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2005年06月21日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ゲーム性
人のはてなダイアリーなどを見ていたら、「ゲーム性」という言葉がキーワードに登録されているのに気づき、「なにぃ!これは自分が編集せねば!」という謎の使命感にかられ、大幅に編集しなおしました。id:yms-zunさんの「仮説」とか消しちゃいました。すみません。
以下、私の編集した内容。
ビデオゲーム雑誌やゲームファンの間で日常的に使われる言葉だが、その定義ははっきりしない。
一言で言うとすれば「そのゲームならではのおもしろさや醍醐味」程度の意味とでもいったらよいだろうか。
用語として登場したのがいつであるのかは判然としないが、ビデオゲームの黎明期である1970年代後半にはすでに使用されていた事例を発見することもできる。ただ、言葉としての使用が定着していったのはおそらく1980年代後半だろうと思われる(これは、家庭用ゲーム雑誌が乱立して登場した時期とセットになっている)。
特にこの言葉の用法として議論の俎上にのぼりやすいのは、ビデオゲームソフトを誉めたりけなしたりするときに使われるような「ゲーム性が高い/低い」「ゲーム性がない」などといったものいいである。言葉の定義が曖昧でありながらも、評価軸として決定的に重要なものとして作用する、という矛盾ゆえに多くの議論を呼びやすい言葉であるといえる。
その他の言葉の用法について。
文脈によって複数の意味が使い分けられており、その全ての用法が議論の俎上にあがるようなビデオゲームの評価枠組みとしての意味ではない。いくつか事例を挙げる。
- 個々のゲームに固有の性質を表す場合
- 「インベーダーとゼビウスでは全然ゲーム性が違うよね」「FFとドラクエって実は別々のゲーム性があるよね」 → 「作品性」とか作品の個性、といった意味にも翻訳可能。または、「ゲーム性」という明示化できないアーキテクチャーが文脈において暗黙のうちに前提とされており、その差異を明示していると思われる。(ここには評価的な意味合いが含まれないこともあるし、含まれることもある)
- ゲームとしての要件を満たすかどうか、その程度を表す場合
- 「人生ゲームにはゲーム性がない」「たとえば小説にゲーム性をつけていくと、ゲームブックになる」など。 → 「ゲーム」というカテゴリーに括ることが可能であるかどうか、という問題。「ゲーム」の定義が問題とされている。
などなど。
注意深くこの語を追っていくと、様々な言葉の使用例を発見することができるが面白いことの一つは、この語に対するさまざまな形での批判や、あるいはその逆に「俺はゲーム性信者だ」と言うような肯定派(?)もいるなかで、とりあえず曖昧だなんだと問題もありつつもこの言葉によってなんとなくゲームファン達のコミュニケーションはなりたっていることだ。曖昧だけれども、この言葉によってコミュニケーション可能だ、ということだ。
それはつまりゲーマー達はこの言葉によってある程度のズレはありつつもお互いに何かしらの形でこの言葉によってイメージが交換できてるということなのだろう。
参考
ビデオゲームの議論における「ゲーム性」という言葉をめぐって -雑誌『ゲーム批評』を中心にその使われ方の状況を探る-
→ http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/thesis/2002/inoue.html
あまり出来のよいものではありませんが…、一応データと旧来の議論をネタに「ゲーム性」という言葉について語ろうという試みのなされたものです。
前半は遊び論などを引き合いに出して、ゲームや遊びといった概念の定義の可能性/多様性をおっかけて、後半はいきなりテキストデータを分析にかけて、「まっ、色々な使われ方があるよねー」と言ってみましたYO! という内容です。
これに加えてもう一言、
「ゲーム性という言葉が多くの問題をはらんでおり、この言葉を使用する際にはある程度の注意が払われることが望ましいものではあるが―――それがビデオゲームの評価をめぐる決定的に重要な側面において使われ、また多くのコミュニケーションを可能にしているということを鑑みると、これを「馬鹿げたマジックワード」として完全に一蹴して一顧だにしないということも、また極端な態度なのかもしれない」
と付け加えようかと思いましたが、
これを付け加えると、キーワードの説明としては少し価値評価的な記述になってしまうかと思いスルーいたしました。
っていうか、このキーワードを登録したのは、誰かと思えばid:AYSさんじゃないですか!