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2004年11月30日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■『フリーター亡国論』丸山俊
タイトル、表紙からして一見「フリーターの若者たち」が「国を滅ぼす」という本かと思わせるが、問題設定からしてけっこうきちんとしていて「フリーターの若者たち」という主体を問題とするのみならず、「フリーターを生み出す社会・経済構造」というもの自体を問題化し、統計データ等を駆使しつつ、経済学的にフリーターの置かれている現状および企業のおかれている現状を分析している。
安易なフリーター非難ではない、きちんとした分析です。
個人的に面白かったのは、都道府県別のフリーター率で、ハンゲームに都道府県別の「合戦」というのがあるのだけれども、ハンゲームの「合戦」で強力な都道府県が、フリーター率と微妙にだぶっているところとかが、ちょっと見逃せない気分になりました。
でも、この著者78年生まれかあ…うーむ、あんまり自分と変わらんなあ。
2004年11月29日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■『コンテンツ消滅』小林雅一
アニメ、ゲーム、音楽産業のケーススタディを通して、現在Winnyなどによって到来してきた「コンテンツの消滅」の危機の問題にいかに対処するか、というもの。
タイムリーなだけで、あまりよく調べないで出されたタイプの本っぽいな、と思って期待せずに読んだのですが、思ったよりよかったです。
ゲームの部分に関してのみ言えば、著者の提案の部分はゲームを知らない人っぽさがただよってましたが、インベーダーの西角さん、中村光一へのインタビューでは、いままでに表にあがってなかったような発言や過去の証言*1もいくつか聞き出せていますし、オンラインゲームの現状についてもコーエーの松原さん*2へのインタビューなどを通してよくフォローできています。ホイジンガや、去年出た『ゲーム産業の経済分析』などといった本にもきちんと目を通しており、ジャーナリストとしての仕事をきちんとできる人だし、している内容です。
本書のテーマである、インターネットの、特にP2Pの登場などによる「コンテンツの消滅」の危機をめぐる問題については、最後にクリエイティブ・コモンズなどを紹介しつつコンテンツの「完全管理」か「開放」か、の二極ではない第三の道の可能性として、双方の「管理」と「共有」のバランスが取れる状況があったらいいよね、というのを提示するにとどまっていて、各分野への綿密なリサーチが結論へときちんとつながれていないのは残念なところですが。
*1:例えば、ドラクエ5以降に、チュンソフトが一人立ちする以前のチュンソフトの開発状況がひどくて、プログラマーが引き抜かれたり抜けていったりした、という話など。
*2:『信長の野望オンライン』の開発の人です
2004年11月28日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■FFX-2@amazonレビュー
発売されてからすでに一年以上たちますが、『FFX-2』のamazonレビューをのぞいたら、罵詈雑言が冴えていて面白いことになってました。(3割ぐらいは、賞賛の声もあるのですが、賞賛の仕方はあんまり面白くなかったので割愛)
絶望感が・・・
こんなんFFで出すべきじゃない!
裏切りものめ!
・・・・・ふざけるなよ・・・・
もう無理…。
出すなよ!2なんざ!
スクウェアさん・・・さようなら
といったレビュータイトルにはじまり、批判轟々。
一番多いコメントとしては、
ハッキリ言って、キモイ、クサイ、オタククサイ、FFです。
は?セーラームーン?
といった、「オタいってよし」的な反応にはじまり、辛口がさえる。
ラスボス前のユウナの「注目!」にはついに耐え切れず電源を切ってしまった
露出度が高けりゃいいってもんじゃない。
それに服装センスがない。
あそこまでいくとかえって下品なだけ。
辛口ピーコのファッションチェックで瞬殺だな。
ギャルゲーの、人気が無いキャラクターばかりを寄せ集めたような3人です。
二十歳も過ぎた大人の男性ならば、とても堪えられないでしょう。
私は前作をやっていませんが、キャラクターの性格でこれほどムカついたゲームもなかったと思います。
女ばかりのパーティーでも、もっとまともな構成があったはずです。
内輪で寒いネタを連発して、まるで、知らない人たちの飲み会を見ているような気分でした。
女性を馬鹿にしているような気が…。なんだか、リノアが普通に思えてきました。
「知らない人たちの飲み会」という表現は秀逸(笑)
それと笑ったのが、
カモメだとかユ・リ・パだとかワケわかんなくて痛々しいし。
ドレスアップとかいうシステムは、もうスタッフ何考えて作ったんだか。
歌姫の技とか、家族のいる前じゃ恥ずかしくてできねーよ!!
やっぱ、家族のいるリビングで小学生からのゲームプレイヤーがやってたりするゲームなんだな、FFは、と。あらためて実感させる一言。「歌姫の技とか」は別に、プレイヤー自身がその技を使うことにオタ的嗜好性を見出していなくとも、技を使うこと自体に対して周囲からの視線にそういった「オタ的嗜好性」を見出されてぃしまうのではないか、という恐怖がある、というは確かに。「家族のいる前じゃ恥ずかしくてできねーよ!!」ですな、ほんと(笑)
それと、やっぱり沢山出てくるのが「FF」を「伝統」化しつつ、批判する方向性で、
なんだこれは。
そもそもFFでもRPGでもない。
FFという名に、私がこだわり過ぎているのかもしれないが、
これはファイナルファンタジーという名の皮を被ったただのギャルゲー。
テンションが痛い。OPの「ユ・リ・パ レディ」で寒気を感じ、
ムービーの後、3人そろった時はすでにガン引き状態。
というような、「FFじゃない」言説が多かったのもいいですね。一体どこらへんに「FFらしさ」を見出しているのか、そこんところの共通性はいまひとつつかめないのだけれども、とりあえず、この手のものいいをする人々の間で全員一致しているのは「FFはギャルゲーではない!」というあたりでしょうか。
また、一線を越えてしまったことに対して、『超クソゲー』的な、B級ものを消費する際の消費態度を見せている人もいて
色んな意味で。ホント笑わせてもらいました。爆笑です。
片腹痛いです。腹ちぎれそうでした。
というのもよくわかる反応。私も、この方向性で受容していました。
あと、やはりきたか、と思ったのは「VIII」がダメだった人がやっぱり今回もダメだったようで
FFはⅠはやってないからわかりません。
Ⅱ、敵が強すぎて理不尽だったけど、ストーリーは悪くないと思う。
Ⅲ、ファミコンにしてはなかなかの出来だった。ジョブ多かったし。
Ⅳ、ストーリーはかなり良かった。敵も結構強かったし。
Ⅴ、単純でわかりやすいストーリーで最高に面白かった。アビリティも豊富。
Ⅵ、なんていうか、全てよかった。
Ⅶ、今までやったRPGベスト1の座は不動のものになるだろう。
Ⅷ、・・・・・
Ⅸ、なかなかでした。ちょっと戦闘が面倒だけど、奥が深かった。
Ⅹ、いいじゃないですか。
Ⅹ2 は?本当にスクウェアの作品??その辺のオタクが作ったんじゃ?
これはなにかの間違いでしょう、まさかスクウェアがこんなもの作る
はずが無い。
【流れ】 Ⅶ(感動した!Ⅷやってみたい!)⇒Ⅷ(え・・・?クソゲー?でも、次は大丈夫でしょ?)⇒Ⅸ(ほ~ら、まあまあ当たりじゃんⅩ楽しみ!)⇒Ⅹ(・・・・・)
俺的には8と肉薄って感じの駄作。FF好きな人、買いなさんな。コスプレマニアにどうぞって感じ。てかよう200万も売れたな~
などなど。
実際、VIIIをやってしまったことで、ある種の「免疫」みたいなものがFFに対してついてしまったので、「アッハッハ」とX-2を笑い飛ばせる感じというのはありましたね。私は。
でも「VIII」がダメ、といいつつもPS以前からのプレイヤーで、かつPS以降のFFを楽しくプレイしつづけている人って、だいたい「VII」の評価が高い人というのも、似たような傾向性として見出せるのも面白い点です。
「VII」ですでに評価の低い人の場合の受容の仕方というのは
7の頃からFF否定派が減らないのは何故なんだろう?
FFより面白いゲームは、探せばいくらだってあるのに…
いつまでも「RPG」というジャンルの「FF」という超大作
に固執する理由が解からない
自分はFFをIIからプレイしているが、期待して…
というより、ゲームバカの義務としてプレイしている。
FF、ドラクエといった大作RPGは期待して買うものじゃないと思う
この受容の仕方も、一定以上のへヴィーゲーマーだとよく見られる反応です。
何故Ⅹの続編なんて作ったんだ? あのままで良かったのに
何でもかんでもハッピーエンドにすればいいなんてもんじゃない
Ⅷの続編としてあの雰囲気を作り出していれば色んな意味で納得できたものの…
Ⅷ自体が駄作だったし…
何故リノアじゃなくてユウナなんだ?
この手のFFVIIIヒロインの「リノア」がバカ女としてすでに出来上がっているので、「リノア」ならばバカ女として登場させてもよかったのでは、という反応も禿同。
10-2に関する一切の記憶を自分の中から消してしまいたいですよ・・・。キャラは最悪の方向へと豹変、おまけにストーリーが希薄で意味不明。新キャラは存在感がなさ過ぎるし(名前おぼえてませんよ、もう)。FFは1,2、4、5、6、7、9、10、11とプレイして来ましたが、良かったのは11までですね。恐らく12は購入しないと思われます。それだけ失望が大きかった・・・。10の世界観とキャラクターに思い入れがある方は本当に買わないほうがいいですよ! 引く&絶望する事間違い無しです!!
ウェ、ウェイト!
当然、こういうプレイヤーが出てくるのは予期できたことではあったのだけど、「「12」を統括するのは松野泰己だから!間違ってもこういうことはないから!」というのを強調しておきたいところ。
まあ、でも、もちろん、やっぱりこれで離れていってしまうユーザーは一定数でるのでしょうね。12の売り上げが200万本を下回ったら、完全に10-2の影響としてしか見れないでしょうし。そうならないことを願いますが。
(でも、この人、「8」をスルーしている、というのが巧妙。)
2004年11月27日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■「元Road of SQUARE データベース」追加
今日はドラクエVIIIの発売日ですが。
もちろん、ドラクエVIIIは購入済みで我が家に置いてあったりするわけですが。
ドラクエVIIIの発売日にも似合わず、本日はドドンっと、旧スクウェア(合併以前のスクウェア)の膨大なデータベースが、当サイトに置かれることになりました。
ことの経緯を申し上げますと、
- 「Road of SQUARE」(http://mypage.naver.co.jp/cecht/)という質・量ともに大変に素晴らしいスクウェア・サイトをケヒトさんが作成していらっいました。
- それが、事情により、この9月に閉鎖されてしまいました。
- そこに、サイトの一読者であった私が「こんな素晴らしい仕事をされたのに、もったいないです!うちでよければデータ置いときますよ!」と声をあげたところ、
- ケヒトさんが快くその申し出をうけてくださり、当サイトにデータが置かれることになった次第です。
基本的な話は先月にはまとまっていたのですが、この一ヶ月間ぐらいでちょこちょこと主にデザインや細かい連絡先等に修正を加える作業などでケヒトさんに確認を行いつつ、本日になりました。
とにかく、「本当にこのデータを個人で作ったのか……!」という、驚きを覚えるだけのレベルのデータベースだと思いますので、よろしければみなさまご覧くださいまし。
- 「元RoadofSQUAREデータベース」 → http://www.critiqueofgames.net/data/ros/index.html
2004年11月22日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
2004年11月15日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ぱどタウンその4 「初めまして、何歳?」
最近、ぱどタウンのほかにも、ハンゲームや、Saychatなんかにも顔を出している、ということを友人に話したら「井上くん、接してる文化が低年齢化の一途をたどってない?」と言われましたが、激しくその通りです。すみません。
ぱどタウンにせよ、ハンゲームにせよ、全員が全員低年齢というわけではないのだけれども、そこを頻繁に利用している人々に低年齢層が多いというのは事実で、だからこそ、まだギリギリ20代前半である私にとってすら世代間格差のようなものがビビットに感じられてウォッチしがいがあり、面白いわけです。
しかし、まあ、ぱどタウン等の主たる利用者である低年齢層の人々自身は、話し相手等を選定する際に「相手の年齢」に対してやたらと敏感で、ちょっと話した雰囲気で年上っぽい話方をする私を相手に、ほとんど失礼だといっていい振る舞いをしてきます。
特に驚いてしまうのが、チャットや、書き込みの最初の言葉が「初めまして、何歳?」といきなり聞く、というもので、前に「初めまして、何歳?」と聞く子供*1に、実年齢を告げたらいきなり去ってしまわれたということもありました。
2chとかだったら、「厨房」という言葉はあっても「リアル厨房」「リアル工房」といった語彙は二次的であり、「厨房」というのはあくまで相手の発言の「精神的レベル」に向かってなされる罵倒の言葉でしかないわけですが、ぱどタウンやらハンゲームやらで戯れている数多くの「リアル厨房」「リアル消防」などのみなさんがそういった「精神的レベル」判定へと進まないで、実年齢をいきなり聞いてしまう、という作法にいってるというあたりはなかなかに面白いことです。*2
また、「ぱど彼」「ぱどカノ」「ぱど友」というぱどタウン内のコミュニケーションを取り結ぶ相手を彼らは募集していることが多いのだけれども、そこでも、年齢制限は激しくて、「ぱど彼募集! 以下の条件にあってる人!」などといった書き込みがなされる際に、「はしご禁止」「ダサ子じゃない人」「よくインしてくれる人」などといった、条件とともに、しばしば見られるのが「中1~中3」とか「高1以下!」とかといった年齢制限で、制限に会わない場合は「無視する。」とか「面白い奴なら可」とかいった、条件が付け加えられています。
10代なら確かに年齢を気にするのはわかることで、思春期を通して会話の会う/会わないが、小学6年生と高校生1年生の間には、わずか四歳の違いといえどもかなり激しいものを感じざるを得ないし、まあ、会話したくもないかもしれないし、そもそも会話ができないかもしれない。そういう場合に、これだけ年齢を気にする文化が出てくる、というのはわかる話ではあります。
だけれども、さらに面白いのは、ぱどタウンに「登録」の仕方で、これが、ウェブ上に表示される年齢を書くと次に「それでは、あなたの本当の情報を登録してください」というかたちになっていて、ウェブ上で、「本当の年齢」を表記してくれる可能性というのをはじめからあまり高く見積もっていない、ということが登録の時点でガリっと出てしまってるわけですね。
つまり、年齢をこれだけ気にしつつも、同時に本当の年齢は公然と隠蔽することが許可されている、ということです。この事態に対して、「はじめまして、何歳?」という不躾な質問を浴びせる子供達自身はどう思っているんだろう。
*1:多分
*2:もっとも、「初めまして、何歳?」はあまりに失礼な聞き方だという気がするので、できればやめてほしいのだけれども………といっても、それを「失礼」だと感じる感覚すらも、ぱどタウンという<場>が、ぬぐいさってしまい、それを標準的な発言とし、それに対して「失礼だ!」などという表明を発すること自体を「初心者」扱いしてゆくのかもしれないが。
2004年11月13日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■バテンカイトス クリアーしました。
なんか、「クロノ」へのオマージュがあまりにも………とか思ってたら、『クロノ・クロス』の加藤さんがシナリオを手がけていたようで。なるほど、と納得。
和製RPGのある種の頂点とも言える『クロノ・クロス』に対する類似性を除いたとしても、この作品は本当にマニアでなければ作りえない作品だなー、という気がしました。全体的な構成もさることながら、プレイヤーキャラクターとプレイヤーの関係性の作り方とか、戦闘システムにトレーディングカードのシステムをまぜてしまうあたりとか。
ディテールに対するマニアならではのこだわり方から、キャラクターが次にしゃべるであろうセリフまで、なんだか色々な部分に対して、製作者の意図をあまりにもありありと意図を汲みたくなってしまうような一品でした。私には。*1
だから、なんだか、ゲームをやってるっていうよりか、もう全編にわたって製作者のRPGに対するこだわりを直に聞かされているよーな気分。他のゲームではここまで製作者の意図ががっちり想起されるっていうことはないのだけれども、なぜだろうか。製作者のやってきたゲームと私がいままでやってきたゲームが、ほとんど同じとか?うーむ。
に、してもこういうマニアな製作者のみなさんには、こんな一般向けの一般的なゲームを作ってないで、『アンリミテッド・サガ』とか『FFCC』で豪快に暴走しまくったスクウェアの河津さんのような暴走っぷりをみせてほしいですね。是非。
ちなみに、参照されている、と感じた主な作品は『クロノ・クロス』『アナザー・マインド』『ポートピア殺人事件』『マジック・ザ・ギャザリング』などでしょうか。
*1:「おれにはわかるよ!」などとまでいう気ではなく、「イヤでも類推されてしまう」ということです。あくまで。そこを同一にしてしまうと、だいぶ傲慢な物言いとして聞こえてしまうかと思いますが。
2004年11月11日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■桜井政博「ひそかにレポート」
桜井さんのウェブページ発見。
http://planetmeteos.com/hisoka/index.html
そういえば、前にファミ通に「桜井政博事務所」をたちあげたってことを書いていらっしゃっいましたけど、「桜井政博事務所」でググってもうちのサイトしかヒットしないんですが。
2004年11月07日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■デスノート4巻 と 「罪を犯す自由」。
本格ミステリマンガとして目下大ヒット中の本作ですが、今まで「頭の良さ」をがんばって描いてきただけに、今回はそれが反転する形で「頭の悪さ」の感触というのをリアルに描くことにものすごい成功を収めていて楽しいです。ここまでミステリ中心にゴリゴリやってきたところに情をゴツンと盛り込んでしまうあたりも素敵。
それと、ソシュール的に言えばありえないはずの言霊実在論みたいな部分もお話としてかなりハッチャけてるんですが、他の部分でも思考実験的に読んでもイケるなあ、とか思いました。
具体的に何が思考実験的に読みうるかというと、警察がキラを非難するときの口上ですね。
このマンガで登場する犯罪者「キラ」というのは、まあ言ってみれば死刑推進論者が、いきなり神になってしまって実際に死刑をガシガシとやってしまっている人なわけです。もちろん、そんな人がいたら近代国家的には、マジかよ、と。ありえないYO!、と。そういう存在だからこそ、「キラ」は犯罪者として位置づけられている。
とはいったものの、基本的には「キラ」が殺している人というのは、(おそらく)国家ごと、時代ごとの法制度によっては死刑になったり、終身刑になったり、懲役50年ぐらいになったりするぐらいの、非常に微妙な対象に対して「死刑」を執行している。「悪」の選定がそこまで独善的なわけでもなく、単に「死刑」のための基準ラインを少し低いところに設定したというぐらいに過ぎない*1。これが州知事時代のブッシュJrなんかはもっと大胆に低く基準ラインを設定してガシガシ死刑をやっていたりする。だけれどもブッシュの場合は民主的、法的な手続きを経て州知事となりこれをやっているから少なくとも「犯罪者」として扱われはしない。この場合に「キラ」が「犯罪者」である、ということを言うための論理というのは、(若干の議論の無理を承知で言えば)「手続き的に正当でない」という程度のことしか実はない。
警察としてはそんなパッとしない論理を言うわけにもいかないので、もうちょっと派手にキラを「犯罪者」として扱うためにメディア上では、彼を「恐怖」として語り、四巻のP81には
「キラの恐怖から世界の人々を救う―――」
などといった言葉によって彼を非難する理由を用意するわけですが、一体、警察の言う「世界の人々」にとっての「キラ」の恐怖とは何なのか。
少なくともそれは、罪を犯すこともなく日常的な生活を送っている人にとっての「恐怖」などでは全くない。「善良な市民」を救おう、という話をしているのではない。では誰を救おうとしているのか、といえば、「キラ」に殺される可能性のある重犯罪者や、将来自分が重罪を犯すのではないかという不安を持っている人を「救おう」といっていることになる。
彼らを救わなければいけない、といっているというのは、言ってみれば、「ある程度の重罪を犯しても殺されない自由。生きていける自由」*2を確保しましょうね、と。そういう話です。
一般的に言えば、それって言うのは必ずしも肯定も否定もしえないかなり微妙なラインの話なわけですけれども、これを微妙だと知りつつ、あからさまに「そんな自由はない」として行動してしまう人を取り締まるためには、「いや、その自由は認めなければいけないのだ」と一旦いってしまわなければ、そういう人を取り締まるための明瞭な論理を発見できない。
そういう描写がされているあたりを、なるほどなー、とか思った次第です。
2004年11月06日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■ぱどタウン その3 「ダサ子」とは
「ぱどタウンを快適に使う方法」の「はしご・ダサ子禁止について」のページ(http://yokohama.cool.ne.jp/padotown/hasigo.htm)によれば、「ダサ子」の基準のひとつとは、「タグや画像などで部屋や書込を飾らない人のことを指す」ことらしい。
それだけ言われても、ちょっとイメージがわきにくいかもしないが、ぱどタウンの女の子達の多く(=「ダサ子」では無い子たち)は通常の文字の記載を黒字で普通に書くのではなく、「ごめんね」とか「またね」とかっていう定型的な挨拶については画像を用意して、一々その画像をimgタグで貼ることで挨拶したり、おそろしいことに挨拶だけではなく、普通の会話のときでも文字色をわざと赤くしたり青くしたり、あるいは、IE特有のCSS指定である「filter」属性で文字を発光させたりしながら会話していて、それが、彼女らにとってのファッションなわけだ。*1
しかし、これは今まで普通にウェブデザインをやってきた人間にとってみれば、けっこうなかなか驚きの発言で、とてもじゃないけれども女子中・小学生の特殊な感覚だとしか思えない。
少なくとも、一般的なデザインの理屈*2で言えば、強調する必要もない部分のテキストをわざわざ太字にしてみたり、特殊文字にするなんていうのは、はっきり言ってデザインとして言えば無駄でしかない。色彩調和も考えずに、何でもかんでも色をベタベタと貼り付けるなんていうのは、それこそが「ダサい」ウェブページの典型だ、ということになる。
だけれども、この「ぱどタウン」の空間では、それがまるっきりひっくり返ってしまって、「タグ使わなぃなんてまぢショボイで??」(中学生/女)などという逆転した発言こそが、一般的とみなされるにまでいたっているのだ。
もちろん、テキストサイトの文化の中では、一時期「侍魂」に代表されるような通常テキストのフォントに対してFontタグを多用し、強調・拡大したりしながら文章を書くことで、文章の抑揚や語気のようなものを表現していくという「フォントいじり」と呼ばれるデザインが流行していたことがあったが、このぱどタウンにおける、文字装飾文化では、「フォントいじり」にあったような抑揚や語気の表現といったある種の論理性とはほとんど無縁だと言っていい。「文章表現」というメタな目的に従って文字が選択され、装飾されるのではなく、単に「文字表現」そのもののために文字が装飾されているだけ、というような、従来は禁止の対象だったものが称揚されているのだ。
近いものを考えるならば、おそらく、女子小・中学生がミルキーペンとかを使ってノートに文字を書いていたりすることだろうか。その延長戦上にあると考えてみると、それが、「ウェブ」という場所で、お互いの「文字」が交換され、眼差される対象としてうきあがってくるという過程を経ることで、かつてミルキーペンでノートに書いていた頃は文字装飾に対する個々人のこだわりでしかなかったものが、ウェブ上にきて「ダサ子禁止」という規範へと発展していったとか、そういったことなのだろうか。うーん、わからん。
2004年11月05日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■なんてことだ。アメリカ大統領選挙。
IQと選挙区
http://chrisevans3d.com/files/iq.htm
http://www.ginandtacos.com/education.jpg
こんなにわかりやすい相関関係があっていいものか。
2004年11月04日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■2004-11-04
荒木飛呂彦の絵って3Dモデルに変換可能だったのか!
と、とにかくそのことにだけは驚ける。
あとは、フィールドの狭さやアクションの地味さがなんともならないことには、「ファンなら楽しめる」という評価のゲームから抜け出せないよなあ、と。
そんな感じでした。
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