2003/6/16
■ [ビデオゲーム]
話題の""Half Life 2""のプロモーション映像をはじめて見る。これは驚き。
デモムービーはだいたいここらへんで見れるはず。
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20030523/e3valve1.htm
http://www.3dgamers.com/games/halflife2/
力技のブレイクスルー。
2003/6/4
■ [ビデオゲーム]ブレスオブファイアVが方向転換したのはなぜだろうか。
友人から借りたブレスオブファイアVをクリアーする。
ブレスオブファイアーシリーズは、一応シリーズ一作目から四作目まではプレイし、三作目以外は全てクリアーしているが、ブレスオブファイアVの方針変更は意外だった。
ブレスオブファイアシリーズといえば、私の中でのイメージとしては、日本一、手堅く「和製RPG」というジャンルの「正統派」を延々と作っているシリーズというイメージがあって、今までのブレスオブファイアシリーズにはどの作品にも、今まで「和製RPG」というジャンルでなされてきた創作の技術がFFよりもDQよりもぎっちりと研究し尽くされて、凝縮されていた。
それが、PS2参入後初の5作目にして非常に大きな方向転換をしたのだ。今までの作品は基本的にはよく出来たファンタジーの世界(というか、ありがちなRPGの世界、と言ってもいいが)を10代の少年少女達が冒険するというごく「普通」の設定の作品だった。だが、今回は、舞台が地下。地上を目指して延々と洞窟の中をつきすすみながら冒険が展開してゆくというだけである。イメージとしてはアフタヌーン連載の漫画『BLAME!』や、松野泰己の『ベイグランドストーリー』に近い。そして、エンディングテーマが鬼塚ちひろ、という設定な上、主人公も目の下にクマのあるようなシンジくん系の少年で、陰鬱なムードの漂う話になっている。
作品自体のクオリティは安心できる水準にあり、プレイしていて特に不満はないのだが、何よりもこの方向転換が決断したカプコンの意思決定過程のほうに興味がわく。
ブレスオブファイアシリーズは基本的にはライトユーザーにも通じる全方位型の作品作りだと思っていたのだが、本作は少なくともライトユーザー志向ではない。これは、つまり、いままでの作品のユーザー層を分析した結果として、ライトユーザーがあんまりいなかったから、コアユーザー路線に転換しても問題ないや、ってことなんだろうか。
まあ、実際、FFやDQ以外、スクウェア以外のRPGをやっているユーザーなんて、ほとんどライトユーザーではないというのが現状だろうから、本作の果たした方向転換はそれを見込んでのことなのだろうか。
2003/5/7
■ [web]weblogの力というよりも単にWebの力ではないの?
ウェブログ事始め
http://www.zdnet.co.jp/news/0305/07/cjad_horikoshi.html
weblogに関する連載なのだけれども、日本におけるweblogの威力を語るところで、
日本の例で言えば、2002年「ゲームをしすぎると脳が壊れる」と主張する脳神経学者によって書かれた『ゲーム脳の恐怖』が各種メディアで取り上げられ、恐怖を煽りましたが、医師を始めとするさまざまなバックグラウンドを持った個人サイト管理人がこの研究の恣意性を素人にもわかりやすく指摘し、多くのサイトがリンクを張って紹介したことで、あっという間に批判が広まりました。
と書かれているが、私の意識では、目立ったweblog(というか日記?)と言えば風野春樹さんのところの読冊日記ぐらいだったように見えた。all about japanの記事にせよ、新さんのところにせよ、私のとこの書評にせよ、weblogじゃなかったしなあ。「weblogの力」というよりも、単に「webの力」という気が。
別にこの記事の著者のdemiさんに向かってケチをつけたいのではなく、むしろ「日本におけるweblogの目立った例」にこれを挙げるしかないというのが、つまり日本においてweblogってさっぱり発展していないのだな、という状況をリアルに写し出しているように思う。
2003/5/6
■ [book][ビデオゲーム]『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆 朝日文庫
なかなかよかった。
細かいケチがつくところもかなり沢山あるのだけれど、まあ、この種のエッセイに細かいケチをつけるというのもアレなので、細かいことはとりあえず捨て置くとして。
で、なにより、本エッセイは、ゲームをまったく知らない人でも読んで楽しめるようにできているのが、素晴らしい。特にSimCityに関する文章や、RPGに文章など、とくに目新しくはないし、凡庸といえば凡庸ではあるが、読み物としてきちんとしたものが書かれているのがうれしい。ゲームを知らない人にもきちんと読み物として成立させている、というこのスタイルは素直に見ならいたい。
2003/5/4
■ [哲学][book]『なぜ人を殺してはいけないのか』永井均×小泉義之 1998 河出書房新社
はじめから期待はしていなかったが、もうちょっと読むに足る内容であって欲しかった。特に小泉さんの議論には絶望的なものを感じる。永井さんの方は、議論の実りのなさをよくよく認識されているようだし、異論がないわけでないが言っていることはよくわかる。しかし、小泉さんの議論は一体なんなのか、と。特にロールズへの批判はなんなんだ、これは一体。レヴィナスってこんなに陳腐な話になるんかい。ただ難解なだけのオヤジの説教だろ、これじゃー。
そして、さらに落ち込むのは、倫理学に批判的である永井さんの方が、実際には倫理学的な議論をして(=行動選択の基礎となる論理を構築している)いて、“レヴィナスの倫理”をふりかざす小泉さんの議論がただの説教オヤジにしかなっていない、という、この状況。がっくり。
2003/5/1
■ [web]Googleのページランクをセコく上昇させる方法
http://aglaia.c.u-tokyo.ac.jp/~yamamoto/PageRank/PageRank.html
前に同じ方法を思いついたことはあるけれど、ネット上で友達なくしそうなのでやめました。
■ [ビデオゲーム][美術]村上隆“芸術道場”
http://www.kaikaikiki.co.jp/dojo/index01.html
毎回ことなったお題で、一般から論文公募。村上隆、竹熊健太郎、椹木野衣などが審査員を務め、段位認定。この回のお題は「ゲームと芸術」ということで。これから読みます。そして、できればコメントつけます。
しかし講評の笠原恵美子さんの歯に衣着せぬ――そしてまた、極めて真摯な物言いは、ちょっとすごいですな。ファンになりました。
2003/4/30
■ [更新情報]
日記のほうをはてなダイアリーさんの方に移行しましたので、""http://muchan.net/diary/a_inoue/""のほうに直リンクしてた方々は、URL変更をお願いします。
2003/4/29
■ [美術]パナウェーブ研究所、じゃなくてクリスト&ジャンヌ=クロード
白装束の集団(パナウェーブ研究所http://www.panawave.gr.jp/)が、そこらじゅうのものに白の布をはりめぐらせているのを見ると、多くの人が思い出しただろうが、やっぱりクリスト&ジャンヌ=クロードの「作品」を思い出してしまう。以下、パナウェーブ研究所の話とはまったく関係ない。
クリスト&ジャンヌ=クロードのドイツの旧帝国議会議事堂をまるごと梱包するというプロジェクト《梱包されたライヒスターク、ベルリン、1971-95》WRAPPED REICHSTAG,BERLIN,1971-95の公式記録映画『議事堂を梱包する』という映画を前にみたけれど、あれは24年がかりのプロジェクトで、当初はドイツの政治家に反対されたりして何度も却下されたりしていたが、頑張って政治家連中に働きかけ、ドイツ国会を動かし、なんとかして国会で可決されるまでもっていくという、おそろしい情熱と粘りをもって行われたプロジェクトの記録だった。だいたいプロジェクトの総費用10億円という巨額の資金が、スポンサーも助成金もなくすべてクリスト個人の努力によって資金調達がなされている、というのも驚く。
クリストのこのプロジェクトは傍からすれば、その気力は一体どこから湧いてくるのか、という不思議さに満ち溢れているけれども、特に奇妙に聞こえたのは、記録映画の中で「芸術の自由」という言葉が声高に叫ばれていることだった。
彼らは、あくまでドイツ国会の承認を得ることにこだわって、きちんと現代社会の中で許容される手続きに沿って活動をしているわけだし、金も人手もとんでもなくきちんとした量を集めてやっていて、そこで成立している「自由」というのは全然ストレートな意味においてではない。そこで言われている「自由」は時代的・地理的な特殊性と結びついた意味での「自由」である。だから悪いとかいいとかという話ではないが、どうしてここで「自由」などという言葉が叫ばれなければならないのだろうか、というのがとても不思議な気がした。そのような言葉でなくても、いくらでも言うことはあるだろうに。
――強引にパナウェーブ研究所の話とからめると、パナウェーブ研究所の作り出した白い空間は、クリストのそれとは違って、カップメンやらなんやらのゴミが山積しているのがとても印象的だった。
あれを宗教芸術と呼んでしまっていいかどうかは微妙だが、宗教芸術とかの世界っていうのは、その内部で生きる人々の生活と直接にかかわりながら微妙にダサく――というか生活臭を漂わせながら存在するもんなんだなあ、と。
*1:WaveMaster 2003 http://www.roommania203.com/ps2/
2003/4/28
2003/4/26
2003/4/25
■ [美術][book]椹木野衣『増補シミュレーショニズム』
半分読了。っていうか、現代美術用語があまりワカランので激しく飛ばし読み。 面白いっちゃ面白いのだけど、ストレートに説得されるとかという意味での面白さというよりも、この本自体を「資料」として読むのが面白い、という感じだなあ。 ボードリヤールの話がこういう風に、再構成されたりもするんだなあ、と。ボードリヤールの応用例の一つとして面白い。
あと、思ったことの半分はここの書評とかと近い。 心を鷲掴みにするような表現に満ち溢れてるけど、議論粗いよな、とか。単なる歴史の読み替えにすぎねぇんじゃねえの?とか。
でも、まあ、これ読んで、もうちょっと美術史とか、芸術論とかに足を踏み込んでみようかな、と思いました。というか、今までが知らなさすぎなので。
2003/4/23
■ [ビデオゲーム]『スーパーギャルデリックアワー』
バカギャルゲーなのではあるけれど、
ENIX+Polygons(http://polygons.tv/)+WaveMaster(http://www.wave-master.com/)
という強力タッグで、けっこー意外によくできてる。
つまんないっちゃー、つまんないんだけど、深夜番組くさい雰囲気とか、連打ゲーとか、下らないものをまさに下らないものとしてキチンとつくってある。不毛だけれども。
2003/4/21
■ [雑記][オタク]中森明夫が1983年に書いた文章。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/1049/people/otaku.html
""おたく""という言葉の起源が中森明夫が1983年に書いた文章だということは知ってましたが、現物ははじめて読みました。
■ [ビデオゲーム][2ch]2chテンプレ
http://hocchie.tripod.co.jp/2chlog/RPG.html
2chのゲームサロンでされている「RPGの問題点と今後の方向性スレ」のテンプレート。なんかうちのサイトもリンクされてるみたいだけど、全部読む気力&時間は流石にないかも。
2003/4/20
■ [ビデオゲーム][AI]『ワールドネバーランド』リバーヒルソフト(PS 1997)
20時間ぐらいプレイしたところでいいかげんに疲れてきた。
本作品の副題は“Experience of fiction Life”で、数百人のNPCがガンガン動き回り、プレイヤーは、恋人をつくるなり、修行にいそしむなり、クエストを解くなり好きなことをやればOK。
まあ、言ってみれば、『シムピープル』や『ガンパレードマーチ』をしょぼくした感じの一品。好きなことをやれるといっても、やれることはあまり多くない上に、かなり単調なので、『シムピープル』や『ガンパレ』に浸かってしまった人間にとっては、微妙につらい。
ただ、『シムピープル』や『ガンパレードマーチ』よりもまちがいなく勝っているといえるのは、NPCの数。これだけのNPCを同時に動かしているというのは正直スゴイ。もっとも、これだけたくさんのNPCを登場させてしまったがゆえに、一人一人のNPCがあまりにも単純な「プログラム」くさくなってしまっていて、プレイヤーの中にフィクションの世界としてのリアリティを喚起させるのにあまり成功していないのだけれども。
まあ、「たくさんの人間」が同じ世界の中に“いる”というのは、正しいといえば正しいのだけれども、我々の日常で、密接に関係を持つ他人っていうのは少ない人なら2〜3人、多い人でも100人にはならないのではないかと思う。そう考えると、密接に関係を持つ他人である5人〜15人ぐらいがきちんとしたキャラクターを持って登場していればまずはそれで十分なんじゃないか、という気がする。ただし、それだと世界を構成しているのがそこに登場している「5人」だけという雰囲気で、どうもものたりない、というのならば親密な他人よりももっと力を抜いた形で(インタラクティブな振る舞いをしない形で)遠くにいる他人を描くとかしたらどうだろうか。
少なくとも100人のAIをぜんぶいっぺんに動かす、というのはあんまり手法として成功していないように思う。10人だけにフルパワーを使って、20人ぐらいはちょっとインタラクティブなふるまいをするだけ、80人ぐらいはテキストデータと画像データが貼っ付けられているだけとか。