Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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 クロフォードが1982年時点で書いたゲームデザイン論では「プレイヤーの想像力こそが、ゲームをリアルだと感じさせるための鍵なのである」などと書かれていた。だが、現状は必ずしもそういう状況ではなく、かなりシミュレーターに近いゲームや、リアリズムを追及したゲームなどが数多く提出されており、必ずしもプレイヤー想像力の占めるウェイトがそこまで大きいとは言い切れなくなってきた。重要なものであることにはかわりはないが、たとえば(1)映像を補う想像力、(2)物語を補う想像力、といったような2つを区別して考えてみたときに、(1)の映像を補う想像力の必要性は明らかに大きく後退したし、(2)物語を補う想像力も媒体に詰め込める容量が増加したことにより、少なからず後退したといえるだろう。 
 そのような形でのプレイヤーの想像力の後退という事態は、単純にいい/悪いという話ではないだろうと思うが、ゲームが完璧な現実の鏡ではありえない限り、プレイヤーの想像力が完全に消滅するということはありえないだろうし、それをまったく考慮しなくてもよい要素として斥けたままにしておくこともできないだろう。 
 また、第三の想像力として、(3)「神話」「都市伝説」としての隠し要素への想像力という点も面白い。たとえば、ポケモンの作者である田尻が学生時代に「ゼビウス星」というありもしないものが出現する、という話で盛りあがり、そして自身の作品でも、「伝説のモンスター」をこっそりと挿入しておくといういたずらを施したことなどは、ちょっとした遊び心としては大いにアリだろう。