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2006年02月23日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

PC対NPC→PC対PCという物語成立の変容

ラグナロクオンライン4コマKINGDOM 18 (18)

 90年代初期に『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』というのがENIXから出版されていたとき、一タイトルの売り上げが最大95万部というとんでもない数をたたきだしたことがありましたが、近年の状況をふりかえってみると、『ラグナロクオンライン』の4コマがこれまた相当な数出版されているようです。

 シリーズ名もいろいろあって、ぱっと検索しただけだとよくわからなかったのですが、双葉社が出している『ラグナロクオンライン4コマKINGDOM』が現在18巻まで刊行されていると同時に、一迅社 から『ラグナロクオンラインコミックアンソロジー』が20巻まで、エンターブレインから『ラグナロクオンライン アンソロジーコミック ぼくらの新世界(ミッドガルド)! 』が4巻まで、と怒涛の如く出版されています。

 僕自身が、小学生当時『ドラゴンクエスト4コマ』を熱読していたのもあり、比較という視点からこれを読んでみたら面白いかもなと思い、とりあえず『ラグナロクオンライン4コマKINGDOM』を10冊ぐらい入手してゴリゴリと読了しました。

 何人かの作家さんの作品についてはかつての柴田亜美*1とか衛藤ヒロユキ*2とか押田JO*3とかを見ているような感覚に襲われる部分もありましたが、ドラクエ4コマとネタ的には通じる部分をもちつつも、やはり圧倒的違うものに根ざしているな、という感触もまた強力にうけるものでした。

 まず、そもそも『ラグナロクオンライン』をネタにするという場合には、プレイヤー同士の間の共通体験というのはほとんどが「初心者だった時期がある」「転職を経験した」「ペットを飼うことができる」といったかなりシステム的な水準での経験の共有性しかなくて、それ以外には共通体験の枠組みを見出せていないんですね。そしてまた、NPCに対する興味関心も非常に低いので、ドラクエのときに「オルテガの死」ネタ(DQ3)とか「ピサロとロザリー」ネタ(DQ4)みたいな定番ネタとかもなかなか出てこない。一人用RPGの場合はNPCの中に人間的なものを仮託して物語を見出していくのが通常ですが、ここではPCとの間で発生した事件を物語化していくという手立てばかりが語られていきます

 で、具体的に、何がネタとして多いのかというと、圧倒的に多いのが、NPCネタではなく、プレイヤー同士で初心者を世話する/世話されるという関係性の中から発展していく恋愛ネタが相当の数を占めています。

 これは、言う人にいわせれば「ラグナロクはそもそもそういう連中が多いんだ」という話ですが、ラグナロク自体をプレイしてみている経験から言っても、このラグナロク4コマの内容面からしても、『ラグナロクオンライン』におけるプレイヤー関の恋愛への関心の高さはかなり驚くべきものがあります。

 そして、ここではいくつか面白い特徴が見られるのですが、まず

(1)

 たいていの場合、「最初に萌える対象」はモニターの向こう側にいるプレイヤーのメンタルな部分とかではもちろんなくてプレイヤーキャラクターのグラフィック水準でまずは、萌えていることを多くの人が表明しています。プレイヤーキャラクターのグラフィックに萌える、というのはまた、「オレはプレイヤキャラクターのグラフィックに萌えているだけだ!」というスタンスをもまた確保する言い訳としても機能しているようですが、そのような言い訳はもちろん、より深く恋愛関係にハマッていく自分を隠す言い訳としても機能するわけですね。

(2)

 で、あと、すでにちょっと書いたように「初心者」が極めて重要な機能をもっていますね。ラグナロクオンライン4コマにおいて描かれるプレイヤーたちの姿はRichard Bartleの分類*4を借りれば、多くはSocialisersと類型化されるようなタイプのプレイヤーが中心ですが、彼らがMMORPGの社会にコミットメントし、そこで社会化される過程において「初心者」が意味をもつわけです。初心者として上級者に接するときは、上級者は「憧れの対象」としてあらわれ、上級者として初心者に接するときは、初心者は「守るべき赤子」として描かれる。この教える/学ぶ関係のよーなところから、というか…ほとんどここを中心に恋愛が駆動されていますね。

(3)

 そして、そこまでおおっぴらには語られないものの、最重要といえ最重要の問題がネカマ/ネナベ問題。ぶっちゃけ、MMORPGのプレイヤーなんてのはどう考えても大半は男性によって締められており、女性の比率はマイノリティにならざるをえない場所です。そもそもゲームユーザーの構成は男性比率が圧倒的に高いわけだからこれは仕方がない。だけれども、アバターとしてはネカマをやろう…という心理に限らず、格闘ゲームで春麗を選ぶ程度の気持ちで女性キャラクターを操作する男性とかもたくさんいます。で、結果としてMMORPGの空間は半分ぐらいが「女性キャラクター」によって占められるわけですが、この空間を前提として恋愛行為が行われていく。一部のプレイヤーは恋愛ではなく「親友の延長線上」だと言ったりもしていますが、ここの境界はぜったいにかなり曖昧になっていて、オフ会などで直に相手を確認していない限り、「彼女(彼)は中身のプレイヤーも女性なのか、男性なのか」ということを常に疑いつつ恋愛(?)をやるしかない。

 で、あるがゆえにラグナロクオンラインを語るこの4コマの中では「ネカマぐらい、寛容にならなきゃ」というネカマへの寛容とかが語られたりもするわけですね。一時期もりあがったブリジット祭り*5ほどの極端さに至らずに、生物学的な性に寛容になる感性が成立しうる場所になっています。これを楽観的に「アイデンティティの自由選択の場所」ととらえる方向性もなくはないのでしょう。ただ、その観察はさすがに極端に過ぎていて、そもそもここでは「恋愛」というものがプレイヤーキャラクター水準と、プレイヤー水準で奇妙に交差しています。プレイヤーは恋愛に深くコミットメントするための最終的な判断基準としては、やはりプレイヤーの生物学的な性に依拠しつつも、単に動物的な「萌え」を表明する程度においては、プレイヤーキャラクターレベルでの恋愛をガンガンやってしまう。

----

 以上はかなり適当な現時点での偏見まじりの雑感なので、いろいろなご指摘もあるかと思いますが、とりあえずの観察として書き留めておきます。

*1:『南国少年パプワくん』『ドッキンばぐばぐアニマル』

*2:『魔法陣グルグル』

*3http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/8116/

*4:"HEARTS, CLUBS, DIAMONDS, SPADES: PLAYERS WHO SUIT MUDS"(1996)、 http://www.mud.co.uk/richard/hcds.htmを参照。Richard Bartleはこの論文の中でMUDにおけるプレイヤーを二軸できって「Killers」「Achievers」「Socialisers」「Explorers」に分類し、ゲームごとにこの類型ごとのバランスが変化させていくことの重要性を論じています。また、この分類を日本でよく知られている論者であるうさださん(http://lovelove.rabi-en-rose.net/)の分類軸(http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=171)に強引にあてはめれば、Killers=「ゲーマー」、Socialisers=「コミュニティ論者」、Achievers=「自己顕示者」といったところでしょうか。うさださんの分類に、Explorersがみあたらないっぽいのはこれはこれで面白いのですが。ちなみに、リチャード・バートルのこの論文については、http://d.hatena.ne.jp/kataho/20040817/p2 のほうでもう少しきちんとふれられています。

*5http://www.canal.ne.jp/%7Etakama/bri/より「ブリジットとは▼ブリジットとは14歳のシスターの格好をした「男の子」で、その生い立ちには複雑な事情があります。しかし本人はそんな事も気にせず、明るく呑気な賞金稼ぎとして得意のヨーヨーと相棒のクマのぬいぐるみ「ロジャー」を駆使して闘う日々を送っています。▼その容姿から当初ブリジットは女の子と思われていましたが、ゲーム発売を前に男である事が判明、周囲に大きな失望と衝撃を与えました。ですが、失望はある覚悟を秘めた言葉を生み出し、一転して大きな希望へと姿を変えます。その言葉とは…▼「男でもいい! いや、むしろ男だから良い!」▼聞きようによっては個人の社会的地位を一瞬にして失墜させかねない発言ですが、ブリジットに惚れ込んだ方々の大半は、この言葉を掲げ、改めてブリジット萌えを宣言しました。なんと感動的な物語でしょう。▼背徳と倒錯の果てに、性別すら越えて人々を魅了したブリジット。今回のイベントがブリジットの魅力に触れるきっかけとなる事を、そして、既にそれを知る方々にとっては強くその魅力を再認識する有意義な場となる事を強く望んで止みません。」

2006年02月22日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

ゲーム普及の経路依存性と議論構成の違い

 友人から教えてもらったのだが、去年の夏ごろに韓国でガシガシと「デジタルゲーム・ストーリテリング」を題材として扱ったコンピュータ・ゲームの書籍が刊行されているらしい。未追加文献情報のほうにも掲載したが、韓国のほうの書籍紹介はかなりがっちりと要約まで載っておりNaver翻訳で読めた範囲で、軽く紹介してみよう。


ハンヒェワン 『デジタルゲームストーリーテリング (ゲーム 銀河系の ニュー パラダイム)』(2005/8)

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japan/book.naver.com/bookdb/book_detail.php?bid=1625238

 欧米における‘ゲーム学(ludology)’と‘物語論(narratology)’との対立などにも言及しつつ、ゲームにおける<物語>の構成要素を三つに分類して論じている。

  • (1)‘基盤的ストーリー(back story)’=既存の映画と等しい方式で構成される
  • (2)‘観念的ストーリー(ideal story)’=ゲーム固有。作者が完結されたストーリーを プレーヤーに一方的に 伝達するのではなく,プレーヤーの選択と行動を通じてストーリーが展開されるようにゲーム デザイナーが 誘導する方式で行われる。
  • (3)‘偶発的 ストーリー(random story)’=ゲーム デザイナーの制限領域を越えて発生するストーリー。ゲームのオンライン化が前提された状況でプレーヤー対プレーヤーというレベルで無数に生成されうるストーリー

 加えて、翻訳結果ではあまり理解できなかったが、著者は「プレイヤー」「コミュニティ」「コミュニケーション」「キャラクター」という要素に着目しつつ、四つぐらいの効果を挙げて、それらが相互に影響しあい変化していく過程を論じている…らしい。

 彼の分類の中にある(1)back storyと(2)ideal storyという区分けは日本でもしばしば用いられるものだが、これに(3)random storyを「プレイヤー対プレイヤー」という形式の中に見出しているところが興味深い。

 日本の文脈であればrandomに生成される物語といえば、オンラインゲームという話を前提にせずに、むしろファミ通のやりこみであるとか、中沢新一が『ゼビウス』のゲームフリークたちのプレイ行動にみられる特徴のような部分:つまり「プレイヤー」が作り手の意図をほとんど無視して独自に物語世界の構築へと踏み出していくようなエンピリカルな側面を抽出して「random story」の成立をみてとるのが一般的だと思う。だが、ここで「やりこみ」ではなくオンラインゲームにおけるプレイヤー間のコミュニケーションに話をもってくのはやっぱり韓国においてオンラインゲームが圧倒的に強いからなんだろうなあ、と。

 しかし、この(3)random storyはオンラインゲームをモデルとすれば対人的なコミュニケーションを通して成立するものだが、日本のような「やりこみ」モデルを前提とすればこれは脱社会的で非対人コミュニケーションの中でも勝手に成立してしまう。*1

 これは例えば、90年代初期に成立した『ドラゴンクエスト』4コマで見られるようなユーザーによる同人的な物語受容と、2003年以降に隆盛している『ラグナロクオンライン』4コマにみられるような同人的な物語受容との違いといっておいいかもしれない。前者は個人的な妄想の中で成立するし、後者は対人コミュニケーションの中で生じた事件を物語化することによって成立している。

 日本の文脈ではrandom storyのこの差異は明瞭に理解されうると思うのだが、韓国の文脈でこの差異は理解されうるのだろうか?*2

全敬欄 『デジタルゲームの美学 (オンライン ゲーム ストーリーテリング)』

 こちらでもやはり、プレイヤーによる物語の生成作用が語られている…らしい。が、新しい知見がどこらへんにあるかまでは、要約の翻訳ではいまひとつわかりませんでした。

 ただ、面白そうだなと思えたのは、プレイヤーがアイデンティティをどのようにゲーム内で獲得するかという話。全景欄氏によれば、ゲームの世界ではゲーマーのアイデンティティは現実とは違いがあり、サイバー上では性別, 人種, 階級のような生物学的アイデンティティには依拠しない。そして、サイバーワールドでは個人は肉体的な束縛をうけずにコミュニケーションを行い、個人のアイデンティティは選択的に自分をどのように表現するか、というところで形成されてくる。これによってオンラインのアイデンティティは、社会的な実験場として成立するのだ、と。

 …NAVER翻訳の精度の問題であんまり論旨を正確につかめていない可能性は高いが、アイデンティティを「自由に/選択的に」という話をゲームの中でやりはじめているというのは、これもオンライン・ゲームを前提とした世界の話だという気がして面白い。

 たとえば、家庭用ゲーム機の物語論の中では、プレイヤーのアイデンティティが自由に選び取れる/取れないということではなく、むしろプレイヤーがゲーム内世界へといかに現出可能か、ということのほうが問題になる。たとえば、プレイヤーキャラクターとプレイヤーの差ということが、家庭用ゲーム機では常に前提とされ、プレイヤーキャラクターとプレイヤーは「他人」であることが大きなテーマになる。たとえば堀井メソッドにおいて主人公が「しゃべらない」手法の中に、プレイヤー=プレイヤーキャラクターという感情移入の成功を見出し、同時に「FFは感情移入できないからダメだ」といってしまうようなタイプの議論などはこうしたプレイヤ/プレイヤキャラクタの乖離を前提とした議論であるといえるだろう。*3

 対して全景欄氏の議論は、プレイヤ/プレイヤキャラクタ間の乖離を同じく問題としつつも、いかなるプレイヤ/プレイヤキャラクタ間の関係性が「理想」なのかなどといった問題意識とは圧倒的に無縁である。単にプレイヤの身体が、プレイヤキャラクタの身体を得ることで、生物学的/社会的アイデンティティから自由になれることこそが、面白いのだ、と話してしまうよう(多分)楽天的な発想をしているように見える。

 オンラインゲームにおけるプレイヤ/プレイヤキャラクタ間の乖離をもっとネガティブに語るとすれば、たとえば象徴的なものは「相手がネカマかどうか」「相手がニートかどうか」といったプレイヤキャラクタの後ろに控えているプレイヤキャラクタの身体を予想することにこそいろいろな問題があると思うのだが…、全景欄氏はとりあえずアジってるだけなのだろうか。

 あんまりまとまってないですが、オンラインゲームと一人用RPGにおけるプレイヤ/プレイヤキャラクタの乖離問題の処理の仕方の違いをどう論じるかというあたりで、なんか興味深いことが言えそうだな、という予感だけをとりあえず。メモしておきます。



イゾングヨブ『デジタルゲーム, 想像力の新しい領域』(2005/08/05、95p、 ISBN 8952204182)

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japan/book.naver.com/bookdb/book_detail.php?bid=1625241

 ゲームが新しい芸術形式であると論じたり、「アバター」がゲームの世界内/外をつなぐ上で大きな役割を果たすものであると論じたりしているらしい。これだけだと、いまひとつ目新しい部分がよくわからなくて残念。

 また、これも昔から言われていることだが、コンピュータ・ゲームがあまりにも男性中心主義的な構造になっているということにも言及しているらしい。

イ・ゼヒョン(著) 『インターネットとオンラインゲーム』(コミュニケーションブックス、2001.03.01 、368p 、ISBN : 8984990299)

 要約が漠然としすぎていてよくわからず。

李インファ, ゴウック, 電縫官, 強心号, 全敬欄, 梨駐英, ハンヒェワン, イゾングヨブ『デジタル ストーリーテリング』(黄金枝刊、2003.10.20)

http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/book.naver.com/bookdb/book_detail.php?bid=133354

 先に挙げた数人の共著+αで、2003年に発刊されている。

 例によって要約だけしか除けないので細かい論旨はわからないが、「デジタルストーリーテリング」というテーマを三方向から説明している。

 一つはインフラとしての「デジタル」というものと密接に結びついた形での「デジタルストーリーテリング」とは何かを論じ、次にプレイヤーを楽しませるという観点からの「エンタテイメント・ストーリテリング」としてデジタルストーリーテリングの斬新さを読者論的な方向性(?)から語る。そして、情報をいかに効率的にばらまくかという点からの「インフォメーション・ストーリーテリング」としてもデジタル・ストーリーテリングの可能性を語り、日本でいうところの物語マーケティングの手法や、エディテイメントソフトのような方向性においてもデジタル・ストーリーテリングはすごいんだ、という話をしている…ような印象。

 やはり似たような点が気になるのだが、Naver翻訳だと「主人公 キャラクターは 利用者の 意志を 実質的に 具現する 存在なので 利用者の 選択が すなわち キャラクターの 選択が なって 彼 二人の 仕分けは 無意味だ」としている箇所。

 もちろん、読者/主人公という区分けがコンピューター・ゲームのストーリーテリングにおいては従来の小説や映画と同様のフレームで語れないという議論はわかる。だが、読者(プレイヤー)/主人公という区分けが「無意味だ」とまで言ってしまうのは先に挙げたようなプレイヤ/プレイヤキャラクタの乖離が常に問題とされてきた日本の文脈からすれば明らかに異質な議論をしている――ように見える。


李燿薫氏「ゲームは芸術だ」http://news.egloos.com/

http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/news.egloos.com/l28

 これはウェブ上から。2000年に書かれたものですが、この方の場合はオンラインゲーム市場のみについて言及しているというよりも1980年代初期からMSXなどに触れてUltimaやSimcityシリーズに触れた上で新しい芸術ジャンルとしてのゲームという議論になっている様子。韓国におけるゲーム言説も1980年代からの系譜というのは存在しているようですね。

あと

パク・サンウ氏『ゲーム 世界を革命する力』2000

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japanese/book.naver.com/bookdb/book_detail.php?bid=90595

パク・サンウ, 朴懸垂 『ゲームが言葉を歩いて来る時』2005(たぶん何かのあちらの熟語が上手く訳せていないっぽ。)

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japanese/book.naver.com/bookdb/book_detail.php?bid=1507726

などといった気合の入った書籍も出版されているようです。


 以上、ざっくりとまとめると一番気になったのはやはり、韓国における「ゲームの物語論」ではプレイヤ/プレイヤキャラクタの乖離が問題化されていないということです。くりかえしになりますが、これはやはり普及したジャンルがRPGだったのか、あるいはMMOだったのかというジャンルの格差が言説形成に影響をおよぼしているような感覚を覚えます。この話、もう少し根拠付けて論じられれば面白そうなので、今後もう少し追ってみたいと思います。

*1:とはいっても、もちろん、これも「ファミ通」という場所で自慢することを目指してやるユーザーは、社会的なコミュニケーションを希求している…という反論も成り立つわけですが…

*2:と、書いた直後に横からコメントされたので追記。「この本で、back story → ideal story → random story という語り方をしているのは、まず第一にこの本の著者は進化論的な議論をしたいのではないか、と。そして第二に、この議論は技術決定論的な傾向があるのではないか。で、あと、そもそも『ドラゴンクエスト4コマ』と『ラグナロク4コマ』に違いを見出すという方向性もあるが、実は両者において物語消費の形態がそんなには変わっていないということこそ面白いのではないか、と。つまり、技術的にはまったく違うものを、大塚英二が『物語消費論』で指摘したようなフォーマットで消費してしまえる日本のサブカルチャーの特殊性に着目してみるほうがいいんじゃないか、と。」つまり日本ではrandom storyの消費形態は「個人的な妄想の中で成立するし、対人コミュニケーションの中で生じた事件を物語として消費してきた」ものではないか、と。

*3:茂内克彦 2002「ビデオゲームにおけるメディア特性――物語性と主人公に着目して」http://www.intara.net/ron/syuron/ などはこうした問題意識を前提にしつつ、堀井メソッド的でない形でのプレイヤ/プレイヤキャラクタ間の関係性を描ける!という話をした好例

2006年02月21日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

e-sportsmanshipの誕生。

 日本でも最近けっこうしられてきましたが、韓国ではスタークラフトなどのスタープレイヤーに賞金を払ってプレイさせていくという経路があります。2000年1月に世界初のプロゲームリーグが発足したことで成立し、数年前から韓国の子供の憧れの職業No1は「プロゲーマー」になることだそうです。日本のプロ野球以上に狭き門らしいですがトッププレイヤーは年収2000万円を超えるような賞金を稼ぎ出しているんだとか。テレビ中継もCATVで毎日やってるそーです。

 で、まあ、ここまでの話はそれなりに知られていることなのでいいとして、今日ググっていて面白かったのが、↓以下の電撃オンラインの記事。

 ここでの犬飼氏の発言がたいへんに興味深い。(強調は筆者)

犬飼氏は、日本でe-Sportsが普及していない現状について、家庭用ゲーム機が中心となっている市場や、ゲーム大会主催者の「e-Sportsを行っているという意識」の低さなどを理由に挙げていた。

 一方で、犬飼氏は日本国内のe-Sports発展の可能性についてもコメント。『カウンターストライク』など、e-Sportsでプレイするゲームは「GL!(Good Luckの略)」で試合が始まり、試合後は「GG!(Good Gameの略)」とあいさつを交わすことがマナーの1つになっているという。犬飼氏は「このようなマナーやルールが存在することは、武道と同じように、e-Sportsが教育の現場に生かせるのでは」という考えを示している。

 私自身はオンラインゲームをやりはじめて間もないが、この手合いの「挨拶をきっちりと」という話をきくことが多いです。

 ラグナロクオンラインでギルドにいれてもらったとき「何かギルドに入った場合の義務とかはありますか?」と聞いたところ、ここでも「とくにうるさいことをいう気はないが、ログインしたときは挨拶ぐらいはきちっとしてほしい」ということを言われた…。うーむそうなのか。と。

 しかし、ラグナロクオンラインなどMMOのギルドにおける「挨拶」は「この」コミュニティに属している人間に対する社会化の要請なわけですが、e-sportsにおいて支配的にあらわれているこの言説(試合前と試合後の挨拶)は完全に柔道や剣道など武道における作法とまったくイコールで結ばれているよーな気がします。そもそも「e-sports」という概念によってゲームが語られるということ自体が革命的なわけで、この発言はかなりくるところまできているといった印象をうけるます。うけませんか?

2006年02月10日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

MMORPGの経済でインフレは起こるのか。

 最近、東大ゲーム研やAOGCなどで精力的に講演されている山口浩氏(http://www.h-yamaguchi.net/)の話で「MMORPGでインフレが生じているのを観察したいのだが、観察できないYO!」というような話を聞きますた。

 で、きょう山口さんにも直接申し上げたんですが、私がプレイしているラグナロクオンラインのThorサーバーでは、この数ヶ月の間にけっこう激しくインフレが起こっているようです。

 理由はThorサーバーにたまっている人に聞いた話によれば、「もともとBOTの多いサーバーだった。だが、12月にガンホーがBOT対策をやって以来、物価が大きく変動して全般的にインフレ気味になった」ということらしい。まあ、BOTの消滅というのが要因となると、MMOの経済学的にどうなのよっつー感じもしますが、とりあえず、こんな事態を観察しますた!というご参考までに。

 以下、露店でよくみかける高額売れ筋商品?と僕が主観的に思っているものを「ろ。マーケットリサーチファウンデーション」(http://at-x.net/)で、がりがりと検索してみた結果です。なお、ミルクやブルージェムストーンなどNPCの売店による供給先があるものについては別の経済構造になっていると判断したため、売れ筋であっても検索せずに省きました。

【凡例】

◆商品名 11月半ばのおおまかな平均値 → 1月末のおおまかな平均値

(平均値はちゃんと計算してません。見た感じでざっと。)

値段の上昇が観察できた売れ筋商品

◆古く青い箱 130K→380K*1

http://at-x.net/s.jsp?se=1&itemname=%8C%C3%82%AD&wo=256&re=&st=&at=&pr=&pc=0

◆ソヒーカード 50K→200K

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=4100&wo=256

◆プパカード 300K→1M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&itemname=%83v%83p%83J%81%5B%83h&wo=256&re=&st=&at=&pr=&pc=0

◆ミノタウロスカード 3.5M→5.5M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=4126&wo=256

◆エギラカード 900K→1.5M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&itemname=%83G%83M%83%89&wo=256&re=&st=&at=&pr=&pc=0

◆Sシューズ[1] 400K→2M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2404&wo=256&at=0&st=&ci=0&cn=&pr=&re=0

◆Sブーツ[1] 1.5M→3M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2406&wo=256&at=0&re=0&pr=&ci=0

◆Sマフラー[1] 800k→2M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2504&wo=256&at=0&re=0&pr=&ci=0

◆Sガード[1] 350K→1.75M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2102&wo=256&at=0&re=0&pr=&ci=0

◆S海東剣[2] 1M→3.5M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2504&wo=256&at=0&re=0&pr=&ci=0

◆Sゴーグル[1] 1.2M→3.5M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2225&wo=256&at=0&re=0&pr=&ci=0


◆猫耳のヘアバンド 900K→1.5M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2213&wo=256

◆クリップ 450K→650K

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2607&wo=256&at=0&re=&pr=&ci=0

◆プレゼントボックス 80K→130K

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=644&wo=256

◆古木の枝 18K→28K

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=604&wo=256

◆ソヒーの卵 12M→20M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=9020&wo=256

値段が安くなっている売れすじ商品

◆銃奇兵カード*2 10M → 2M

http://at-x.net/s.jsp?se=1&itemname=%8Fe&wo=256&re=&st=&at=&pr=&pc=0

◆Sリボン[1] 120K→80K

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=2209&wo=256&at=0&re=0&pr=&ci=0

◆四葉のクローバー*3 200K→120K

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=706&wo=256

あまり値段に大きな変動のないもの

◆エンペリウム

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=714&wo=256

◆ペコペコの卵

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=9014&wo=256

◆虹色のお餅

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=12124&wo=256

◆黒猫の人形

http://at-x.net/s.jsp?se=1&ii=7206&wo=256


 と、まあ以上のような感じで、ざっと売れ筋商品を調べた感じだと、一部例外もありますが、全般的にはかなりのインフレ気味であるように思われます。


追記1:

id:Nao_uさんから、トラックバック

WoWのThottbot*4みたいなのを使えばMMORPGの世界で起こっているすべての現象を詳細にログに残すことができるだろうから、物価の変動や人間関係のネットワーク解析など、面白い研究材料になりそうな。

ThottbotはいってみましたがWoWやってないのでなにをうちこんだらいいのかもわからず…

とりあえず、よくわからないけれども面白そうではありまスネ!

追記2:

FF11のインフレ。

http://d.hatena.ne.jp/mkg_b/20060210/p1

「ぬすむ」のリキャストを 0 にするチートツールと、エリアチェンジによる Repop の仕様を悪用した

という原因によって、一時的にインフレが起こったらしいです。

*1:聞いた話によれば、古く青い箱はBOTが狩ってくるアイテムとして主流中の主流だったらしく、特にわかりやすくインフレがおこったらしい。

*2:銃奇兵カードの暴落している理由もBot駆除と関係しているっぽい。銃奇兵カードは、「+9以上のS付装備」というものとセットで利用しなければ価値がでないのだが、問題となる+9以上のS付装備のほうだけがBotの消滅によって、レア度が上昇してしまう構造が裏にある。その結果、+9以上のS付装備の供給に比べて、銃cの供給だけが過剰にふくれあがってしまったのが理由のようだ

*3:この暴落もたぶん、銃奇兵カードの暴落とほぼ同じ理由によるものと思われる。「猫耳のヘアバンド」などのレアアイテムと併用して価値がでるアイテムの一つなので、併用先のレアアイテムの供給だけが落ち込んでしまったことが原因だろう。

*4:Thottbotの凄さ:http://blog.livedoor.jp/spikee_rez/archives/50056139.html