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2005年03月26日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

お知らせ

来週から、当分ネットにつなげないかもしれません

2005年03月25日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

『広技苑2005春版』 最新ゲーム用語事典付き

  広技苑 (2005年春版)

 今年度版は、ゲーム用語事典が付いている、ということで資料として買いました。

 ひまがあったら、1993年のファミ通の『ゲーム用語辞典』や、1980年代に書かれたいくつかのゲーム用語辞典(『新明解ナム語辞典』やファンロード88年4月号「シュミのゲーム大事典」など)と比較してみようかな、と。

2005年03月23日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

「暴力」の概念がいいかげんなのではなかろうか、という話。

3月20日のコメントが長引いているので、見ていただいている方へのフォローと、僕の方での理解のレベルの提示という意味をこめてもう少しきちんと書いておきます。

たとえば坂元章氏の「暴力性」の研究などでは、

「暴力」という概念そのものを問う姿勢があまり見受けられない。

何を問うべきか、という議論が薄いというべきでしょうか。

このTatsukiさんの指摘は、実際、ゲームの「暴力性」研究の話を考えていく上ではとても重要な指摘です。

どういうことか、というと久保正明さんのスポーツ哲学のページにある、スポーツと暴力の問題提起がわかりやすいので引用します

 街角で、目つきの悪いお兄さんが若者を殴ったりしていたら、それを暴力って言いますよね。でも、このお兄さんと若者が上半身裸になってトランクス姿で、リングの上で殴ったりしていたら、これ、暴力って言いますか。普通、ボクシングって言いますね。

 このように、スポーツには殴ったり、蹴ったり、押し倒したり、投げたりする場面ありますね。ボクシング、レスリング、剣道、柔道、アメリカンフットボール、ラグビー・・・、あるいはバスケットボールのハッキング、サッカーのチャージ、みんなこんなことしてますね。あれって、暴力・・・じゃあないですよね。でも、殴ったり、叩いたりはしてますよね。どこが違うんでしょう。また、ストリートファイトなんてTVゲームありますね。あれ、実際にやったら、スポーツになりますかね、あるいは暴力ですかね。

 話は変わりますが、犬に咬まれたことある人いますね。あれって犬の暴力ですか。じゃあ、蚊に刺されたことある人、あれって暴力でしょうか。

 また、よく殴る先生(監督・コーチ)いますよね。あれって、暴力ですよね。でも、殴られたあとに「ありがとうございました」なんて言っている人もいますよね。あれってサド-マゾなんでしょうか。それとも、愛するが故に・・・なんて考えると、さっきの関係を思い浮かべちゃいますね。そうではなく、教育者として子どもたちに教え込むために、あえて手をあげる・・・。

 こうやってみてくると、一体どこまでが暴力なのか解らなくなりますね。暴力って何なんでしょうか。

 ここで言われているように、「暴力」という行為は、一見自明なように思えますが、考えていくと何が暴力で、暴力でないのか、というのは実は文脈によってマチマチだということがよくわかります。では、我々は一体、どういう理由で「暴力」を暴力とみなしているのか。

 一言で言ってしまうならば、個別の犯罪的な暴力*1というのはソキウスの暴力概念の解説の中で引用されているデュルケムの「われわれはそれが犯罪だから非難するのではなく、われわれが非難するから犯罪なのだ」という言葉に集約されるものかと思われます。つまり、客観的に観察可能な「暴力」というものが存在するわけではなく、肉体的・精神的に危害を与える行為を社会の側が「暴力」だとして取り扱うからこそ、それは「暴力」としての認定を受けることになるのだ、ということです。

 こういうことを言うと、「暴力」概念がものすごく相対的で根拠のないものであるかのように思えてしまいますが、我々の日常的な感覚として「暴力」イメージはかなり明瞭に存在しています。そこで実質的な「暴力」認定、定義のための基準が必要となります。

 それがたとえば、その行為が本当に被害者にあたる人の「基本的人権」を侵害しているのかどうかなどといったことや、刑法における規定といったものがあるわけですよね。これは基本的に一目見てわかるものというのではなく、加害者が責任能力*2のある状態にあったか、とか被害者の側にその行為に対して同意が存在したのかといったこと水準によって判定されているわけですよね。

 さて、それではどうしてこの話が重要なのか。

 テレビゲームの影響論に関する実証研究をいくつか見てみると、「暴力性」を測定した、という話になっています。たとえば湯川進太郎・宮本哲弘・吉田富士雄(1999) 「暴力的テレビゲームが攻撃行動に及ぼす影響」や、坂元氏の文章の中で触れられている電気ショックを与える時間と、テレビゲーム遊びとの相関性についての研究などが挙げられます。これらの研究の中では攻撃的思考、攻撃思考だとか、暴力性といった言葉がほとんど同じ意味で使われていますが、考えてみると、それって本当に全部「暴力性」という言葉にくくってしまっていいのか?と。

 少し考えてみれば「攻撃」と「暴力」はぜんぜん違うものだろう、という今までの話から明らかです。「攻撃的思考」によって「暴力」が発生する可能性は確かに上昇するかもしれない。だけれども、そこで社会的に振舞おうとする意識があれば、別にそれはボクシングとか別の格闘ゲームをプレイするだとか、そっちのほうへ向かう確立だってぜんぜんあるのではないか、と。とすれば、人に電気ショックを与えた時間を測定する研究みたいなことで、「暴力性」が証明されたといえるかどうかはきわめて怪しいという話です。

 たとえば95年1月に日経新聞で報道された事件に、「格闘ゲームで見た技がどれくらい効くか、試してみたかった」という動機で起された中学生によるリンチ事件がありました。この事件について格闘ゲームの「影響」があったことは、加害者コメントからも明らかです。ですが、格闘ゲームの技を実際に決めてみたいという、欲求が生じたとしても、それをボクシングや空手の試合の場所ではなく、それを「リンチ」という形で実現してしまう感覚はテレビゲームの影響というよりも、事件を起した中学生達のモラルだとかそういう水準の話にもっていったほうが妥当だろう、と。*3

 以上が僕なりに噛み砕いたTatsukiさんの話…だろうと推測します。

*1:「国家的暴力」「構造的暴力」という概念と区別してこう呼んでいます。

*2:いわくつきの刑法39条ですね。未読ですが『そして殺人者は野に放たれる』日垣隆なんかでも最近話題になりました。

*3:これに対しては、こういう反論も考えられます。「普通、暴力に類する行為がメディアなどで表象されるにせよ、スポーツなどとして教えられたりするにせよ、そこには通常の場合は勧善懲悪の概念や、スポーツマンシップというモラルがセットになっている。それに対して、暴力的表象だけが提示されてモラルがセットになっていないテレビゲームはその意味で「悪影響」ではないか」と。こういう反論であれば、わからないではないです。もっとも、モラルと暴力的表象は他のメディアでも必ずしもセットになっているわけではない(たとえば映画『ゴッドファーザー』)ですが。そう言ったらこういう反論があるでしょう、「テレビゲームは他のメディアよりもインタラクティブであるがゆえに臨場感・リアリティが強く、表象から行為欲求へとつながる相関関係についても実証研究があるにはあるし、子供達の日常的な接触量も多い。だからテレビゲームの責任は他のメディアよりも強力である」と。この反論については、認められるかどうかさらなる実証研究を待つしかありません。

とは言ったものの。

 で、私のツッこみはと言いますと、いままでしてきた話って、至極その通りであり考慮されるべき話ではあるわけです。もちろん、価値のある指摘です。有意義です。

 が、ぶっちゃけた感想を言ってしまうと、これって理論系の人がいかにもやりそうなツッこみでもあるわけですね。そこそこの期間、人文・社会科学系の理論とかをかじっている人なら、多分既視感を覚えてしまうような。

 しかも、何よりも悲しいことにこう突っ込まれたところで実証系の研究をやってる人たちの研究手法の具体的な改善につながるかどうか…というと、あまりつながらないことの方が多かったりするというのが経験的な話としてあったりします。つながれよ!とは思うものの、つながらない。「じゃあ、どういう方法論で研究をやれっつーのよ?」とか言われると、具体的な代替案がいまひとつ出しにくい。

 「攻撃的思考に加えて、ゲーマーのモラル意識調査でもやるか」って、話が出てきてもいいような気もしますが、ゲーマーのモラル意識ってゲームプレイとの相関性という話で一般化できるようなことなの?とか言い出したら、それもまたものすごく怪しい。

 うーん、それじゃあ、どうやって暴力性測定ってやればいいのかねぇ、と。(多分、「暴力性」とかっていうんじゃ、扱う対象として無理があるから、コミュニケーション欲求の影響とか、抑鬱傾向とか、もう少しケチのつきにくいレベルで観察可能な部分へと研究方法を落とし込んでいくのがベターだということになるのかな、とか思いますが)

 それが私の問題意識でした。

 なお、坂元章氏が「好影響・悪影響」という観点に絞って影響論研究をしているということ自体について言えば、「好影響・悪影響」という抽象的なものを取り扱うのがある程度の無理のついてまわる研究だということはありますが、ゲーム業界にとってみてば「悪影響はないんだ」とかあるいは「悪影響があるとしてもこういう部分だけ」といったアリバイゲットのために重要な研究でしょうし、悪影響を懸念する一般の方にとっても、もちろん必要とされている研究だと思います。あと、坂元氏は社会心理学者という肩書きですが、業績をパッと見させていただく限り、ほとんどが具体的な細かいテーマを設定して実験・統計といったことで業績を重ねてきた方のようのですので、「社会」とかを相手にゴリッと語るよりかは、得意分野であろう実験・統計で信頼できる仕事をしてくれた方がいいのではないですかね。

 …と、長くなってしまいましたが、こんなものでよろしいでしょうか >Tatsukiさん。

 書き終わったところで、今から、『メタルギアソリッド3』でアメリカの兵士として「国家的暴力」をやってきます(笑)

2005年03月22日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

 はてなの質問たち その3

先日のはてなの面白い質問たちその1はてなの面白い質問たちその2に引き続き、はてなのゲーム関連の質問をまとめてピックアップしてみます。


  • プレステ2、ゲームキューブをやるのに最適な液晶テレビ(15~20型)を教えてください。できればレースゲームやアクションゲームなども動きの早いゲームもやりたいです。液晶テレビは早い動きに弱いといわれていますが、その中でも良いものを選択したいと思います。
  • ファミコンソフト(初代ファミコンのカセット)の作り方を教えてください。有力な情報でも歓迎します。
  • 大型犬のオフ会したいのですがどんなことすればいいのかわかりません。一応ドッグカフェ借りて食事が出来るようです。でも3時間もあるからただしゃべっているだけではつまらないのでなにかゲームとか面白い物があれば教えてください。
  • この書きかけの卒論を見て突っ込みをお願いします。http://d.hatena.ne.jp/sana0122/20050101 内容は家庭用ゲームの発展過程とシミュレーションゲームについてです。題は「少女のサブカルチャーについての考察」なのですが、まだ書きかけですのでここまで書いていません。表が崩れていますが、無視の方向で。ただの感想はいいです、徹底的にここが間違っているとか、ゲームについての説明がなっていない、そもそもこのゲームの発売日が間違っているなど、重箱のすみをつつかないぐらいのを突っ込みをお願いします。8000字くらいありますので、時間の余裕のある方よろしくです!
    • http://www.hatena.ne.jp/1105706084
    • おお、サブカル系卒論。とっくに終わってしまって、掲載されていたところが消えてしまっている。残念。
  • 85年のスーパーマリオブラザーズって何であんなにヒットしたの?家庭用ゲームで出した意味とか、アーケードゲームではいけなかったのか?とか。よろしくです。
    • http://www.hatena.ne.jp/1105453936
    • んん~、やっぱ微妙な回答。流石に、これは簡単に答えられる質問じゃないですね。「なぜドラクエはあんなにヒットしたの?」「なぜテトリスはあんなにヒットしたの?」といった質問は、何かしら答えろといわれれば答えられるが。答えられるというだけだなあ。
    • そして、なにげに最後に茂内さんの文章がリンクされているという。
  • 過去にテレビで放映された家庭用ゲームハード・ソフトのCMの動画を数多く揃えているサイトを教えてください。
  • 優良図書に推薦したいビデオゲームを探しています。
    • http://www.hatena.ne.jp/1110648448
    • 知人の質問ですが。全般にまあ、妥当なものが集まったなあ、という印象。でも、けっこう知ってるものが多かったので、まあこんなものなのかな。
  • 現実の世界では、苦手な相手と戦ったり、お金を貯めたりすることは大変で疲れることなのに、RPGになると、なぜ楽しく何時間も遊ぶことができるのでしょうか?その理由を、心理学(あるいは、どのような学問分野で扱われるテーマなのか分かりませんが)などの立場から、分かりやすく解説したサイトがあれば教えてください。
    • http://www.hatena.ne.jp/1108716498
    • 主に心理学系の達成欲求とか、刺激とかそこらへんに回答が集中してますね。(まあ、質問の仕方がそういうものだけれど)。これに関しては前に、「差異の記号の中の戯れるとか。ボードリヤールたんっぽい話として理解すればいいんでないの?」とか言ってたことがありました。まあ、そこらへんは確か私なんかよか記号論系に強そうな人々の書いた藤井雅実、澤野雅樹編著『人はなぜゲームするのか 電脳空間のフィロソフィア』(1993、洋泉社)が、それ系の解説をがんばっていたような記憶が。

2005年03月20日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

優良図書指定にしたいゲーム

 おお、id:ConquestArrowたんがはてなの質問が終わったと思ったら、こんなのはじめたらしい。

 http://member.blogpeople.net/TB_People/tbp_2129.html

 いろいろなサービスがあるんですな。トラックバックを集積するためだけのURLかあ、なるほど。

有害/優良指定論議

 それはさておき、優良図書とゲームという話は、まあ、正直なところどうなのだろう。「優良図書」「有害図書」などといったものを国だとか、市だとかそういった公的機関が決めるというのがそもそもちょっと奇妙な現象である、というのはいまにはじまったことではないけれども。

 にしても優良/有害というのは、実際のところどういう根拠に立脚した形で議論してるんだろうか。マスコミ報道の中で暴力・エロ系のものが眉をひそめられるというような類の「良識」に影響されて議論されちゃったりするようなヘナヘナ感のただよう実情とかも本当にあるのだろうけれども、もし自分がそういうのを議論しなければいけない役職に無理矢理に就かされてしまった場合とか、どういう議論にもっていけばいいのだろう。なかなか想像がつかないな。

 とか思いつつググってみると、「有害図書撲滅」「有害」規制監視隊をとなえていらっしゃる大変にエネルギッシュなサイトを発見。がんばってください。

 これを見ていると、有害云々の議論は埼玉県なんかだと、一般から公募した「青少年健全育成審議会委員」などにまかせてやっているらしい。ほほー、そういうのに応募する人というのがいるわけだな。一般から応募するのは結構だが、「書類選考のあと、面接による第2次審査が行われ、5月中旬までに選考結果が通知される」とかって書いてあるが、その選考過程におけるイデオロギー的中立性の保障とは言わないまでも「社会的に望ましい意思」とか、っていうものはどのようにして保障されうるのだろうか?見た限りだと、県につとめてる公務員の面々が決めちゃってるようだけれども。就職試験じゃあるまいし。そんな制度でいいもんなのか。でもまあ、県職員とかも本人が保守っぽい人とかでもない限りこの応募をやってる職員当人達も面倒でたまらないのかもな、本当に。(少なくとも、自分が公務員でそんなことやれと言われたら、確実にダルい)

 他にも、CEROがやってるようなレーティング制度っていうのは単に年齢ごとに適正なものを決めるという程度の比較的温和なものだけれども、こっちは「有害」というきわめて強い表現なわけですけれども、そこらへんの差異を気にするのも面倒なのか、「CEROの基準を援用すれば、ま、いいんじゃね?」みたいな話になってたり、なかなかにダルさ全開。

ところで優良なものの根拠というのは何なのでしょうか。

 有害図書指定については、なんとかがんばって「科学的根拠」らしきものを発見しようとしているのが会議の様子などを読んでいるとわかるし、委員の方々も外野から突っ込まれないように武装しているのはわかるんですが*1、ググってみてもわからないのは、「優良図書」の論議。

 優良図書の「科学的根拠」らしきものを論じているのが見つからない。

 「オーイエス。この本からはマイナスイオンが出てるから確かに優良な効果があるヨ!!」みたいな論拠をゲットしたいわけですが、どうしてみんな、これについては何も口を挟まないのでしょ。もちろん有害図書指定になったら実際に書店において特定の年齢層に対して「販売禁止」という強い措置がとられることになり実効性のきわめて強い問題だというのはあるけれど、自分は『わが子に帝王学を』堀川たかしが、子供にとってどのように優良なのか知りたい次第。

 結局、優良図書を選定する基準として発見できるのは、東京都青少年の健全な育成に関する条例第5条、第8条及び第14条の規定に関する認定基準あたりで、

(1)社会の良識と倫理観念のかん養に役立つもの

(2)正しい知識と教養を深めるもの

(3)人間的愛情を豊かに育てるもの

(4)美に対する感覚を洗練し、豊かに育てるもの

(5)健全な娯楽作品として優れたもの

(6)思考力、批判力又は観察力を養うもの

(7)前各号のほか健全な心身の成長に役立ち、福祉の向上に資するもの

 という「科学的根拠」というよりは、価値の多元性を当然のように認めるという緩やかな方向性ぐらい。

 ここで見られるような、有害図書指定の時はやや絶対的な「科学的根拠」らしきものが必要とされ、優良図書認定のときは価値の多元性のようなところでヌルーく終わらせてしまえるという非対称性は一体どうしてなのだろうか。

*1:つっこみようのない議論をしていると言っているわけではありません。あたりまえですが

2005年03月12日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

はてなゲーマーが選ぶ「2004年のコンピュータゲーム10選」 まとめ

 はてなキーワード「今年のゲーム十選」という企画で、2004年度のゲーム10選もだいたい出ただろうということで、30分ぐらいかけて勝手にカリッとまとめてしまいました。*1

  • 得票数 『タイトル(ハード)』 選者のid

 こうやって見てみると、『塊魂』がゲーマーに圧倒的に強い支持を得ていたというのがあらためてわかりますね。母集団が10人という少ない中で、得票数7なのでこれはすごい数字です。ゲーマーのはてなダイアラーのうち70%が支持しているわけですから。

 そして、『THE 地球防衛軍』のヒットに引き続き、『THE お姉チャンバラ』が評価されているというのも、THE simpleシリーズの力を感じさせます。

 なにげに一番衝撃的なのは『ドラゴンクエスト8 空と海と大地と呪われし姫君(PS2)』を強く推していたのが、id:nintentenさん一人しかいなかったという点でしょうか。もちろん、11月末という2004年の終わりごろに出たので単純にやってなかっただけかもしれませんが、毎年20本も30本もゲームをやるようなゲーマーは、ほとんどドラクエ8を支持していないんだな、ということがあからさまに伺える結果です。

 かく言う自分もこのまえようやくドラクエ8をクリアーしましたが、去年度中にプレイしていたとして10選に加えたかどうかは微妙な感じです。まあ、その話はおいおい。

*1:母集団は10人。作品に順位をつけていない人も多かったので、順位は考慮せずに得票数だけでカウント