Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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チュートリアル水準、マーケティング水準

 遠藤雅伸などはゲームの「導入」部分を上手くつくることこそが、ゲーム開発の肝だ、という話をいろいろなところで言っている。宮本茂の「難易度ということをきちんと考えろ!」という発言もだいたい似たようなものだと言えるだろう。

 実際、「隠れた名作」になっていたり、危うく「隠れた名作」になりそうだったものは、導入がうまくいっていないものが多い。たとえば、『ひぐらしのなく頃に』『カオスシード』『セブン―モールモースの騎兵隊―』などが、導入がヘタな「名作」or「隠れた名作」だろう。
 上記はチュートリアル水準での導入が上手くいっていない事例だが、もっとマクロなマーケティングの水準での導入がうまく言っていないと、これも厳しいことになりがちである。たとえば『コードエイジ エイジ コマンダーズ』は、それほどひどいゲームでもなく、一般のゲーム誌でのレビューはそれほど悪くないが、ネット上のamazonや、mk2などのレビューサイトでの評価は著しく低い。最大の原因は、難易度が少し高めのアクションRPGだったにもかかわらず、RPGとしてCMを打ちまくったのがかなりの敗因となった。スクウェアエニックス発売のヌルいRPGをプレイするユーザー層が期待して購入したにもかかわらず、ハードなアクションRPGだったため、需要と供給のわかりやすい不一致が起こっていた。これはスクウェアエニックス系統の作品ではよくある話で、松野泰己が指揮をとった『ベイグラントストーリー』なども、スクウェアのメインユーザー層であるライトユーザー層に購入された結果、同様の不評を買っていた。

アーケードゲーム開発と、「導入」概念

 こうした「導入」概念は、とりわけチュートリアル水準での導入は、アーケードゲームの開発と不可分に発達してきた。PCや、家庭用ゲーム機において要求される「導入」の水準と、アーケードゲームにおいて求められる「導入」の水準では、アーケードゲームの場合のほうが明らかに高度なものを求められることになる。80年代初期は、PCのゲームがもっともこの意識が希薄で、次に家庭用、一番センシティヴなのがアーケード。という構図だったようだ。
 理由は単純で、パッケージのゲームは家というくつろげる場所でプレイする上、ゲームが5000円なり8000円なりで購入させてしまうことができれば、プレイヤーはゲームを最後までやってくれる可能性が高い。だが、アーケードゲームの場合は、100円を投入して数分後にゲームオーバーになってしまうまでの一度のプレイの中で、そのゲームがどういうゲームでどう楽しいのか、を伝えることができなければお客は繰り返しゲームをプレイしてくれず、そのゲームが儲けを出すこともなくなってしまう。
 宮本茂、遠藤雅伸ともに80年代初期にアーケードゲームでデビューした開発者である。アーケード出身の、この二人がともに、ゲームの「導入」の大切さを繰り返して説くのはおそらく偶然ではないだろう。

はじめサクサク (⇔問答無用)

 作品の導入部分に関する方法論としては「はじめはサクサク進む」というのが日本のゲームでは一般的である。ゲームをはじめてやりはじめた人のために、ゲームをやりはじめてから間もなくはサクサクと話が進むようにしたり、なんらかのわかりやすい目的を与えてやったり、丁寧なチュートリアルや解説などを付けてやったりする。そのようにしてある程度プレイヤーがゲームに慣れてきたら難易度を少し上げても、プレイヤーがそれに対応するだけの技術と気力をすでに備えているはずなので大丈夫だぞ、という方法論。
 ただ、注意しなければならないのは、単にサクサクと話がすすむだけではプレイヤーの技術はつくかもしれないが、プレイヤーの気力が満ちてくることは期待できないので、サクサクと話がすすむのと並行してプレイヤーに作品の魅力を感じておいてもらうのもかなり重要。ばっちりとハートをキャッチ、するのには、錯覚させるなどの手法が有効。単にはじめサクサクとは言っても導入部のやり方というのはいろいろと難しい。


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最終更新: 2009-11-25 (水) 10:06:22 (2942d)