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2004年09月25日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)
■シティ オブ ゴット
『シティ オブ ゴット』をWOWOWでやっているのをたまたま見たのだけれども、存外に素晴らしい映画だった。今年見た映画の中で暫定No1。
一言で言うとすれば、ブラジルのスラム街における負の再生産構造を、実話を元に撮った映画。あるいは、なんの比喩でもない『蝿の王』の実話版といったらいいだろうか。
amazonとかCinemaScapeとかのレビューを見ると、映画ファンによる映像表現への評価の他には、あからさまに社会派ノリのレビュー*1とかが目立つが、単に、負の再生産構造とかを描いているだけなら、多分この映画はそんなに素晴らしいものではなかった。世界の一部が残酷だったり、負の再生産構造というのはそれ自体はごくごくあたりまえの話であって、そういう事態が存在していることを確認するだけの映像ならば、いくらでも作ることはできる。問題は、それがどういう残酷さで、どういう再生産なのかということだ。
主人公自身は、負の再生産構造からの脱出を果たすわけだけれども、その主人公のスラム世界への視線とか距離感こそが、より一層どうしようもない。
実のところ、この映画は、後半になるまでそれほど悲惨な雰囲気ではない。悲惨であるどころか、むしろちょっと楽しくなってしまうぐらいにコミカルな映像が少なくない。犯罪があまりにも日常化したスラム街の中で、加害者と被害者の境界は極めて曖昧でしかなく、犯罪を娯楽イベントとして描き、犯罪者を「英雄」として描くような視点すら存在している。
で、あるからこそ、ここに描かれる悲劇は、単なる「悲劇」であったり「悲惨」な話であるという水準を越え出ている。
*1:っていうか、「残酷な世界を描いてるから」というだけの理由で、まるで遠藤浩輝『Eden』のような作品と同水準で評価するかのようなノリのレビュー。残酷な世界を描いてりゃいいんかい、という。