id:AYSさんや、征矢くんが、だいぶmixiをお気に入りのようなので、どんなものかと思い、mixiに「hiyokoya6」で登録させていただきました。
なにをどう使ったらいいものやら、まだよくわかりませんが、mixi上で見かけたらよろしくおねがいします。
2004年06月25日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■アクセス数が増えたと思えば森昭雄さん。
『ゲーム脳の恐怖』の書評を掲載して以来、たまになんかアクセス数が増えたな~、と思って調べてみると、ほとんどが著者の森昭雄さんが動いたときなんですよね。
また今回、佐世保の事件に関連して何かご発言をされているようでうちのサイトのアクセス数がググっと100/dayぐらい伸びたんですが、『ゲーム脳』に関しての一般的認知度はさておき、森さんご本人の一般的認知度ってのはいかほどのものなんでしょうか?発言するたびに注目をあびるほどのものとは思えないので、逆にゲームコミュニティの反応がすごく敏感だな、という印象を受けます。
2004年06月23日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ガンパレの移植版発売署名運動はじまったみたいです
2004年6月23日~7月22日の期間を設けて『GPMの移植、またはバグフィックス版の発売』の署名運動をやっているらしいです。
http://www.alfasystem.net/petition/
ガンパレは、発売して数年以上経つのに未だに中古価格が4000円を割らないという異例の事態に達していて、この中古価格に「需要が多いわりに供給が少ない」ことが如実にあらわれてます。むしろ、いままで移植がされてないのがおかしい。
2004年06月01日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ウェブページの更新に関する規範
半年以上更新してなくてすみません。諸事情で更新できない日がちょっと続いて、その後もちょっと更新しないでいたら、どんどんと更新しにくいなあ、という気分が積み重なっておりました。
もしかすると、今年度はこんな調子かもしれません。
そして、二重に申し訳ないことは、私の中で「更新をしなければいけない」という規範が内面化していないことです。つまり、「申し訳ない」という感覚が希薄であることが、申し訳ない。
たとえば、テキスト王の工藤さんが3月1日の日記で語っているような種類の、毎日訪れる「お客様」を意識した「テキストサイト」をやっているんだ、みたいな意識は私にはほとんどないです。それじゃあ、blogの人か、と言われるとblogの人だという意識もないわけですが。
2004年02月26日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■銀行のロゴがかっこよくてシビれたよ。
これはゲームは関係ないけど、ニュージランドの大手銀行のロゴがやたらとかっこよくて、街を歩くたびに見とれてました。
2004年02月25日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ニュージランドのインターネットカフェは子供の遊び場だった
現在、諸事情あって、ニュージランドに滞在しております。
で、せっかくなのでこの国のインターネットカフェをのぞいてみようと思って『カウンターストライク』やってるんですが、まず気づいたことが(1)インターネットカフェに子供が結構多い。なんか小学4,5年生ぐらいの雰囲気の男の子達が連れ立ってワラワラと遊びに来てます。
そして(2)予想されたことではあるけれども、チャットの内容が全て罵詈雑言。ってか、「Fuck!!!」は枕言葉か何かか?ってぐらいに、全ての発言にFuckの文字が入ってます。これはこれで余りにも自動化された発言であるゆえに、悪意が希薄にしか感じ取れない雰囲気でありますが。
あと、(3)値段が安い、NZドルで、相場が一時間2ドル~3ドル。つまり140円~210円ぐらいでプレイできる。
2003年12月10日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■マイケル=ムーア『ロジャー&ミー』が感動的。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』を見てみて、良かったんだけれども、妙にひっかかるところがあったので気になって、見る映画とかもないので、『アホでマヌケなアメリカ白人』やら、『ロジャー&ミー』やら、手にとれるマイケル=ムーア作品をあらかた見ております。
個人的には、ド素人だった時代に撮られた『ロジャー&ミー』が最も好感触でした。これは素でお勧めします。特に、DVD特典でついているマイケル=ムーア自身によるコメンタリーモードがすばらしく、映像そのものの悲劇の強度よりかも、そこに撮られた映像を自らの「悲劇」として強い口調で語り、見つめているマイケル=ムーアの視線こそが何よりも感動的です。
90年代以降のマイケル=ムーアの立ち居振る舞いはそれはそれで非常に興味深いのですが、メディアでの立ち居振る舞い方を心得てきたがゆえに、それと並行してあざとい映像の作り方をするようになってきているのに若干のイヤらしさを感じてしまうので、そこまで素直に誉めたいという気分にはならないのですけれど。
2003年10月23日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■サイード死去
サイードたん、先月に亡くなってたんだ。知らなかった。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/hito/20030926/K0025200708093.html
『オリエンタリズム』は上下刊を古本屋で揃えた後、いまだに100ページも読み進められていないのだけれども。
そういえば、大物の死去といえば、前に2chで「次に死ぬ大物を当てるスレ」で、「ブランショなんてどうよ」とかって言ってたときに、ほんとにブランショが死んだのには驚いた(2003年2月26日)。ブランショの死を予測した2chネラーの人すげぇ!っていうか、私はブランショがまだ生きているということが驚きだったね。だって、1907年生まれでしょ。あの人。去年死去したガダマーなんて1900年生まれだし。最近*1の大物は長生きしすぎじゃねえ?
とか思ってたらサイードはまだ67歳という年齢で死んでしまった。若い!*2
2003年10月19日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■Family Computer 20th Anniversary Calendar
任天堂からファミコン20周年のカレンダーが届いた。表紙と裏表紙はファミコンのハードウェアがそのまま図案になっていてよくできてる。
中は
- 1月 DONKEY KONG3,DONKEY KONG,DONKEY KONG JR
- 2月 MARIO BROS.
- 3月 DUCK HUNT,WILD GUNMAN
- 4月 CLU CLU LAND,URBAN CHANPION,EXITEBIKE
- 5月 BASE BALL,TENNIS,SOCCER
- 6月 SWORD OF MANA(©SQUARE ENIX)
- 7月 SUPER MARIO BROS.
- 8月 LEGEND OF ZELDA 1
- 9月 XEVIOUS(©NAMCO)
- 10月 ICE CLIMBER,BALLON FIGHT,WRECKING CREW
- 11月 MAPPY(©NAMCO)
- 12月 FINAL FANTASY CRYSTAL CHRONICLES(©SQUARE ENIX)
という微妙によくわからない構成。特にシメがFFCCというのは何故?はじまりがドンキーコングなのはわかるけど。
2003年10月12日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ 最近、
最近、新しく知り合った人とか、ひさしぶりに会った人にたまに、「井上さんのところの日記、この前、いっきに全部読みましたよ」とか突然言われることがちょくちょくある。
公開しておきながらこんなこと言うのもなんだけれども、そういう風に知り合いに突然一気読みされる、という読まれ方はあんまり想定しながら書いていないので、かなり驚く。
そんなことがあると「えっ、読んだの?っていうか、そんなに読んだところで、どうというようなこと俺何も書いてなくなかった?」――とか反応しちゃう。
この「日記」システムというメディアは、ウェブ上の個人である「私」が好き勝手に議論のできる場、とか「啓蒙」とか「ウェブ民主主義!」「世界に私の恥ずかしい日常大公開!」とか、そういういろいろな動機で書かれるものなのだろうけれども、私の場合のスタンスというのは基本的に「更新がダルくなってきたウェブサイトの管理人が一応申しわけ程度になにか更新しないとな…」というレベル以上のものではあんまりないので、読んでくれている人にはかなり失礼なことだけれども、自分自身、あんまりたいしたことは書いていないと思う。本当に。
そのぶん、読んでいただいている人には非常に恐縮してしまうし、何かを期待していっき読みなどしてくれた日には、その人に対してなんだか申し訳ないことをしたような気分になります。
なのでいまのうちにあやまっておきます。「すみません」
2003年10月11日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■『【こころの知能指数】EQテスト』袰岩奈々
また下らない本です。すみません。
で「くっだらないなー。<こころの知能指数>?なにそれ?」とか思いながらやってみました。どうやら、この本ではEQの指標が6つ*1あるらしいんですが、私の場合、自己認知力と衝動のコントロール力だけがほぼマックスで、楽観性がほぼゼロでした。他は平均よりもちょっと上。
「楽観性」の質問項目15個はこんな感じ。
- 「なんとかなるさ」が口癖 :いいえ。
- 「もし、こうなったらどうしよう」と心配ばかりしている :どちらかといえば「はい」。
- 初めての人でも自分から声をかけて知り合いになっていく。:どちらかといえば「いいえ」。
- 人と比べて自分には能力がないような気がする。:なんとなく「はい」
- なにごとにつけおもしろい面、良い面がみつけられる。:そのつもりなので「はい」
- 大失敗をしても、落ち込むだけ落ち込んだあとはケロっとしている。:よくわからないので「いいえ」
- 周りの人が楽しそうにしていると、自分がのけものになったような孤独感を感じる。 :かなり「はい」
- うまくいかないことの理由や、自分にはできないという言い訳が、つい口をつく :どちらかといえば「はい」
- 不安で眠れないということは滅多にない :「はい」
- なんとなく人から見下されるのではないか、裏切られるのではないかと心配になる:積極的に「はい」
- 物事のだめな面、足りない面についつい目が行く。:「はい」
- 自分には自分なりの良さや能力があるという自信がある。:「いいえ」
- 人からの援助の申し出を受けたり、悩みを友人に打ち明けたりすることに抵抗がすくない。:「いいえ」
- 人に何か頼んだり、人から手助けされると、自分の能力に問題があるように感じる:実際には能力に問題があるわけじゃないかもしれないけど「はい」。感じます。
- 占いでは良いことが書いてあるときだけ信じる:「いいえ」
結局、楽観性は15点中の2点と平均を大きく下回り、この結果がでたことでこの本に「おまえは自制+自省心ばかり強くって、楽観性が足りない!」とか素で叱られているような気分になってしまいました。
こういうものは、どう考えてもあほらしいんだけれども、どんな形であるにせよ、こういうような結果が出てしまった、ということのは意外とショックなことで、実際的な有効性とかはさておき、「楽観性が足りない!」という結果が出たことによって、何かが明らかにされて、何か確からしい説得をされたような気分になってしまう(まあ、私の楽観性がこの指標からすれば「平均以下」というのは確かに明らかになったわけだけど)。あー、これは魔力だな、というか、何かの答えが出されたような気がする(下らないけれど)。そして、回答しながら「俺、だめだ、よわい。よわよわだ」という気分までしてしまう(それはいつものことなのだけれども)。
なるほどなー、これか。馬鹿だけど、こういう馬鹿なものであっても、「指標」によって「分類」をしただけで何かしらのことをやったかのように見えてしまうのってすごい。それだけは意外と馬鹿にしたもんでもない。
そして、説得されてしまうダメな私…そうかー、もっと楽観的なほうがいいのか…
*1:自己認知力Self Awareness,共感力Empathy,衝動のコントロール力Impulse Control,楽観性Optimism,社会的器用さSocial Deftness,粘り強さPersistenceとわかれるらしい
2003年09月23日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■『ピンポン』
テレビで放映されてたので一応見ました。
そもそも全体の演技指導のレベルが甚だしく微妙でしたが
窪塚嫌いでもなんでもない私が
この窪塚洋介の演技のダメさ加減に軽く殺意をいだきました。
2003年09月06日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ ここ数
ここ数ヶ月PC壊れてました。
「数ヶ月前に、出したメールの返信がまだこねえぞ!」という方いらっしゃいましたら、お手数ですが、送っていただいたメールを添えて、もう一度催促おねがいします。
2003年04月30日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■深夜放送をする番組をもうちょっと選ぼうじゃないか。
夜中の三時にNHK教育つけたら『さわやか三組』やってて、なんかビビッた。丑三つ時にさわやか三組はないだろ。こわいよ。ちょっと。「さんさんさん♪さわやかさんくみ~♪」って、言われても夜中の三時だよ。あなた。
2003年04月21日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■中森明夫が1983年に書いた文章。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/1049/people/otaku.html
"おたく"という言葉の起源が中森明夫が1983年に書いた文章だということは知ってましたが、現物ははじめて読みました。