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2005年04月09日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■「思春期病」患者への防衛意識とファミ通クロスレビュー
話は変わってファミ通クロスレビューの話。と、ファンへの防衛意識。
http://gmk.9bit.org/note05q2/050406-shisyunki.htm
彼らの存在を意識すると、好きだからこそ苦言を呈する行為さえハイリスクなものに思えてくる。ゲーム系ブログ運営者はもちろん、商業誌を作る人々でさえこの問題には神経質だ。現に今のファミ通クロスレビューでは、4人が4人とも同じようなことを書き、無難な点数しか付けなくなっている。これがスポンサーを恐れるからではなく、思春期病患者を恐れるからだと言えるのは、近年『斑鳩』のようなゲームに不自然な高得点が付いていることからもわかるだろう。中小メーカーとの関係が悪化したところで出版社にたいした影響はないが、それでも「人を選ぶゲームだ」なんて本当のことを書いて低い点を付けた日には、思春期病患者から脅迫状を送り付けられることだろう(これはネタではなく実際よくある)。こういう患者が増えると世の中が息苦しくなる。
文句を付けてくる人を「病」として見なそうとは思わないが、状況をうまいこと言いあてている。
実際、90年代中盤ぐらいを境にファミ通クロスレビューのそういった防衛意識は急速に高まっていった感はある。93,94年ぐらいまでは、スクウェアの新作に対しても6点、7点をつけたりして読者から恨まれていたりした時期があった。実例を挙げると「ファミコン通信」93年12月17日号のクロスレビューでは『ロマンシング・サ・ガ2』の評点が8・5・7・6*1と大変に低い点数がつけられている。この点数が妥当と思えるかどうかということはさておくとして、90年代中盤においてファミ通クロスレビューは確実にその性格を変えていっている。少なくとも、今のファミ通がスクウェアエニックスの一押しの新作にこの点数を付けるとは到底考えにくい。*2
ファミ通クロスレビューがそのように性格を変容させると同時に、90年代後半には「ファミ通クロスレビュー」が権威的なものとして捉えられる文脈が確実に成立していて、同誌に連載の鈴木みそ「大人のしくみ」の中で、飯野賢治*3と浜村通信がクロスレビューについて討論を交わすというような場面もあった。そして、90年代後半以降、クロスレビューに触れて繰り返し浜村通信が言うようになったことの一つとして「実際のゲームプレイヤーの気持ちになることが重要だよね」(以下、「同じ気持ち」発言と略す)というものがある。実際の発言から引用すると
最近とくに、ターゲットの狭いソフトが増えてきている。気をつけているのは、ターゲッティングされたユーザーと同じ気持ちになること。製作者も納得してプレイしているのにレビュアーだけが文句をつけているなんてね。レビューの意味がないもんねぇ(2001/9/21ファミ通増刊「クロスレビュースペシャル」)
という発言がわかりやすいが、昨年(2004年)4月のには同様の主張を繰り返した後「もちろんいまのファミ通の評価は、その考えを前提において採点されている」*4とまで言っている。苦情を言ってくるファン層への防衛意識を換言すれば、なるほど、このような言い回しになるのだろう。*5
*1:評者はそれぞれ浜村通信、ローリング内沢、渡辺美紀、ジョルジョ中治。完全に余談だが、この評価は93年当時、私もびっくりしたし、開発者の河津さんなどはだいぶ根に持っていたようで、つい数年前の「コンティニュー」誌のインタビューでこの評価に対するグチと思われるような発言をしていた。
*2:その傍証として、現場の証言としては大沢良貴『ゲーム雑誌のカラクリ2』などがある。たとえばP52~「アスキーにいた時代末期でしたが、当時スクウェアの話題作『ファイナルファンタジーVIII』の発売が間近に迫っておりました」/ この時機、さすがに注目作だけあって『ファミ通』に届いたサンプルに対する情報がけっこう流れていたものですが、このときはなかなか顕著なものがありました。別に『ファミ通』編集部に近いというわけでもないのに、「あっちゃー」という印象が流れまくっているのですから、サンプルをプレーした人の感想は押して知るべし。というより、実際に聞いてみると本当に評判が悪かったりするのですから始末に負えません。/しかし、その後の『ファミ通』では『ファイナルファンタジーVIII』が一押しのまま、300万本売れてくれて、めでたしめでたしというオチになりました。/ こういった現象に対して「広告もらってるからだろ?」「接待されたからだろ?」といったスキャンダラスな言葉で片付けるのは簡単でしょう。しかし、広告や接待で記事の扱いが変わるのであれば、かつて財閥系の大資本がゲーム業界に参入したときに失敗するわけはないし~~中略~~ / そもそも、どのゲーム雑誌もメーカーもそうですが、暗黙の了解のうちで業界を牽引していくタイトルやメーカーというものを決めてしまっています。はっきり言ってしまえば、ゲーム雑誌などはゲームの出来などは別として、その発売時期にあわせて特集を組んでしまっているので、実際にサンプルを遊んだ人々の正直な感想が入る余地などまったくありはしないのです。」
*3:はたまた完全に余談だが、飯野賢治が最も尊敬されていた「1997年」という年はゲーム雑誌が一番売れていた時期。スクウェアが一番強かった時期とも重なっている。
*4:ファミ通2004.4.16日、800号、P277
*5:「防衛意識の言い換えでしかない」というのはちょっと言いすぎかもしれないが。