Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/


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P-PC-NPC

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 ゲームの物語や、メディア特性をめぐる多くの議論は、プレイヤー、プレイヤー、ノンプレイヤーキャラクターの三項関係をどのように捉えるか、によって整理できる。


RMT

意味

 Real Money Tradeの略。  主に、MMORPGにおいて生じる行為であり、オンラインゲーム内の財物を、日常世界(Real)において流通している財物(Money)と交換(Trade)することから、リアルマネートレード、略してRMTと呼ばれる。

誤解など

 現在は、法的にグレーなところが多く、RMTに関する非常に基本的な議論も十分に共有されているとは言い難いところがある。  一つだけ、よくある誤解について書いておくと、RMTは違法である、というのは誤解である。

 RMTそのものは違法ではない。あくまでグレーである。  RMTを禁止しているのは、主にMMORPGのサービス提供を行っている会社の側の規約であり、法的に罰せられるわけではない。ただし、規約を破っているという点でサービス会社がアカウントを剥奪する理由とはなりえる。また、「規約違反である」ということが、ある種の契約違反に類するのではないかというような法解釈的な話もあるらしい。詳しくはわからないが

 現在、RMT関連の事件で捕まっているのは、基本的にはRMT行為自体が罰せられているわけではなく、RMTで利益を得ることを目的とした詐欺、不正アクセス、不法就労などである。RMT自体はRMT取引業者が倫理委員会などを作るなど、RMT業界内における違法な手段を用いた組織/個人とそうでない組織との差別化が図られている。

 また、ゲームメーカー自体が行っている「アイテム課金」制度は、RMTを行う欲望がプレイヤー側に存在する、ということを前提として登場した、RMTの正規化をはかるビジネスであるといえる。

  


RPG

欧米での"RPG"概念の誕生

 通常、1974年にD&Dの誕生をもってRPGの誕生とする議論が多いが、「RPG」という言葉の誕生は、実際には1974年より後である。1974年のD&Dの中では「RPG」という言葉は使われていない。「RPG」という言葉が使われはじめるには1980年前後まで待たなければならない。

日本における「RPG」概念の受容史

「RPGとはなにか」という説明をめぐって

 さて、では「RPG」とはなんだろうか。ゲームをまったく知らない人にとっては、聞いたことはあるが、中身はまったくわけのわからない言葉だろうし、ある程度ゲームに詳しいマニアックなゲームプレイヤーならば、ほとんどの人は、「RPGとは、1974年に、D&DというTRPGが開発されたことにはじまり…」というRPGの歴史を一通り語ることができるだろう。  マニアックなゲームプレイヤーたちが「RPG」を語る際の説明の典型的なパターンは以下のような説明だろう。

「RPGとは?

 ロールプレイングゲームとは、役を演じる、役になりきるゲームだと、何度も紹介されている。でも、コンピュータRPG以前から遊ばれている、ボード版(本当はゲーム盤のあるRPGは少ないのだけど)RPGも含めると、どんな歴史を持っているか、知っている人は少ないかもねっ。

 最初にRPGがプレイされたのは、たぶんアメリカの「ダンジョン&ドラゴンズ」あたりだろうと思う。これは、ファンタジー小説の名作「指輪物語」の世界にあこがれた人たちが、自分が勇者になったつもりで、段ジョンを冒険していく、冒険ゴッコゲームとして作りあげたものだ。

 この「ダンジョン&ドラゴンズ」(略して「D&D」)が、ほかのゴッコ遊びと大きく違っていたのは、ゲームの中に「経験地」という考え方をいれ、「成長―レベルアップ」を楽しむゲームにしたことだ。最初は貧しい力の弱いゲームの主人公を、少しずつ成長させて、その過程を楽しむゲームとして、RPGは完成され、じょじょに広まっていったのだ。

 さて、このRPGにとって、コンピュータは強い味方になった。複雑な計算(戦闘のときのダメージの計算など)、偶然性の出し方(怪物との遭遇など)、枝道の処理(右へ行くか左へ行くかで変わる物語をつなげていく処理)などで、コンピュータは、本によるRPGや、後のRPGの遊び方のところで書く、ゲームマスターによるRPGより、手間を省くことができるからだっ。

 「D&D」をコンピュータRPGに作りあげた「ウィザードリー」や、「ウルティマ」などの大ヒットによって、RPGは、全アメリカで遊ばれる、有名なゲームになっていったんだぜっ。」

 これは、週間少年ジャンプのゲームコーナーから独立したかたちで出版された、『ファミコン神拳奥義 大全書 特別編』(1987、集英社)、P22〜P23のからの引用である。

 ある程度詳しい人間の間では、もはやテンプレート化された感すらあるこのような説明によって、確かに「RPG」の起源と、それがコンピューターRPGの『ウィザードリィ』『ウルティマ』、そしてそこから日本の『ドラゴンクエスト』などといった作品が製作されていった系譜を知ることは、可能だ。最低限度の「RPGの歴史」としてはこの話で十分だろう。

 だが、日本における「RPG」の歴史には知っておくと興味深い、もう少し多くの紆余曲折があった。  ここでは、テンプレート化された「RPGの歴史」に欠如している点を確認しつつ、日本における「RPG」受容がどのような変遷をたどったのか、ということを確認していく。

 まず、(1)1974年に、D&Dがアメリカにおいてヒットし、(2)1979年〜1980年にかけて、コンピューターRPGの初期の傑作といわれる『ウィザードリィ』『アカラベス』(後のウルティマ)――加えるならば『Rouge』――などが製作された、という歴史まではいいだろう。  そして、日本において「RPG」というジャンルを考えるとき、それは当然、「輸入」という形で「紹介」がなされ、80年代初期に日本の中に突如として現れたものだった、ということが、日本における「RPG」の受容において今日まで重要な意味を持っている。

 まず、第一に、単純な普及率のレベルの問題として、アメリカ、イギリスなどにおいては『D&D』をはじめとする、コンピューターRPGではない「TRPG」と呼ばれるアナログのRPGが普及していたのに対して、日本では、TRPGはほとんど大規模な普及を見ていない。そして、ファミコンブームの85年〜86年にかけてファミリーコンピュータ用ゲームソフトの「RPG」が広く一般的に普及するまで、「RPG」という名称はあまりメジャーに知られるところではなかった。  日本におけるTRPGの紹介は、目立ったところでは、主に80年代初期あたりから海外SFの翻訳者であった安田均などを中心にパソコンゲーム誌「ログイン」などで行われていた。それによって、一部のappleIIユーザーなどが82年、83年頃には、海外版の『ウルティマ』『ウィザードリィ』を輸入してプレイしていたり、『D&D』日本語版が80年代初期に売り出され、TRPG等を扱うアナログゲームの専門誌が、1981年には「タクティクス」、1986年には「ウォーロック」などもあいついで創刊されることになるが、それでも、日本のユーザー数は後にヒットする『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の売り上げからすれば、少数に過ぎなかった。80年代中盤以降、日本では少数の「マニア」の趣味として、TRPGは定着してしまったというイメージがもたれるにいたる。 *1  第二に、「輸入」という形でRPGがやってきたことによって、CRPG/TRPGを問わず、アメリカのRPGは、日本におけるRPGの「元祖」という位置づけから、なんらかの権威付けがなされていることが多くなっている。これは、「RPGの歴史」を語るテンプレートにおいても象徴的にあらわれており、先に引用した文章にも「その世界そのものを楽しむゴッコ遊びの精神は、アメリカのようには受け継がれなかったような気がするぜっ」などといった形で確認することができる。

アドベンチャーのサブジャンルとしてのRPG 1983年、1984年

 そのような形で80年代初頭に日本に輸入された「RPG」である。日本において「シミュレーション」「アクション」「アドベンチャー」などといったゲームのジャンル分類が頻繁に使用されはじめるようになった83年には「RPG」というジャンルもマイコンゲーム雑誌で一つのジャンルとしての地位を得るわけだが、具体的にはどのような扱いを受けていたのだろうか。  1983年10月1日に初版を発行している旺文社の『パソコンゲームランキングブック』におけるジャンル分類のページをのぞいてみると、そこでは当時のパソコンゲームが「シミュレーション」「アクション」「アドベンチャー」「ノンセクション」の四種類に分類され、「RPG」はその四分類のレベルでは発見できない。だが、細かく見てみると、「アドベンチャー」と分類されるジャンルのサブジャンルがさらに細かく分けられており、「ミステリータイプ」「SFタイプ」「リアルタイムアドベンチャー」「ファンタジータイプ」そして、「ロールプレイングタイプ」と、ここにRPGを発見することができる。さらに、同83年5月25日初版の『マイコン大百科 ゲーム編』においても事情は同様で、ロールプレイングゲームを以下のように解説する。

 「ロールプレイングゲームは、きみ自身が主役となり、さまざまな道の世界を訪ねて、不思議な体験をしたり、冒険とロマンの物語の中で活躍したりするゲームだ。

 このゲームは怪獣や魔法使い、騎士、お姫様、ドラゴン(魔法の竜)などが登場する。怪奇冒険の世界をテーマにしているものが多いので「SFアドベンチャーゲーム」などと呼ばれることもある。また、広い意味ではミステリーや殺人事件を解決する推理ゲームも、このゲーム分野だ。」

 このような形で、マイコンゲーム、パソコンゲームといわれる市場において、国産初のコンピューターRPGといわれる『ブラック・オニキス』がパソコンゲーム市場でヒットする以前は、「アドベンチャー」のサブジャンル、あるいは類似ジャンルとして扱われていた。  そして、『ブラック・オニキス』をめぐる感想もまた、アドベンチャーゲームとの差異において語られる、という自体が発生していた。当時の『ブラック・オニキス』を振り返る文章の中では

 「方向ボタンを押せば自由に自分のキャラを動かせる・・・、視点固定のAVGが全盛だった当時としてはこの自由度が無限の可能性を約束されたように思えました。町を歩いているだけでも「この先には一体何があるのだろう?」と秘密基地を探すようなワクワク感がこの作品にこめられていたと思います。」 *2

 と語られており、「自由なアドベンチャーゲーム」という視点によってRPGが語られているのはちょっとした驚きであるといってよい。

『ドラゴンクエスト』以前に「RPG」は流行していた 1985年

 さて、ここで家庭用のゲーム市場に目をうつすことにしよう。家庭用のゲーム市場での「RPG」といえば、一般的には、1986年にエニックスから発売された『ドラゴンクエスト』シリーズが、ファミリーコンピュータ最初の「RPG」としてよく知られている。そして、ほとんどの日本のコンピューターゲームの歴史をつづったものの中では、86年に『ドラゴンクエスト』が発売されて、同作品が週間少年ジャンプとタッグを組んだことで、100万部以上の売り上げを記録し、日本に「RPG」が根付いた、としているものがほとんどであるが、実は、86年初頭のいくつかのファミリーコンピューター向けゲーム雑誌を見てみると、なんとすでに、「今、一番流行のRPGだ!」「今はなんといってもRPG」といった記事が踊っている。  これは、一体何のことか。  実は当時、『ゼルダの伝説』や『ハイドライド』といった、日本独自の発達を遂げた「アクション・RPG」と呼ばれる分野がファミリーコンピューター市場で大きな存在感を誇っていた。これが、「RPG」として、「流行」していたのである。  そして、これは、単に流行していた、というのみならず、その後のRPGについてしばしばいわれるような言説をも少なからず生産している。例えば、86年6月の「ファミコン通信」創刊号にて、ゲヱセン上野は『ゼルダの伝説』のレビューで以下のように書いているのは興味深い

 「(RPGというのは)主人公が弱すぎもせず、強すぎもしないなんといっても、"努力すれば、必ず報われる"ゲームなんだよね。よくあるでしょ、いくら努力しても全然先に進めない、いたずらに難易度をあげてあるゲームって。難しい=面白いじゃなく、いかに主人公に感情移入できるか=面白さ、という気がします」

 といった形で、「感情移入」が「RPGの面白さ」とする言説がこの頃にすでに誕生していたことを観察できるのは興味深い。

『ドラゴンクエスト』の誕生

 そして、そのような「アクションRPG」の日本の「RPG」イメージのみならず、日本のゲーム市場そのものの動向に決定的に大きな影響を与える、『ドラゴンクエスト』が1986年の5月に発売される。しかし、これはすでに、多くのところで言われていることであるが、決して当初から売れ行きがよかったわけではなく、発売当初の売り上げは20万部ほど。発売当初、『ドラゴンクエスト』の開発者である堀井雄二は、自身が連載を持つ雑誌「月刊OUT」1986年7月号に以下のような告白をしている

「やた! ついに『ドラゴンクエスト』が完成したっ。いうまでもなく、これはファミコン用のロールプレイングゲームで、OUT7月号、つまリこの号と、ほとんど同時発売!

正直いって、ウケるかどうか心配だぜっ。

 というのも、『ドラゴンクエスト』は、『ゼルダの伝説』、『ハイドライド』のようなアクションロールプレイングじゃないからだ。つまリ反射神経は、いっさいいらない、そのかわり、自分のキャラクターの各種ステータス(生命力、攻撃力、守備力、ゴールドなど)が常に数値で表現され、戦闘の勝敗はすべてその数値による計算式で結果が出される(もちろん、計算はファミコン側がやってくれるわけだけど)。

 つまり、ものすごくべーシックな正統派のロールプレイングゲーム。それだけに、ある種マニアックな感性が要求されるわけ。

 こんなのをファミコンでつくってよかったのだろうか。う〜ん、不安だ。

 もしファミコンで初めてロールプレイングをやったという人がいたら、感想とかを聞かせてください。次回作のモニターになってもらうかもしれません。というわけで本題へ!」

 今こそ、最新作が400万部以上の売り上げを誇る『ドラゴンクエスト』シリーズもはじまりはこのようなものだったわけである。  これがその後、週間少年ジャンプによって大きく宣伝を打たれることで、結果的には『ドラゴンクエスト』は120万部を超える売り上げをあげ、一躍話題作となる。そして、「RPG」というそれまでに家庭用ゲーム市場に確固として存在していなかった特殊なジャンルと出会ったプレイヤー、その世界に衝撃を受け、驚きをもらしている。

まず自分の名前を登録すると、画面内のキャラがその名で呼びかけてくれる、という遊びのノリがたまらない。

(省略)

なんと言っても楽しいのは、画面に登場するキャラクターすべてが話し好きなことだ。ある者はヒントを、ある者はただのおしゃべりを答えてくれる。城の外にはデートをする若者までいる。必要なアイテムには「王女の愛」なんてものまである。王女がプレイヤーにたずねる。「○○さまはわたしのことをあいしてくださいますか」、ここで「いいえ」といれたり、悪の竜王から「手をくもう」と言われて「はい」と答えたりすると、物語は意外な展開をする。

 もちろん戦いはあるが、相手によっては逃げてもいい。「にげる」なんてコマンドは絶対にアクションやシューティングにはない。攻撃力もランダムに設定されていて、「渾身の一撃」で相手を倒したりすると、道で一万円札を拾ったような感動がある。

 もちろんゲームは途中でセーブできるし、持っているアイテムは消えない。途中で死んでしまうと、王のお叱りの言葉が待っているし、手持ちのゴールドも半分になってしまう。お金がなければ宿屋にも泊まれないし、武器も買えない。「ゼルダ」もそうだが、金がなければ何もできない資本主義の枠がばっちりとはめられているところが、現代人の自虐性にぴったりとマッチしているのだ。

 (1986年11月20日、小林正樹『大人のためのファミコン必勝講座』より)

今ではほとんどのプレイヤーにとって自明視されているゲームの中で「金を使う」という行為をさして「金がなければ何もできない資本主義の枠がばっちりとはめられているところが、現代人の自虐性にぴったりとマッチしている」などという誉め言葉は2004年現在のテレビゲームプレイヤーにはまず出てこないだろうし、ドラクエ1のNPCのを見て単調だと思いこそすれ、「話好き」などと表現しようなどとは思わないだろう。

その後の「RPG」概念の変容をめぐって

この語も「RPG」は「正統派RPG」などという言葉を関される形で多少の変容を遂げていくことになるが、「RPG」という言葉の定着は、おおまかにはこの『ドラゴンクエスト』の普及が決定的な役割をはたし、日本で「RPG」といえば、『ドラゴンクエスト』とその後『ドラゴンクエスト』と双璧をなす大人気シリーズとなる『ファイナルファンタジー』シリーズの二つにイメージが代表される言葉となっていく。 80年代後半に、「RPG」という概念ははじめて現在のような形での「定着」をみせていった。

 なお、その後の「RPG」概念の受容をめぐる変遷については、下に年表の形で整理した。

表:「RPG」概念の受容をめぐる変化

1974RPGの誕生:ダンジョン&ドラゴンズ
1980コンピューターRPGの「古典」の誕生:『ウルティマ』『ウィザードリィ』『Rogue』など。この頃、欧米でも「RPG」という言葉使われ始める。
1983日本にコンピューターRPGが多く紹介される。
ジャンル分類としては、アドベンチャーのサブジャンルとして紹介
安田均などが、RPGは「世界観とゲームの融合したものである」という位置づけを持ちつつ、RPGを日本に紹介。
1984パソコンゲーム市場で、国産初とされるRPG『ブラックオニキス』のヒット。
1985家庭用ゲーム市場で、アクションRPG『ハイドライド』『ゼルダの伝説』などのヒットでアクションRPGが「RPG」の代名詞に。
TRPGファンが「TRPG/CRPG」の区別を多用するように
1986家庭用ゲーム市場で初のRPG『ドラゴンクエスト』の発売、
1988家庭用ゲーム市場で『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』シリーズの定着 「正統派RPG」という言葉の登場
1990シミュレーションRPG、アドベンチャーRPGなどサブジャンルが多数登場
1992『摩訶摩訶』などが「RPGの常識を打ち破る」と宣伝
1996『MOON』がアンチRPGという位置づけで登場
1997『ファイナルファンタジーVII』が「銃とバイクでもファンタジー」として発売。「映画的」という言葉のイメージがネガティブに変化。
MMORPG『ウルテイマオンライン』がヒット。

参考(というかほぼまるまる引用)

  • 井上明人 2005『テレビゲームプレイヤーの誕生』慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士論文

errand boy syndrome

 Ludologyを提唱するGonzalo Frascaの概念。日本語で言えば「押し付け感」とでも言うべきか。

 ゲームをやっているときに感じるミッションを「押し付けられている」という感じをいだくこと。

分類と問題の構成

 また、一言で「押し付け」とは言ってもいくつかのものを分けて考えてみることができる

  • (A)プレイヤーが快楽的/自主的に選び取りたい、とういう自発的な動機への否定:やりたくもない経験値稼ぎなど(→直接に押し付けられている、というよりも、やりたくもないイベントでこれを求められると、大変にダルい気分に満ちてくる、という意味で。ときには、undermining効果。内発的的動機付けがうまく成立していない状態。ド・シャームの分類で言えば、originであるよりもpawnであると感じられるような状態。「〜への自由」が成立していない状態。)
  • (B)体験選択のアーキテクチャの幅の狭さに対する不満:ストーリーが一本道でしかないことに対する不満、音ゲーなどで、決められた操作しか入力できない(自由な演奏ができない)ことに対する不満。状態を変化させる権限が内的な水準ではなく、外的な水準で制限されていることに対する不満)
  • (C)プレイヤーを「観客」としてしまうことへの不満:ムービーシーンで、一切操作入力ができない時間に対する不満  など、「押し付け」という言葉によって一様に語られるていることにも意外と多くのパターンを見出すことができる。

 (A)、(B)、(C)を構図的に整理してみると、

 まず(C)では、まずプレイヤーが行為すること自体が否定されている。  次に(B)では、プレイヤーの行為そのものは否定されていないが、プレイヤーの行為の種類/選択肢の多様性が存在しないことが問題とされ、そこにプレイヤーの能動的なコミットメントの欠損が見出されている。  最後に(A)では、プレイヤーの行為を支える複数の選択肢の種類はは複数存在していることが前提としてある。だが、その中で勝利のための効率的な解として与えられる選択肢に強い偏りがあるため、実質的にプレイヤーの能動的に多様な戦略や楽しみを選び取る自由が奪われているということが見出されることになる。

 これを、I.バーリンの「消極的自由/積極的自由」という概念に沿って考え直してみよう。消極的自由とは「決定の押し付けから逃げる自由」であり、積極的自由とは「主体的に決定ができることの自由」である。  ゲームの中における(A)(B)(C)の自由の喪失は、はたして消極的自由の喪失だろうか?それとも積極的自由の喪失だろうか?これを簡単に分類することは難しい。いずれにおいても積極的自由が成立していないという状況を見出すことはできるが、消極的自由についてはこれが疎外されている、と考えることがはたして妥当なのかどうかかなり微妙な問題である。  なぜか?ゲームにおける「押し付け」は人間対人間という構造においてではなく、アーキテクチャ対人間という構造の中で成立している。だが「消極的自由」という概念がそもそも、人間対人間というモデルを基礎付けにして成立している。ゲームを語る上で人間対人間というモデルにたった上での「自由」を語る議論は必ずしも効力をもたない。ゲームを語るとき、人間対人間、ではなく、アーキテクチャ対人間 という構造の上で議論を考え直していく必要があるということをこの一例は示している。*3  

対応策

 この押し付け感に対しては、例えば、以下のような議論をGonzalo Frascaは行っている。

  • 1.「ミッションの内容自体の出来がよければ、押し付けなんか忘れて楽しいと感じるはずだ」
  • 2.「ストーリー上で、ミッションに重要な意味づけがきちんと与えられていれば、押し付けではなくて、むしろ義務感がめばえてくる」  など。

 また、言うまでもないことだが、「押し付け」というのは、単純になくせば済むようなものではなく、安易にこれを無くしてしまうと多くのゲームが、ゲームとしての構造そのものを破綻させてしまうことになりかねない。そもそもゲームのデザインをする、ということは「プレイヤーに何かをしてもらうこと」のデザインなわけだから、「押し付け」が消えうせることはおそらく永久にありえない。  ゲームの開発論議という視点から、この問題を語るとすれば「押し付け」そのものをなくすことではなく、「押し付け」とアーキテクチャの層と、「押し付け感」というプレイヤの感性の層を別の問題として区別し、「押し付け感」がどういったときに発生してくるのかを考え、「押し付け感」の部分に対する対処法を発見していくことではないだろうか。  そう考えると、Gonzalo Frascaの議論もゲームのアーキテクチャの層ではなく、プレイヤの感性の層の話としてしかこれへの対処法を語っていない、ということにも気がつくだろう。


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*1 英米で普及し、日本でTRPGが普及しなかった理由について、安田均は、英米における「ホームパーティ」という慣習がTRPGを広めるのに、大きな役割を果たしたこと、を大きな理由としてあげている。
*2 http://www003.upp.so-net.ne.jp/yshima/old/onyx.htm
*3 人間とアーキテクチャが対立構造において捉えるべきものであるのかどうかが、そもそも微妙だという議論もありうるが。