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2004年11月06日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ぱどタウン その3 「ダサ子」とは
「ぱどタウンを快適に使う方法」の「はしご・ダサ子禁止について」のページ(http://yokohama.cool.ne.jp/padotown/hasigo.htm)によれば、「ダサ子」の基準のひとつとは、「タグや画像などで部屋や書込を飾らない人のことを指す」ことらしい。
それだけ言われても、ちょっとイメージがわきにくいかもしないが、ぱどタウンの女の子達の多く(=「ダサ子」では無い子たち)は通常の文字の記載を黒字で普通に書くのではなく、「ごめんね」とか「またね」とかっていう定型的な挨拶については画像を用意して、一々その画像をimgタグで貼ることで挨拶したり、おそろしいことに挨拶だけではなく、普通の会話のときでも文字色をわざと赤くしたり青くしたり、あるいは、IE特有のCSS指定である「filter」属性で文字を発光させたりしながら会話していて、それが、彼女らにとってのファッションなわけだ。*1
しかし、これは今まで普通にウェブデザインをやってきた人間にとってみれば、けっこうなかなか驚きの発言で、とてもじゃないけれども女子中・小学生の特殊な感覚だとしか思えない。
少なくとも、一般的なデザインの理屈*2で言えば、強調する必要もない部分のテキストをわざわざ太字にしてみたり、特殊文字にするなんていうのは、はっきり言ってデザインとして言えば無駄でしかない。色彩調和も考えずに、何でもかんでも色をベタベタと貼り付けるなんていうのは、それこそが「ダサい」ウェブページの典型だ、ということになる。
だけれども、この「ぱどタウン」の空間では、それがまるっきりひっくり返ってしまって、「タグ使わなぃなんてまぢショボイで??」(中学生/女)などという逆転した発言こそが、一般的とみなされるにまでいたっているのだ。
もちろん、テキストサイトの文化の中では、一時期「侍魂」に代表されるような通常テキストのフォントに対してFontタグを多用し、強調・拡大したりしながら文章を書くことで、文章の抑揚や語気のようなものを表現していくという「フォントいじり」と呼ばれるデザインが流行していたことがあったが、このぱどタウンにおける、文字装飾文化では、「フォントいじり」にあったような抑揚や語気の表現といったある種の論理性とはほとんど無縁だと言っていい。「文章表現」というメタな目的に従って文字が選択され、装飾されるのではなく、単に「文字表現」そのもののために文字が装飾されているだけ、というような、従来は禁止の対象だったものが称揚されているのだ。
近いものを考えるならば、おそらく、女子小・中学生がミルキーペンとかを使ってノートに文字を書いていたりすることだろうか。その延長戦上にあると考えてみると、それが、「ウェブ」という場所で、お互いの「文字」が交換され、眼差される対象としてうきあがってくるという過程を経ることで、かつてミルキーペンでノートに書いていた頃は文字装飾に対する個々人のこだわりでしかなかったものが、ウェブ上にきて「ダサ子禁止」という規範へと発展していったとか、そういったことなのだろうか。うーん、わからん。