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2004年10月07日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(2) シミュレーションゲーム つづき

(6日からの続き)

 「シミュレーションゲーム」というジャンルが日本のビデオゲーム雑誌などに数多く登場するようになるのは、1983年のことだ。そもそも、82年、83年ごろというのがマイコン雑誌から独立する形で数多くのゲーム専門誌が登場する*1ので、日本ではそれまでそういった言葉が使われるメディア自体があまりメジャーな形で存在していなかった。当時には「シミュレーションゲーム」のみならず、アクションゲーム、アドベンチャーゲーム、RPGといった、他のジャンルもいっせいに登場してきている。

 1983年10月1日発行の『パソコンゲームランキングブック』*2によれば、「シミュレーションゲーム」のサブジャンルとして当初含まれていたのは、『森田のバトルフィールド』『空中戦』『198X』といった「ウォーゲームタイプ」、『ランデブー』などの「トラベラータイプ」、『投資ゲーム』などの「マネータイプゲーム」、『信長の野望』『マリアナ海戦』『スラバヤ沖海戦』などの「歴史スペクタクルタイプ」、そして、『ホイホイ』『選挙』などが「ETC」として括られている。

 なお、「シミュレーション」という括られ方をうろうろとしていたものとしてはスポーツゲームやフライトシミュレーションがある。これらは、アクションのサブジャンルとして括られるか、シミュレーションのサブジャンルとして括られるか、あるいは独立した別ジャンルとして括られるかを長い時期うろうろとし、スポーツゲームは独自ジャンルとして見られることが多くなったものの、フライトシミュレーションはいまだに括り方は一定していない。*3

(現在編集中)

*1:創刊はそれぞれ「ログイン」1982年5月、「マイコンBASICマガジン」1982年7月、「アミューズメントライフ」83年、「コンプティーク」83年 、「POPCOM」83年5月 などといった具合である。これより古いものとしては、「ゲームマシン」誌(http://www.ampress.co.jp/index.htm)が、1974年から、「I/O」が76年12月から、「月刊アスキー」が1977年7月からあるが、82年、83年頃に、マイコンゲーム、パソコンゲームの雑誌が大量に出てくるのと同時に、「I/O」誌などでも、「アクション」や「アドベンチャー」といった言葉を使うようになっていったようだ

*2:旺文社刊。宣伝広告に、「9月30日が応募締め切り!」とかかれていたりするので、実際の発売は8月とか9月だったと思われる。なお、トリビアだが、当時大学文学部の4年生だった、浜村弘一も本書にライターとして加わっていて、APPLEのゲームを絶賛したりしている。

*3:84年末に出た、「Beep」創刊号((発行の日付は、85年1月)を見ると「今年最大のシミュレーション『野球狂』なんてったってこのハドソンからでた『野球狂』はすごい!!」(P133)という読者投稿があるかと思えば、ベストヒット21のコーナー(P162)では、『野球狂』のジャンルはアクションになっている。4年後の「Beep」89年1月号のNewReleaseScrambleのコーナー(P11)では、『ベースボールスター』がまだ「SLG」として紹介されている。