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2005年04月09日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■「真実の読み解き」評論
友人が『攻殻機動隊S.A.C 2』にはまり、エヴァ本ブームのときの「エヴァの真実」のようなタイプの「読み解き」を行うような評論を読んでいる。で、それを「お前も読め」と進められたのだけれども、そういう評論には微塵も食指が動かない。
別にそういう評論が嫌いだとか、ダメだというわけではないが、積極的に読みたいとは全く思わない。興味が無い。そもそもそういった評論というのは作品自体に対して、「読み解き」を行った末に立ち現れるであろう<深遠さ>のようなものを期待する態度が備わっていなければ読むことも書くことも無理だ。私が押井守の信者で、『攻殻機動隊S.A.C 2』を聖書だと思えるような人間ならばそこにコミットしていくことも可能だったのかもしれないが。
……
などということを先月考えていたのだけれども、件の友人は別に押井信者というほどの信者でもなく、何の作品に対してでも「読み解き」的な評論を読めてしまうらしい。たとえば、『2001年宇宙の旅』の評論とかもそういうものが多いが、あれでも読めるのだろう。私にはそういったものの読者になりうるということが不思議。
そういった鑑賞方法そのものが体に染み付いてしまっているとかってことなのか。私はそこに積極的な価値をほとんど見出せないのだけれども、積極的な価値を見出すためにはどういう思考回路を経由すればいいんだろうか。